|
|||||||||
|
|||||||||
第二次世界大戦への足音が、ひたひたと聞こえ始めた1930年代のブタペストでの話。 サボーというレストランがオープンし、ピアノ弾きを募集していた。 レストランを経営するラズロ(ヨアヒム・クロール)はユダヤ人で、官能的な若い女性イロナ(エリカ・マロジャーン)と恋人同士だった。 イロナはサボーの看板ウエイトレスで、彼女目当ての客も多かった。 ドイツ人のハンス(ベン・ベッカー)は、彼女にプロポーズするが拒否され、投身自殺するほどの執着だった。 それをラズロに助けられ、一生の恩義を感じながら帰国する。
ピアノ弾きとして採用されたのは、アンドラーシュ(ステファノ・ディノニジ)だった。イロナはアンドラーシュに一目惚れし、ラズロからアンドラーシュに乗りかえようと、迷い始めていた。 ラズロは夫婦ではないので、イロナを縛ることはできない。 失恋と同時に、看板ウエイトレスを失うより、3人での生活を選んだ。 それから奇妙な三角関係が、ぎくしゃくしながらも平和裏に続いていく。 こうした三角関係が、現実にあったのか否かはわからない。 1930年代という時代を考えれば、こうした恋愛関係は無理だと思う。 おそらく現代的な考えだろう。 一夫一婦の結婚という制度が、崩れ始めた今では実にリアルな話である。 独占欲を飼い慣らし、1人を2人で支えあう。 しかも、1人を共有する2人は、親友でもある。 この映画では女性1人と男性2人だったが、反対のケースも充分に考えられる。 ただその場合には男性の体力がもつだろうか、ちょっと疑問である。 それが後に、物議をかもす名曲<暗い日曜日>だった。 哀愁をおび虚無的で、しかも愛情のこもったこの曲は、たちまち人々の心をとらえた。 時はナチスの台頭している時期、閉塞感から暗い空気が社会を覆いはじめた。 それを敏感に察知した多くの人たちが、<暗い日曜日>をききながら自殺していった。 ヨーロッパ各地でこの曲は流行したが、同時に自殺者の同伴曲ともなった。 わが国でも自殺者は、年間3万人くらいいるから、ヨーロッパ中で1ヶ月に数百人が自殺したとしても、驚く数字ではない。 ただ、多くの自殺者が、この曲を聴きながら死んだとなると、おだやかではない。 アンドラーシュは自分で作曲したこの曲が、時代を反映していることを思いながら、それが何であるか自分でも判らなかった。 時代は戦争へ、ナチスの侵略、占領と続く。 そんなとき、ハンスがナチの高級将校として、ブタペストへ赴任してくる。 最初のうち、ハンスはラズロの友人としてふるまい、ユダヤ人のラズロを庇護していた。 やがてイロナをめぐっての、ラズロへの嫉妬やアンドラーシュへのねたみが、心のなかで持ち上がってくる。 ハンスはすでに友情を裏切っていた。 自分になびかないイロナへの報復として、ラズロをアウシュビッツへ送る。 ハンスはラズロを救う代償として、イロナと肉体関係を求める。 仕方なしに応じたイロナだったが、約束は実行されなかった。 <暗い日曜日>というけだるく、哀切に満ちた音楽がなんども流れ、そのたびにこの映画の主題が観客に確認させられる。 最初のうちは、ラズロとイロナ、それにアンドラーシュの三角関係が主題かと思っていると、時間の進行とともに話は徐々にナチ批判になっていく。 物語の展開が実に上手い。 ゆったりした曲にのせて、物語もゆっくり進むが、決して退屈ではない。 男が男であり、女が女であった時代、男女ともに性的な魅力を存分に振りまいて、互いを魅了しあった。 かっちりとした服装の下には、互いの肉欲を隠し、上品そうな表の日常と官能にひたる裏の生活がある。 厳しく切ない三角関係に、各自は自分の心をなんとか、なだめながらしばしの幸福を味到する。 大人の関係を、少しの苦みとともに楽しんでいる。 ナチは大人の関係が、理解できないだけではなく、崩壊が間近に迫ってきた。 ハンスはドイツ敗戦を予測して、金品と引き替えに、ユダヤ人の命を救っている。 彼にはラズロへの友情よりも、戦後に役に立つユダヤ人の救済と、軍資金をためることが大切だった。 しかし、充分にナチス批判にもなっている。 むしろ大上段に構えた批判より、こうした人間味を加えたさりげない批判が、ずっしりと響いてもくる。 ハンスの秘書が、<ハイル・ヒトラー>と言うシーンが3度ある。 その響きが3度とも違って、ナチ批判の屈折した心理が伝わってくる。 ナチス批判でありながら、この映画はユダヤ人の味方でもない。 お金に執着し、命乞いするユダヤ人たち、ユダヤ人とて普通の人間である。 アウシュビッツに送られるラズロを、ハンスが探しに行く。 2人は目が合う。 ラズロは助けに来てくれたと思うが、別人の名前が呼ばれ、ラズロは貨車へと積み込まれていく。 短いカットでラズロの顔がアップになる。 無言の表情には、万感の思いが表れている。 <暗い日曜日>が名曲であることは間違いないが、映画の画面もまたこの曲にふさわしい。 こっくりとした深みのあるコダック特有の色調が、なめるようにピアノを映すとき、けだるさとともに哀愁が伝わってくる。 ピアノの弦をたたく駒が、1つまた1つと動くさまは、曲想の訴えと映画の訴えが見事に重なって見える。 レストランのしつらえもいい。 磨き込まれた古い床と、落ち着いた照明、厚手のしっかりしたテーブルクロス、サービスされる鮮やかな食事。 そして、肩の力の抜けたサービス。 よくわかった客たち。 至福の演出である。 小さなレストランでありながら、美味いものにこだわりながら、しっかりと金儲けに精をだすユダヤ人のラズロ。 道路に面した入り口の扉が、アールデコ調というのだろうか、古き良き時代によくあっている。 ナチスの車も、現代のメルセデスも、ヨーロッパの街でこそ落ち着く。 圧倒的な懐の深さ、やはりヨーロッパにはヨーロッパの人間が住み、生き方がある。 フェミニズム以降、男性も女性もともに人間になってしまったが、今後、ユニセックスのデザインは、どう創られていくのだろうか。 ちょっと気になったのは、役者たちはジプシーと言っているのに、字幕にはロムと訳されていた。 わが国では、ジプシーは差別用語として、禁句になったのだろうか。 ジプシーがいない国で禁句になり、ジプシーがいる国ではそのまま使われている。 何か妙な気がした。 さて、功なり名をとげたハンスが、80歳の誕生日にサボーを訪れる。 そして、<暗い日曜日>をリクエストする。その曲を聴きながら、彼は昔日をしのぶ。 すると突然に苦しみだして、床に倒れる。 多くのユダヤ人を救ったと高名なハンスは、1人のユダヤ人を救わなかったので、イロナによって毒殺されたのである。 良い映画だと思う。 ところで、イロナは子供を産んで、しっかりとサボーの跡継ぎに育て上げるが、いったいあれは誰の子供だったのだろうか。 たった一度の交わりだったハンスの子供でも、この物語は充分に成りたつが、ひどく皮肉な解釈となる。 もしハンスの子供だとすると、イロナの意志の前には、血縁は無関係だという、きわめて現代的な話になる。 1999年のドイツ・ハンガリー映画 |
|||||||||
<TAKUMI シネマ>のおすすめ映画 2009年−私の中のあなた、フロスト/ニクソン 2008年−ダーク ナイト、バンテージ・ポイント 2007年−告発のとき、それでもボクはやってない 2006年−家族の誕生、V フォー・ヴァンデッタ 2005年−シリアナ 2004年−アイ、 ロボット、ヴェラ・ドレイク、ミリオンダラー ベイビィ 2003年−オールド・ボーイ、16歳の合衆国 2002年−エデンより彼方に、シカゴ、しあわせな孤独、ホワイト オランダー、フォーン・ブース、 マイノリティ リポート 2001年−ゴースト ワールド、少林サッカー 2000年−アメリカン サイコ、鬼が来た!、ガールファイト、クイルズ 1999年−アメリカン ビューティ、暗い日曜日、ツインフォールズアイダホ、ファイト クラブ、 マトリックス、マルコヴィッチの穴 1998年−イフ オンリー、イースト・ウエスト、ザ トゥルーマン ショー、ハピネス 1997年−オープン ユア アイズ、グッド ウィル ハンティング、クワトロ ディアス、 チェイシング エイミー、フェイク、ヘンリー・フール、ラリー フリント 1996年−この森で、天使はバスを降りた、ジャック、バードケージ、もののけ姫 1995年以前−ゲット ショーティ、シャイン、セヴン、トントンの夏休み、ミュート ウィットネス、 リーヴィング ラスヴェガス |
|||||||||
|