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黒人解放、女性の自立、ゲイの台頭といった、現代アメリカの抱える問題が、 どのあたりから始まったのか、時代の根底を見据える作品である。 今年はまだ半分近くを残すが、今年最高の作品の有力候補である。 ちょっと点は甘いが、星を2つ献上する。
1957年のコネチカット州のハートフォードでの話である。 1950年代というのは、第2次世界大戦の疲弊から、ヨーロッパ諸国が立ち直れずにいた。 そのため、アメリカだけが繁栄を謳歌し、最も輝いていた時代である。 この当時、アメリカでは女性が車を運転するのは、すでに普通のことになっていた。 しかし、我が国の自動車産業はまだ決定的に遅れていた。 国産車は箱根の国道を、登り切れなかった時代である。 ウィティッカー家は、主人のフランク(デイス・クエイド)とキャッシー(ジュリアン・ムーア)、それに子供2人と黒人のメイド(ヴァイオラ・ディヴィス)という、恵まれた生活を送っていた。 彼らは車をもち、紅葉の美しい郊外の屋敷に住み、おとなしい黒人を使って優雅な生活を満喫していた。 この家では、「アイ ラヴ ルーシー」「パパは何でも知っている」のような日々が過ぎていた。 地域の人たちは、パーティや慈善事業にも関心があり、豊かな経済力がゆったりした生活を支えていた。 彼女には不公平は我慢できなかった。 その彼女の夫フランクが、自分はゲイだと悩み出した。 今でこそゲイは市民権を獲得しつつある。 しかし、ゲイが許容されるのは、実は未だに都市においてだけかも知れない。 1957年のコネティカットの田舎町では、ゲイの存在すら想像できなかった。 当時はゲイは否定され、治癒されるべき病気だった。 ゲイ自身が病気だと悩んだから、精神科医に相談した。 しかし、自分がゲイである、もしくは夫がゲイであることは、絶対的な秘密だった。 それが表沙汰になれば、健全な市民としての権利は、完全に喪失させられた。 ジョン・ヒューストン監督の「禁じられた情事の森」が封切られたのが、1967年だったことを知れば、 ゲイがどういった待遇を受けていたか想像がつくだろう。 フランクが会社の役職にあるウィティッカー家は、典型的な中産階級に属すと言っていい。 しかし、キャッシーは時代に先んじすぎていた。 ゲイが禁止されていたように、1957年のコネティカットでは、黒人は別種の生き物だった。 当時のアメリカでは、清潔な白人中産階級の生活が、完璧に完成していた。 そして、黒人たちとはまったく別の世界を形作っていた。 そうした社会で、黒人差別を常識としないことは、大変な生活が待っていた。 2つの世界が画然と区切られているとき、差別されている方も自分たちの世界を守ろうとする。 キャッシーと仲良くした庭師のレイモンド(デニス・ヘイスバート)は、白人だけから差別されるのではない。 黒人仲間から疎外され、その街に住めなくなる。 もちろん黒人差別は否定される。 しかし、我が国で女性差別がなくならないように、差別の解消は一朝一夕には行かない。 白人中産階級の生活が完璧であるだけに、相対する白人以外の生活も、また完璧に閉じてしまうのである。 しかし、黒人差別が社会の常識となっているのが理解できないから、黒人差別を簡単に非難できるのである。 個人的に差別の解消を願っても、社会の仕組みが許さない。 黒人差別に逆らえば、職業が閉ざされ、生活がたちいかなくなる。 差別を嫌でも受け入れざるを得ない。差別の解消は、きわめて難しいのが事実である。 だから、差別が長く続いてきた。 アジア人への差別感情が根強く残る我が国には、アメリカ人の黒人差別を非難する資格はないように思う。 この映画は、美しいコネティカットの紅葉を背景に、 時代に少し早すぎた人間の悲劇を、ゆったりとした展開で描く。 時代を超えることが、いかに厳しいことか。 キャッシーも正しいし、レイモンドも正しい、今ならフランクだって正しい。 たった50年違いで、彼らは悩まなければならなかった。 この映画は3人の最後を見せないが、あれからの人生は困難だったろう。 彼らは生活の糧をどうやって稼いだのだろう。 白人中産階級が体現していた工業社会の権威が権威が疑われ、 反抗の狼煙が上がるのは、それから10年を待たなければならなかった。 既成の権威に対する問い直しは、1968年になってフランスの五月革命から始まり、 世界中の先進国へと燎原の火のように広がった。 アメリカにおける工業社会への、カウンター・カルチャーとして登場したピッピー・ムーヴメントは、時代への根底的な問いかけだった。 それがこの映画を見るとよく分かる。 どんな社会も支配者が、自らその椅子を譲ることはない。 工業社会の支配者たちも例外ではなかった。 しかし、今までの価値観では、工業社会が機能しなくなっていた。 白人中産階級を是とした時代自体が、新たな価値観を創造しないと、立ち行かなくなっていた。 白人中産階級から、はじき出されていた人たちの価値観を取り込まないと、 時代が動かない事態に直面し始めた。 それを白人たち自身が、ヒッピーという形で体現して見せた。 だから、黒人解放、女性の自立、ゲイの台頭が必然化するのである。 黒人たちの解放運動は、1950年代に始まったものではないし、女性解放運動も19世紀まで遡る。 ゲイだって歴史は長い。 しかし、彼らの存在を体制の支配者が、今まで必要としなかったから、運動は実を結ばなかった。 だから彼らの要求は、決して実現しなかった。 1960年を迎えると、工業社会の行き詰まりが予感され、新たな胎動が公認され始めた。 この映画は、その直前を描いている。 そして、現代は「めぐりあう時間たち」などが描くとおりである。 黒人解放、女性の自立、ゲイの台頭、これらはすべて同質の運動であることが判る。 この監督は、レイモンド、キャッシー、フランクという3人の登場人物に、等しくそれを体現させている。 (正確には黒人解放運動だけは、異人種間の解放運動である点で他の2者とは異なる。 女性の自立、ゲイの台頭は、いかなる民族の内部でも成立する問題であり人種間闘争ではない。 しかし、本論の文脈では同質と見なしても良いように思う。) 工業社会を支えた現実と観念の密着した肉体優位の価値観が、もはや機能しなくなった。 男性優位は行き詰まった。 異性愛への不信が正当性を持ち始めた。 肉体が象徴する具体性に決別し、現実とは一歩離れた観念への傾斜が、3者を共通に貫く主張である。 観念の自立は情報社会として、1980年代に産声を上げる。 女性の台頭によって、残されたのは子供だとは、当サイトの毎度の主張である。 今のアメリカ映画の主題は、子供だと何度も言ってきた。 この映画で、キャッシーが示す子供への態度は、今から見るととても不自然である。 大人の世界に、子供は決して入れない。 子供たちの希望を、キャッシーは冷たく拒絶する。 フランクとキャッシーの旅行も、子供は留守番である。 しかし、彼女に愛情がないわけではない。 大人と子供を画然として区別し、大人が優先する。 当時は、子供は大人の指示に従うのが当然だった。 だから、キャッシーは子供たちを冷たいとも思える態度で、子供たちを躾ている。 子供たちのフランクへの甘えを、彼女は許さない。 それが当時の常識で、無条件の愛情が肯定されるのは、ごく最近のことだ。 この不自然な演出の中に、後年の子供の台頭が読みとれる。 子供も人格を持った人間である、と主張するのはあと一歩である。 この映画の原題が「Far from heaven」であるのが、良く理解できる。 1957年のコネティカットは、天国からとても離れていたが、現代社会は多少なりとも天国に近づいた。 少なくとも被差別者にとっては、はるかに生きやすい時代になった。 この映画が、悲劇的だったろう3人のその後を、まったく見せなかったも、この時代が現代への前章だったことを物語る。 いかにもコダックの色調が、紅葉をきれいに見せる。 1957年のコネティカットらしき雰囲気も良く再現され、毎度のことながら自動車の保存には本当に感心する。 登場人物がやや定型化されすぎているのと、物語の展開がちょっと鈍いのが気になったが、 時代への真摯な取り組みには好感が持てる。 ダグラス・サークの影響を受けているらしいが、現代社会を考える上での、時代の整理としてこの映画は不可欠だろう。 2002年アメリカ映画 |
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