タクミシネマ              ヘンリー・フール

☆☆ ヘンリー・フール      ハル・ハートリー監督

 さえない若者サイモン・グリム(ジェームス・アーバニアク)が、毎日ただ黙々と働いていた。
そこへヤマっ気たっぷりの文学青年ヘンリー・フール(トーマス・ジェイ・ライアン)がやってくる。
サイモンは誰からも無視された存在だったが、ヘンリーが何気なく与えたノートと鉛筆が、サイモンの人生を大きく変えてしまった。
サイモンの書くものは詩情にあふれ、現代社会を忠実にうつしだし、読む人に勇気を与えるものだった。
サイモンの書くものの素晴らしさを、ヘンリーはいち早く見いだし、サイモンに文章技法を教え、詩作に専念させるようしむけた。

 
ぴあ(11.15)から

 サイモンのまわりにいる若者が、彼の数少ないファンになる。
しかし、世の確立された権威者たちは、誰もサイモンの詩を認めない。
25社にのぼる出版社や有名な編集者、そして良識ある著名人たちまで、サイモンの詩は単なるポルノでゴミだとこき下ろす始末。
いくらヘンリーに勇気づけられたって、世の主流にいる誰からも認められないのでは、サイモンも挫けるばかりである。
そんな時に、インターネットである。彼の詩がインターネットにのったら、その反響は凄かった。
あっという間に膨大なファンができ、彼はたちまち有名人である。
編集者は手のひらを返したように、サイモンの詩集の出版を引き受けたいという。

 この映画の主題は、ここまででほぼ出尽くしている。
才能を開花させて有名になっていくサイモンに対して、ヘンリーには文学の才能はないことが明らかになる。
ヘンリーはサイモンの姉フェイ(パーカー・ポージー)を妊娠させてしまい、彼女と結婚。
彼は子供の誕生を楽しみにする平凡な男になってしまった。
もう彼には、表現は関係ない。
サイモンは詩人として脚光を浴びた生活へと転進していくが、ヘンリーはかつてサイモンがやっていた清掃人を職業としていく。

 その数年後、ヘンリーは隣家の家族内暴力の仲裁に入ったことにより、旦那を刺してしまい警察から追われる身となる。
そのヘンリーを自分の身代わりにして、国外逃亡をはかるサイモンだが、ヘンリーが飛行機に乗る直前で映画は終わる。
ヘンリーが国外へ逃亡したか、国内に戻って警察に出頭するのかは、どちらとも取れる終わり方である。
その判断は、観客に任せているのだろう。

 全体に緊張感がみなぎって、話が自然のうちに進んでいく。
小粒だが、とても良い映画である。
主題自体が、秘められた才能の発見だから、詩人の才能が洗練されてなくても良いというのは納得できる。
スペルの間違いや、文法が怪しいことなど、詩情の表現にとって二の次三の次なのだ。
まず、現代を生きる同時代性、本質性といったものこそ、表現の命なのである。
間違ったスペルや文法も、それが表現であることすらあるし、何を伝えるかにとっては、既成の約束事はそれほど重要ではない。

 時代をかくする才能は、常に常識を打ち破るものとして、非常識の世界からやってくる。
新たな才能は、常に卑わいで下品なものだ。
新たな才能は、既成の権威を打倒する形で登場するのが常である。
だから、新たな才能をほんとうに理解できたら、人は権威者としてとどまっているわけにはいかない。
既成の権威者たちには、彼等の存在構造からして、新たな才能の開花は理解できないのだ。
新たな才能の登場は、この映画が描くとおりだろう。

 もともとヘンリーには、文学の才能はなかったのだが、新しい詩を読む力はあった。
表現する力と、表現されたものを認める力は別物だから、ヘンリーのようなケースはいくらでもあるだろう。
もちろん表現者が神様で、評論家はその僕である。
しかし、誰でもが優れた評論家であるというわけではない。
むしろ、既成の著名人たちは新たなものは理解できない。
やはりヘンリーは優れた眼をもっていた。
それはサイモンが一番良く知っており、サイモンはヘンリーにずっと感謝していた。
だから、ヘンリーを自分の身代わりにしたのだ。

 この映画は、「ヘンリー・フール」という題名でも判るように、詩人の才能の開花が主題ではなく、その発見が主題である。
つまり主人公はサイモンではなく、後半ではうらぶれたヘンリーなのだ。
ここに込められた監督たちの真意が、実に良く伝わってくる。
優れた才能は、どこにでもころがっている。
それを信じて、伸ばし、大きく開花させるのは、本人だけの力によるのではない。
才能は認められてこそ、大きく育つのだ。
新たな才能の登場が期待される時代に、この映画は力強いメッセージを投げかけている。

 それほどお金がかかっているわけでもないし、登場人物たちもほとんど無名の人たちばかりで、大きな事件が起きるわけでもない。
身の回りの小さな出来事を、少しずつ積み上げて、きちんと訴えたいものを描き出す。
映画の基本が、この作品にはある。
小粒な映画ながら、サイモンを演じたジェームス・アーバニアクの演技が素晴らしく、始まりの頃のさえない清掃人から、最後には、きちんとしたインテリの顔になった。
ノーベル文学賞受賞の詩人へと変身していく様が、実に上手く演技されていた。
強いて難を言えば、時間の経過の長短がやや判りにくかった。
ちょっと点が甘いかも知れないが、星2つをつける。

1997年のアメリカ映画。


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