タクミシネマ        鬼が来た!

☆☆ 鬼が来た!   姜文(チアン・ウェン)監督

 1945年の初め、中国・華北の田舎の村での話である。
ある晩、百姓のマー(姜文:チアン・ウェン)が、近所の後家さんユィアル(姜鴻波:チアン・ホンポー)とよろしくやっているとき、私だと名乗る男がやってきた。
私はマーにピストルを突きつけ、5日後に取りに来るから尋問をしておけと言い残して、2つの麻袋を預けていった。
麻袋のなかには、日本兵の花屋小三郎(香川照之)と、中国人の通訳トン(袁丁:ユエン・ティン)が入っていた。
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 当時の中国は、日本軍によって8年来占領されており、この村にも日本兵がやってきていた。
そんな中で日本兵をかくまうのは、自殺行為である。
2人に間違いがあったら、村中を皆殺しだといわれたので、村人は鳩首して大騒ぎとなる。
日本軍に引き渡そうか、しかし、5日後に引き取りに来たときには何という。
村人たちは困惑する。

 5日間だというので、匿うことにした。
貧乏な村でのこと、食べるものさえ満足ではないのに、花屋は勝手なことばかりわめき散らす。
5日がすぎても、とうとう私は現れなかった。
半年にわたって村人たちは花屋を匿い続けるが、とうとう忍耐も切れた。
日本軍に引き渡しても、大丈夫だろうと考えた。
丁重なもてなしをしたので、穀物を村人に渡すと花屋と契約したうえで、彼を日本軍に引き渡す。


 半年間も行方不明だったので、すでに花屋は戦死したことになっていた。
突然現れた花屋に、いまさら生きて帰ってきたのは何事だ、と日本軍は激怒する。
このあたりの描写は、実に上手い。
生きて帰った人間よりも、自分たちの処理したことのメンツを、大切にする日本人の性格をよくつかんでいる。
花屋は徹底的にリンチされるが、契約書を見た酒塚隊長(澤田謙也)は態度を急変した。

 日本軍は契約を守るという。
2台という約束の穀物を、6台にして渡す。
そして、その晩は、日本軍がマーの村へ出かけて、日中合同の交歓会を開いた。
ここまではよかった。交歓会も宴たけなわというとき、酒塚隊長は花屋の処刑を命ずる。
そして、マーがユィアルを実家の村に迎えにいって不在だったのを、援軍を呼びにいったのだろうと決めつけ、村に火を放ち村人たちを虐殺する。
村へと戻る船の上で、燃えさかる火をマーは呆然と見るだけだった。

 8月の戦争終結で、日本軍は捕虜となる。
村人たちを殺した日本兵も捕虜である。
捕虜たちは命を保証され、無事に生活を楽しんでいる。
マーは密かに復讐の機会をねらう。
何人かに傷を負わせたが、酒塚隊長にも花屋にも届かなかった。
しかし、戦争終結後の個人的な報復は許されない。
中国軍の命令で、捕虜に処刑させる。
マーは酒塚隊長の見守るなか、花屋によって斬首される。


 それにしても日本軍をよく観察している。
すぐ死ぬとか、殺せと口にするくせに、実際には臆病であること。
大声でしゃべること。
宴会での日本人独特の騒ぎ方。
行方不明者の生還を喜ばないこと。
乱暴な花屋が、敵である村人の親切に改悛すること。
契約という形式を守りながら、契約の精神は守らないこと。
現代の日本人とは少し違うかもしれないが、戦中までの日本人像をじつによく描いている。

 明確な主題をもった、じつに優れた映画である。
冒頭のマーとユィアルのからみから、私の侵入へと観客の興味を一気に引き寄せる。
その後のゆっくりした展開。
このままでは終わらない、何かありそうだと、胸が苦しくなるほどの緊迫感。
小さな起伏を作りながら、話を終盤へとつなげる。
意外に日本軍は話がわかると、思いかけたときのどんでん返し。
そして、中国軍による中国人の処刑。

 物語の素晴らしい展開である。
死に面した時の人間行動という、厳しい主題をコミカルに描くのは、正攻法である。
モノクロの画面が、コミカルな展開とよくあっている。
この映画はカラーフィルムのモノクロ処理ではなく、モノクロ・フィルムを使っているだろう。
しかも最後に、ちょっとだけカラーを使っているが、それもよく効いている。

 描写のスタイルは、やや古いリアリズムではあるが、人間を見つめる長い目をもっている。
クワトロ・ディアス」という優れたブラジル映画があるが、抗争が続いてきた地域の人たちは、視線が長い。
イースト・ウエスト」もそうだった。
近代以前にも人間は生きており、実は近代以前のほうがはるかに長い。
人間の普遍性は、むしろ前近代にあったとさえ言える。


 近代はたかだか500年である。
しかも本当に近代人が誕生したのは、おそらく第二次大戦後だろう。
それもアメリカでだ。
だから、アメリカ映画は近代人の先鋭化を描くが、人間を見る目が現在から将来を向いている。
時代を切りひらくことには真剣だが、新たな時代が人間の普遍かどうかは、アメリカ映画では保証の限りではない。
こうした長い視線の映画は、決してアメリカでは生まれない。

 反日映画のようにもとれるが、中国軍がマーを処刑したのを見ると、おそらく製作者は反戦映画を作ったつもりだろう。
登場するのがたまたま日本軍だったに過ぎない。
負け戦に日本人の性格がからんだだけではなく、マーの不在によって、村人が疑われても仕方ない。
抗日ゲリラに騙されたこともあったろう。
善人そうに見える人が、抗日戦線を闘ったのだ。
それが戦争である。この映画は状況の不条理を描いている。

 人間の本質を考えるとき、舞台設定をなしには不可能である。
舞台になったのが1945年当時の中国であったとすれば、描かれるのは中国人と日本軍になるのは必然である。
日本人の狡猾さや日本軍の残酷さを、この映画に見るべきではない。
この映画を見て、我が国が批判されたと感じるのは、事実と観念を切り離せないものだ。
フェミニズムへの批判を、女性である自分が批判されているように感じる心性と同じである。

 日本人はこの映画を、心穏やかに見ることができなのは事実だが、主題という観念を見るべきである。
するとこの作品が、きわめて優れた映画だと気づくであろう。
優しいまなざしと事実を冷徹にみることは、充分に両立すると、この映画は示している。
長い視線と暖かいまなざしをもったこの映画に、今年初めて星2つを献呈する。

2000年の中国映画   

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