タクミシネマ        マルコヴィッチの穴

☆☆ マルコヴィッチの穴  スパイク・ジョーンズ監督

 スパイク・ジョーンズ監督の第一作だが、文句なしに星2つをつける。
観念と現実が上手く総合されており、奇想天外な展開にもかかわらず、きわめて説得的である。
コミカルな面もあり映画としても充分に楽しめる。
しかも、深く哲学的な内容を持っており、特殊なSFXなど使わなくても良い映画ができる見本である。

マルコヴィッチの穴 [DVD]
 
劇場パンフレットから

 古典的な糸繰りの人形使いであるクレイグ(ジョン・キューザック)は、人形芝居を見せるところがなくしょぼくれていた。
同棲しているロッテ(キャメロン・ディアス)に促されて、仕方なしに求職に出かける。7と1/2階という半端な階にある職場は、天井が低くまっすぐに背を伸ばして歩けない。
不思議な社長ドクター・レスター(オースン・ビーン)や、不思議な受付嬢フローリス(メアリ・ケイ・プレイス)のいる不思議な職場である。
職場のファイリング係りとして雇われた彼は仕事を始める。
やがて、キャビネットケースの裏の壁に、人間が入れるくらいの大きな穴を発見する。
何だろうと入ってみると、それはジョン・マルコヴィッチの頭の中につながっており、15分間だけ彼の頭の中に留まっていられるのだった。
そして15分経つと、高速道路際に投げ出されるように落ちてくるのだった。

 映画の仕掛けはただこれだけだが、人形使いという設定が人間の頭の中に入って、人間ジョン・マルコヴィッチを操る伏線になっている。
今はあまり人気のなくなってしまった人形使いだが、その人形が実にリアルに操られる。
あまりの見事さに人形から人間を想像し、操ることの意味を怖ろしく感じ始める。
それが人間の脳に入って、その人間を操ることに重なるのである。
自己と他者の関係のなかで、自己とは何かといったシャープな問題意識に支えられ、自分を見ることが他人のなかに入ることとして描かれる。
自己と他者に入る自己、そして他者を通してみる自己といった、入れ子構造になった展開である。

 予想したとおりその穴に、ジョン・マルコヴィッチ自身が入ることになる。
ここで無限の自己相対化が始まるわけだ。
ここはどのように映像化するのか興味深いシーンだったが、ジョンに見えるのはすべてジョン自身だった。
見える人物がジョンの目には、すべて自分自身に見える。
ちょっと肩すかしを食らったような、納得させられたような妙な気分だった。
自他をこのように映像化するのは、実にユニークな解答であり、これだけでもこの映画を見るに値する。

 穴とジョン・マルコヴィッチの頭の中、そして自己と他者をとりまく入れ子構造のなかで、クレイグは奥さんのロッテからマキシン(キャスリーン・キーナー)へと心変わりしていく。
しかし、ロッテもマキシンに惚れ込むが、マキシンはロッテがジョンの身体に入っているときに、オーラのようなものを一番強く感じるという。
マキシンとロッテは強い愛情を感じ、ジョンの体を使って二人は一体化し、マキシンは妊娠する。
ジョンの精子だろうが、マキシンはロッテとの愛情の結晶だという。
ジョンもマキシンに惚れるが、彼の頭の中には常に誰かが入っており、ジョンは人格が混乱し始める。

 マキシンから見向きもされないクレイグは、ジョンになってマキシンへの接近に成功する。
クレイグはジョンの頭の中に長く留まることができるようになり、ジョンになりすましジョンの名声を利用して、ジョンを俳優から人形遣いへと変身させる。
マキシンは奥さん兼マネージャーとなり、クレイグの売り出しに成功し、二人は有名人へと登っていく。
取り残されたロッテは、7と1/2階にある社長ドクター・レスターの自宅を訪れ、相談にのってもらう。
すると彼は、この穴をすでに知っており、穴から穴へとわたり住んでいる不思議の国の人物だった。
そして彼の仲間を紹介してくれた。
彼等は皆他の人の身体を使って生きてきた不死の人たちだった。

 ドクター・レスターがマキシンを誘拐し、ジョンの頭の中にいるクレイグに出るよう恫喝をかける。
クレイグはそれに従い外に出ると、その後にドクター・レスターの仲間が大挙して穴の中に入っていく。
この人たちが全員入ってしまうここが、何を意味するのかちょっと判らなかった。
それから8年後、マキシンは女の子を産み、ロッテと仲良く暮らしているが、女の子の頭の中にはドクター・レスターたちが宿っていた。

 他人の頭のなかに入るという設定だけで、こんなに複雑な映画ができる。
とくにマキシンとロッテのゲイの関係や、クレイグの無性的な存在、ロッテの動物への異常な偏愛、長寿化した生命を輪廻ととらえていること、一種のマインドコントロール状況などなど、お伽噺ともSFともつかない不思議な展開である。
物語を語る想像力の大きさに感嘆させられると同時に、現代的な状況設定でこれにも感心させられた。

 この監督は、この作品をこう見なければならないとは言っていない。
自己と他者という関係を現代的にとらえて、観客に投げかけただけであるが、それでもその設定と展開が今日的であるし哲学的である。
こうした思考を楽しむ哲学的な映画を、実験的な芸術作品としてではなく、娯楽作品としてまとめあげ、大衆的な興行にのせるアメリカ映画のすごさに脱帽である。
しかもこの映画は、2000年度のアカデミー賞には三部門でノミネートされている。
わが国の映画製作のレベルとは、もう比較にならないくらい、別世界の話になってしまった。

1999年のアメリカ映画。


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