タクミシネマ           エデンより彼方に

☆☆ エデンより彼方に   トッド・ヘインズ監督

 黒人解放、女性の自立、ゲイの台頭といった、現代アメリカの抱える問題が、
どのあたりから始まったのか、時代の根底を見据える作品である。
今年はまだ半分近くを残すが、今年最高の作品の有力候補である。
ちょっと点は甘いが、星を2つ献上する。
エデンより彼方に [DVD]
公式サイトから

 1957年のコネチカット州のハートフォードでの話である。
1950年代というのは、第2次世界大戦の疲弊から、ヨーロッパ諸国が立ち直れずにいた。
そのため、アメリカだけが繁栄を謳歌し、最も輝いていた時代である。
この当時、アメリカでは女性が車を運転するのは、すでに普通のことになっていた。
しかし、我が国の自動車産業はまだ決定的に遅れていた。
国産車は箱根の国道を、登り切れなかった時代である。

 ウィティッカー家は、主人のフランク(デイス・クエイド)とキャッシー(ジュリアン・ムーア)、それに子供2人と黒人のメイド(ヴァイオラ・ディヴィス)という、恵まれた生活を送っていた。
彼らは車をもち、紅葉の美しい郊外の屋敷に住み、おとなしい黒人を使って優雅な生活を満喫していた。
この家では、「アイ ラヴ ルーシー」「パパは何でも知っている」のような日々が過ぎていた。
地域の人たちは、パーティや慈善事業にも関心があり、豊かな経済力がゆったりした生活を支えていた。


 社会的な公正さを大切にするキャッシーだったから、黒人たちにも平等に接する心の広い女性だった。
彼女には不公平は我慢できなかった。
その彼女の夫フランクが、自分はゲイだと悩み出した。
今でこそゲイは市民権を獲得しつつある。
しかし、ゲイが許容されるのは、実は未だに都市においてだけかも知れない。
1957年のコネティカットの田舎町では、ゲイの存在すら想像できなかった。
当時はゲイは否定され、治癒されるべき病気だった。

 ゲイ自身が病気だと悩んだから、精神科医に相談した。
しかし、自分がゲイである、もしくは夫がゲイであることは、絶対的な秘密だった。
それが表沙汰になれば、健全な市民としての権利は、完全に喪失させられた。
ジョン・ヒューストン監督の「禁じられた情事の森」が封切られたのが、1967年だったことを知れば、
ゲイがどういった待遇を受けていたか想像がつくだろう。

 フランクが会社の役職にあるウィティッカー家は、典型的な中産階級に属すと言っていい。
しかし、キャッシーは時代に先んじすぎていた。
ゲイが禁止されていたように、1957年のコネティカットでは、黒人は別種の生き物だった。
当時のアメリカでは、清潔な白人中産階級の生活が、完璧に完成していた。
そして、黒人たちとはまったく別の世界を形作っていた。
そうした社会で、黒人差別を常識としないことは、大変な生活が待っていた。

 2つの世界が画然と区切られているとき、差別されている方も自分たちの世界を守ろうとする。
キャッシーと仲良くした庭師のレイモンド(デニス・ヘイスバート)は、白人だけから差別されるのではない。
黒人仲間から疎外され、その街に住めなくなる。
もちろん黒人差別は否定される。
しかし、我が国で女性差別がなくならないように、差別の解消は一朝一夕には行かない。
白人中産階級の生活が完璧であるだけに、相対する白人以外の生活も、また完璧に閉じてしまうのである。


 我が国で黒人差別を非難するのはたやすい。
しかし、黒人差別が社会の常識となっているのが理解できないから、黒人差別を簡単に非難できるのである。
個人的に差別の解消を願っても、社会の仕組みが許さない。
黒人差別に逆らえば、職業が閉ざされ、生活がたちいかなくなる。
差別を嫌でも受け入れざるを得ない。差別の解消は、きわめて難しいのが事実である。
だから、差別が長く続いてきた。
アジア人への差別感情が根強く残る我が国には、アメリカ人の黒人差別を非難する資格はないように思う。

 この映画は、美しいコネティカットの紅葉を背景に、
時代に少し早すぎた人間の悲劇を、ゆったりとした展開で描く。
時代を超えることが、いかに厳しいことか。
キャッシーも正しいし、レイモンドも正しい、今ならフランクだって正しい。
たった50年違いで、彼らは悩まなければならなかった。
この映画は3人の最後を見せないが、あれからの人生は困難だったろう。
彼らは生活の糧をどうやって稼いだのだろう。

 白人中産階級が体現していた工業社会の権威が権威が疑われ、
反抗の狼煙が上がるのは、それから10年を待たなければならなかった。
既成の権威に対する問い直しは、1968年になってフランスの五月革命から始まり、
世界中の先進国へと燎原の火のように広がった。
アメリカにおける工業社会への、カウンター・カルチャーとして登場したピッピー・ムーヴメントは、時代への根底的な問いかけだった。
それがこの映画を見るとよく分かる。

 どんな社会も支配者が、自らその椅子を譲ることはない。
工業社会の支配者たちも例外ではなかった。
しかし、今までの価値観では、工業社会が機能しなくなっていた。
白人中産階級を是とした時代自体が、新たな価値観を創造しないと、立ち行かなくなっていた。
白人中産階級から、はじき出されていた人たちの価値観を取り込まないと、
時代が動かない事態に直面し始めた。
それを白人たち自身が、ヒッピーという形で体現して見せた。
だから、黒人解放、女性の自立、ゲイの台頭が必然化するのである。

 黒人たちの解放運動は、1950年代に始まったものではないし、女性解放運動も19世紀まで遡る。
ゲイだって歴史は長い。
しかし、彼らの存在を体制の支配者が、今まで必要としなかったから、運動は実を結ばなかった。
だから彼らの要求は、決して実現しなかった。
1960年を迎えると、工業社会の行き詰まりが予感され、新たな胎動が公認され始めた。
この映画は、その直前を描いている。
そして、現代は「めぐりあう時間たち」などが描くとおりである。


 黒人解放、女性の自立、ゲイの台頭、これらはすべて同質の運動であることが判る。
この監督は、レイモンド、キャッシー、フランクという3人の登場人物に、等しくそれを体現させている。
(正確には黒人解放運動だけは、異人種間の解放運動である点で他の2者とは異なる。
女性の自立、ゲイの台頭は、いかなる民族の内部でも成立する問題であり人種間闘争ではない。
しかし、本論の文脈では同質と見なしても良いように思う。)

 工業社会を支えた現実と観念の密着した肉体優位の価値観が、もはや機能しなくなった。
男性優位は行き詰まった。
異性愛への不信が正当性を持ち始めた。
肉体が象徴する具体性に決別し、現実とは一歩離れた観念への傾斜が、3者を共通に貫く主張である。
観念の自立は情報社会として、1980年代に産声を上げる。

 この監督の慧眼は、子供への視線まで考察されている。
女性の台頭によって、残されたのは子供だとは、当サイトの毎度の主張である。
今のアメリカ映画の主題は、子供だと何度も言ってきた。
この映画で、キャッシーが示す子供への態度は、今から見るととても不自然である。
大人の世界に、子供は決して入れない。
子供たちの希望を、キャッシーは冷たく拒絶する。
フランクとキャッシーの旅行も、子供は留守番である。
しかし、彼女に愛情がないわけではない。

 大人と子供を画然として区別し、大人が優先する。
当時は、子供は大人の指示に従うのが当然だった。
だから、キャッシーは子供たちを冷たいとも思える態度で、子供たちを躾ている。
子供たちのフランクへの甘えを、彼女は許さない。
それが当時の常識で、無条件の愛情が肯定されるのは、ごく最近のことだ。
この不自然な演出の中に、後年の子供の台頭が読みとれる。
子供も人格を持った人間である、と主張するのはあと一歩である。

 この映画の原題が「Far from heaven」であるのが、良く理解できる。
1957年のコネティカットは、天国からとても離れていたが、現代社会は多少なりとも天国に近づいた。
少なくとも被差別者にとっては、はるかに生きやすい時代になった。
この映画が、悲劇的だったろう3人のその後を、まったく見せなかったも、この時代が現代への前章だったことを物語る。

 いかにもコダックの色調が、紅葉をきれいに見せる。
1957年のコネティカットらしき雰囲気も良く再現され、毎度のことながら自動車の保存には本当に感心する。
登場人物がやや定型化されすぎているのと、物語の展開がちょっと鈍いのが気になったが、
時代への真摯な取り組みには好感が持てる。
ダグラス・サークの影響を受けているらしいが、現代社会を考える上での、時代の整理としてこの映画は不可欠だろう。

2002年アメリカ映画

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