タクミシネマ           セブン

☆☆ セヴン     デヴッド・フィンチャー監督

 正義の向こうにある悪を憎む気持ちが、かろうじて社会を平穏にたもたせる。
正義が支配する社会に挑戦し、自分だけが特別な利益を入手する、それが犯罪である。
悪を憎み、社会の正義を法によって保つことが、犯人を追いつめ、逮捕することを正当化する。
だから、犯罪の追及が成り立つのだし、刑事は必死で犯人を追うのである。

 ブラッド・ピットふんする刑事ミルズは、高校時代からの女友だちと結婚した。
ミルズはまだ知らされていなかったが、彼の奥さんは最近妊娠し、二人は幸福の絶頂にあった。
ミルズの家庭は、平和で正義そのものであった。
ミルズは少し子供っぽいところはあるが、血の気が多い正義漢として描かれている。
定年を一週間後に控えた、万事に事務的でクールな相棒の刑事とは、対象的である。

 堕落し腐敗した現代を嘆き、それに警鐘を鳴らすための殺人から、この映画は始まる。
犯人は(この映画の本当の犯人は刑事ミルズなのであるが)、七つの大罪をあばき、世にそれを知らせ、人々を目覚めさせるために、それらを象徴する人物をそれぞれ象徴的な方法で殺していく。
そうした殺人が犯人の意図を実現するための、政治的な効果を持つかどうかは問うまい。
この映画の主題は、そこにはないのだから。

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 四つ目まで殺人が進んだときに、図書館利用者名簿を闇で入手するという非合法な手段で、刑事たちは犯人を割り出してしまう。
そして、密かに犯人の住まいを訪問する。
その時、偶然に犯人が外出先から戻る。犯人と刑事たちとのあいだで、銃撃戦になり、犯人の追跡が始まる。
しかし、犯人の逆襲にあい、刑事ミルズは犯人に銃口を突きつけられる。
犯人はどうしたわけか、ミルズを殺害せず、雨のなかをそのまま立ち去る。
そして翌日、五つ目の殺人が発生する。

 犯人が突き止められてしまったので、犯人は予定を変更すると、刑事たちに通告してくる。
そして、五つ目の殺人をしたあと、血だらけで自首してくる。
そこで、主人公の刑事たち二人だけなら、六つ目七つ目の殺人現場に案内するという。
犯人との取引が成立し、犯人の指示する現場に到着すると、一台のバンが荷物を運んでくる。
運転手は依頼されただけだと言って、荷物を刑事に渡すが、それは刑事ミルズの奥さんの首である。
それを知らされたミルズは、怒り心頭に達し、その場で犯人を射殺してしまう。
殺されながら、犯人は七つ目の大罪は<怒り>だと呟く。

 六人もの人間を殺すのだから、それだけでも重大事件なのだが、しかし、六つ目の事件までは、単なる誇大妄想狂の偶発的な殺人であるに過ぎない。
現実には、これ以上の殺人事件がいくらでも発生しているのだから、この映画は多くの人間が殺されることを言うのではない。
ましてや、猟奇的な連続殺人が主題ではない。
六つの殺人事件は、あくまで導入なのであり、刑事ミルズの最後の殺人が主題なのである。

 正義の追及者である刑事でも、自分の愛する奥さんが殺されたときには、凶悪な殺人鬼と同じように、犯人を殺したいのだとこの映画は言う。
それには同意しよう。
しかし、この映画が言うのは、それだけではない。
黒人の相棒刑事に、犯人を殺せば犯人の勝ちだぞと、報復殺人をとどまるように説得されるが、ミルズは射殺してしまう。
ここが、この映画の本当の主題である。
自分の刑事という立場、今までの自分の言動とのあいだで悩む姿を軽く越えて、犯人を射殺するのは、私刑の肯定である。
そして私刑の肯定は、今日まで人類の英知が築いてきた、法による正義に対する挑戦でもある。

 自分の大切な人が、何の落ち度もないのに、憎むべき凶悪犯によって殺された。
誰でも悲しみそして怒り、犯人に復讐したいだろう。
しかし、復讐の私刑を認めたら、正義はどうなるのだ。
近代にはいるときに、人類はそれに決着をつけてきたはずである。
正義は冷徹である。
必ずしも、正義に従うことが、人間の感情を癒すとは限らない。
だからこそ、立場と感情の狭間で悩む姿が、共感を呼んできたのである。
正義を実現せねばならない立場と、怒りにもえた復讐心のあいだで、発狂する結末もあったはずである。
しかしこの映画は、そうした悩みを省いて、人間の生の感情をそのまま肯定する。

 アメリカの映画は、越えてはいけない橋を、とうとう渡ってしまった。
「シリアス ママ」では、価値がよるところを失い、正義の実現が一人の恣意にゆだねられる状況を描いていた。
それでもまだ特定の人物=狂人という歯止めがあった。
「セヴン」では普通の人、しかも警察官という法の番人たる人間に、個人的な怒りの殺人を認めてしまった。
近代が、かろうじて約束した価値が、今ほころびはじめた。
アメリカが、ニーチェの末裔である必然か。

1995年のアメリカ映画


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