デヴィッド・フィンチャー   David Fincher

 1962年にコロラド州のデンバーで生まれた。ジョージ・ルーカスの「the george lucas's empire strikes back」 (1980)を見て、衝撃を受けた。 アニメーションの会社にはいって、映画の経験を積む。18歳の時、lucas' industrial light and magic (ilm) に就職し、そこで4年間にわたって働き、 「return of the jedi」 (1983)や 「indiana jones and the temple of doom」(1984)にふれた。その後、テレビのコマーシャルに移り、<the american cancer society>の仕事をした。また、エアロスミス、マドンナやポーラ・アブドルなどの音楽ビデオをてがけた。
 初めての劇場用映画である「エイリアン3」が、評論家たちに不評だったので、音楽ビデオの世界に戻ったが、「セヴン」で評判を回復する。そして、次作の「ゲーム」で、不動の地位を獲得した。「ファイト・クラブ」において、自身のスタイルを確立する。しかし、「ファイト・クラブ」は暴力と反社会性のために、賛否両論を巻き起こし、劇場公開期間が短くなり、制作費を充分には回収できなかった。
 アート・リンソン制作のもと、新たな会社を立ち上げ、ジョディ・フォスター主演で「panic room」(2002)を制作中である。<the internet movie database> 情報社会化を鋭く見つめ、現在もっとも注目できる監督の一人である。
エイリアン3 (1992/米) セヴン (1995/米)
ゲーム (1997/米) ファイト クラブ (1999/米)
パニック ルーム(2001/米) ゾディアック(2007/米)
ベンジャミン・バトン(2008/米) ソーシャル・ネットワーク(2010/米)
ドラゴン・タトゥーの女(2011/米) ゴーン・ガール(2014/米)

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