わが国では馴染みのないロビイストの物語である。実話とは言っていないので、脚本家ジョナサン・ペレラが手がけたフィクションだろう。
しかし、本当にありそうな設定と展開で、エンディングまで気が抜けることなく、スクリーンを注視することになった。
これだけの緊張感を持続させ、しかも大きなどんでん返しがある映画に出会ったのは、最近では珍しい。
女性主人公の設定が、バリキャリ風でしかも真っ赤な口紅に、高いハイヒールとセンセーショナルである。彼女は生活の全てを仕事に投じ、
男性はエスコート・サービスで済ます。恐ろしいほどのワーカ・ホリックである。働き過ぎは先端的な部分では、男女問わずに当然なのだろう。
イクメン・家庭が大事というキャンペーンがさかんだが、先端的な仕事をするには、24時間にわたって没頭してしまうのは不可避である。
必死で仕事をした人間なら、24時間仕事のことを考えていることは誰でも知っているだろう。
男性社会の典型的な出来る女性像を、逆手に取ったエリザベス・スローン(ジェシカ・チャステイン)は、敵対するロビイスト集団に対して全ての知能と時間を動員して戦う。
スローンは、大きなロビイスト集団のコール=クラヴィッツ&Wから、銃規制反対をめざす小さなロビイスト集団へと移籍する。本人が銃規制反対かどうかは問わない。
銃規制反対の法案を議会で通過させるためだけに、隠密裏にかつての部下を使い、現在の部下も使い捨ての独楽のように扱う。そして最後には、圧倒的に劣勢だった形勢を逆転してみせる。
スローンの腹心の部下は、大学院に戻りたいと言うくらいだから、もちろん彼女のスタッフたちも有能そうである。しかし、成果が出るのは結局のところ、
彼女個人の能力に負っていた。部下の精神面まで含めて、部下を完全に掌握していくことも、彼女の仕事遂行の能力なのである。
部下から不審な目で見られることもあるが、映画だから結局は信頼されて終わる。
仕事に全精力を投入する結果、彼女は強度の不眠症におそわれ、片時も薬が手放せない。いかにものスーパーウーマンだが、働く者のすべてに彼女のようなことは要求できない。
しかし、本当に突出した仕事をする人は、人生の一時期に彼女のような働き方をするのだろう。彼女の働き方を小気味よく感じると同時に、
今後の職業生活の考えると、ますます格差が開いていくだろうと、いささか暗澹たる気分になる。
スローンはこれをやったら、刑務所に収監されるだろうと覚悟して、勝つために違法なロビー活動を行う。勝ってクライアントの要求は満たしたが、
5年の刑期で収監されてしまう。彼女は5年と言う短い刑期なら、危険な橋を渡っても良いと決断したのだろう。自発的に法を犯す決断は、クライアントには願ってもないことだろうが、
家族持ちのロビイストにはできないことだ。また真っ当な職業人は、やってはいけないことだろう。
最近、仕事と家庭の関係を考えているが、職場の流動性が高くなり、男女ともに転勤や転職などの移動が不可避になると、子育ての場に付き合えなくなるだろう。
農業が主な時代なら、土地という職場は動かないから、家族もいつも一緒にいることができた。しかし、今後は多くが職場労働者となだろうから、男女ともに家族はいつも一緒というわけにはいかなくなる。
仕事のあり方をめぐって、家庭だけでなく男女差もめだってくる。男性が女性のエスコート・サービスを利用しても、特異な目でみられないだろう。
しかし、女性がスコート・サービスを使うのは、いろいろと困難があるだろう。この映画では、男性売春夫との関係がなかなか素敵に描かれていた。
ストーンが公聴会で売春夫との関係を追及されると、売春婦は彼女を見知っているが、客となったことはないと偽証してくれる。
かつて待合「新喜楽」の女将が、脳梗塞で倒れた佐藤栄作を4日間そのまま動かさず、その間すべての客を断ったのは有名な話で、これで女将は女をあげた。
おそらく芸者と旦那の関係も、それなりに信義に支えられていたのだろう。田中角栄と佐藤昭子との関係も、法的正義を超えたものだったと思う。
この映画はたんに娯楽映画、サスペンス映画を超えて、女性の働き方を示唆している。伏線もよく聞いており、後半でのどんでん返しも不自然ではない。
何よりも脚本が素晴らしい。
脚本家ジョナサン・ペレラはイギリス生まれ。もともと弁護士だったが、クリエイティヴな仕事に夢を求め、退職。
アジアの小学校で英語教師をしながら、『女神の見えざる手』の脚本を書き上げる。その脚本の映画化が決まったという。
わが国ではこんなことが有り得るだろうか。監督・脚本共にイギリス人であるのが、何か示唆的である。
原題は「MISS SLOANE」 2016年フランス=アメリカ映画
(2017.10.22)