タクミシネマ        ハピネス

☆☆ ハピネス     トッド・ソロンズ監督

 映画製作者の視点はブラックではあるが、暖かく長い目をもった印象的な作品である。
人間的な暖かさとブラックな視点は、充分に両立するといった見本でもある。
きわめて複雑なストーリー展開で、いくつかの話が並行して進むので、真の主人公というのはいない。
それでも、最後には破綻なくまとめあげ、この監督の力量が並のものではないことを知らされる。

ハピネス [DVD]
 
劇場パンフレットから−ジョイ

 高級そうなレストランで、男女が別れ話をしている。
男性のアンディ(ジョン・ロヴィッツ)は未練があるらしいけれど、女性のジョイ(ジェーン・アダムス)がアンディの容姿や風貌をくさしたらしく、彼はひどくプライドを傷つけられ、破談になっていく。
アンディを演じるジョン・ロヴィッツの情けなさそうな表情が、リアルで実に上手い。
あまり気に入ってはいなかったとは言え、いざ破談になればジョイも心穏やかではない。
彼女は落ち込んでしまう。

 その頃、太ったさえない男アレン(フィリップ・シーモア・ホフマン)が、精神科医のビル(ディラン・ベイカー)に内心を語っている。
隣の部屋に住む女性ヘレン(ララ・フリン・ボイル)への好悪矛盾した感情を訴えるが、ビルは上の空で聞いている。
アパートへ戻ったアレンは、隣の女性ヘレンとエレベーターで一緒になるが、結局何も言うことはできなかった。
ところが、同じアパートに住む太った醜女のクリスティーナ(カムリン・マンハイム)が、アレンに好意を持っている。
彼女はアパートのガードマンに強姦されたので、ガードマンを殺してしまっていた。
それをアレンに打ち明ける。
二人のダンスシーンは哀愁に満ちて、彼等の心情を雄弁に語っている。

 ジョイは三人姉妹の末子で、姉のトリッシュ(シンシア・スティーブンソン)は専業主婦である。
トリッシュは良き夫のビルや子供たちに囲まれて、幸福な家族の典型例である。
しかし、専業主婦の生活には、生活実感がないように描かれている。
しかも、その良き夫であるビルは、実は幼児愛の実践者というとんでもない犯罪を犯していた。
やがて、ジョイ、ヘレン、トリッシュは、姉妹だということが判ってくる。
フロリダに住む両親モナ(ルイーズ・ラッセ)とレニー(ベン・ギャザラ)は、離婚したいと言い出している。

 アンディの自殺があったりして、ジョイは仕事にも男性にも恵まれない。
彼女は電話受付サービス業から、難民教育センターのボランティアへと職替えをする。
そこで知り合ったロシア人のヴラッド(ジャレッド・ハリス)に自宅まで送ってもらって、そのままベッドイン。
素晴らしいセックスだったらしく、翌日ジョイは溌剌として難民教育センターへ出勤する。
恋は生活を活性化する。
しかし、このヴラッドが食わせ者で、内縁の女性が怒鳴り込んできて、ジョイに殴りかかる。
しかも、彼はジョイの家からはギターやステレオをくすねている上に、悪びれる風もなく借金の申し込み。
さすがに気のいいジョイも、ヴラッドとの交際は諦めた。

 トリッシュの夫ビルは、11歳になる自分の息子ビリー(ルーファス・リード)の友だちジョニー(イヴァン・シルヴァーバーグ)に欲情、睡眠薬を飲ませた上で強姦してしまう。
その他にも同種の犯罪を犯しており、徐々にそれがばれ始め、とうとう警察の手入れがあり逮捕される。
幸せだったトリッシュの家庭は、これで崩壊。
それから半年後、三人の姉妹が、フロリダの両親の家に集まって、「しあわせ」に乾杯と言っているところへ、ビリーが精通したと言ってくる。
そこで映画は終わる。

 確たる手応えのなくなった現代、誰もが幸福を求めていながら、幸福とは何かがわからない。
結婚して専業主婦になり小さな家庭を営むのは、女性にとって最悪の選択になってしまった。
自分の人生を、夫という他人に預けることは、危険きわまりない。
女性でも自分の可能性を実現できる、それがアメリカであると、ジョイに言わせている。
ロシア人のヴラッドは途上国の男性の象徴として描かれ、わがままで粗野で暴力的だが、アメリカ人男性の失った野性的な男性としての魅力がある。
しかし、近代人のジョイにとって、ヴラッドは危険な人間に過ぎる。

 近代人としてのルールを身につけることによって、男性はどんどんと自然から遠ざかり、朴訥で粗野な魅力を失っていく。
都会の生活は、スマートで洗練された人間を生みだす。
女性も心ではワイルドに憧れながら、スマートな男性しか付き合うことはできなくなっている。
男性も女性も、心の中に個人というプライバシーをもつ時代になった。
いくら愛していても、プライバシーという心の核の中に土足で踏み込んでくるような男性は、もはや恋愛の対象にはならない。
では心の核とは何か、幸せとは何か。
それは今や観念に過ぎない。

 誰もに共通の幸福があった時代、幸福幻想であったかも知れないが、多くの人は幸福にすがれたし、幻想の幸福を手に入れて充実した日々を過ごせた。
いくばくか過去を懐かしみつつも、もはや戻るつもりのないアメリカ人たち。
プライバシーという心の核を知ってしまった人間は、今更それを手放すことはできない。
さてそれでは何が幸せなのだろう。
自問自答を繰り返す最近のアメリカ人たちは、実に懐が深くなり、人間的な巾がでてきた。
こうした映画を見ると、アメリカ人たちが自分をきわめて冷静に見ていることが判る。
それは、かつてイギリス人が持っていたシニカルな眼だろうし、近代人だけがなし得る思考回路である。

 人間の観念が自然の支えを失って、観念だけで自立しようとしている情報社会では、幸福感も同じ運命を辿る。
幸福はそれを支える実態を現実社会にもたない。
ただ心の中にある充実感とか達成感といったものが、人間に幸福感を与えるだけで、それは幸運な錯覚に過ぎない。
錯覚でしかないけれど、それでも人間は幸福を求めている。
「青い鳥」は心の中にいるのだとは、近代の入り口で喝破されている。
それがより広範に、より徹底的に知らされる時代になった。

 決してお金が掛かっているわけでもない。
有名な俳優が出ているわけでもない。
はっきりとした主題と、きちんとした脚本、地味ながら上手い役者たち。
周到なキャスティング。物語の展開に合わせたセット。
ややカラーバランスを崩した色調。
きわめて綿密に計算された演出が、細部にまで到達し、画面は製作者たちの主張を鮮明に伝える。
完璧な二つ星と言うにはやや点が甘いが、四捨五入して星二つをつける。
この監督の前作「ウエルカム・ドールハウス」も秀作だった。
1998年アメリカ映画。


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