タクミシネマ              チェイシング・エイミー

☆☆  チェイシング  エイミー   ケヴィン・スミス監督

 インディペンデント系の小さな映画だが、星二つをつける。
アメリカ社会は、いま猛烈な勢いで新しい理念を作り出している。
1年という短い単位で、時代を作る新たな理念が次々と生み出される力には、本当に感心するばかりである。
現場にいる当人たちは、新しい理念であるかどうかなど意識せず、それが快適だから作っているだけだろうが、本当に驚嘆に値する。

 ニューヨークに住む幼なじみのコミック作家、ホールデン(ベン・アフレック)とバンキー(ジェウソン・リー)は「ブラントマン&クロニック}を共作をしながら、いまや売れっ子の地位を手に入れていた。
ある時ホールデンは、黒人ゲイでしかも女役のコミック作家フーバー(ドワイト・ユエル)から、コミック作家のアリッサ(ジョーイ・ローレン・アダムズ)を紹介される。
彼女はゲイで、ゲイの友人たち=女性たちと一緒に行動している。
ホールデンは、運命的なものを感じて、彼女に愛を告白する。

ジョーイ・ローレン・アダムズ

 アリッサがゲイであることを知りながら、愛を告白したので、彼女は戸惑い怒る。
しかし、彼女は彼の気持ちを信頼し、かけがえのない人間だと思うようになり、ゲイからストレートに変身して、ホールデンと恋愛関係にはいる。
それに対して面白くないのが、バンキーである。

 彼は小さな時から、ホールデンと一緒だったし、半ば彼の後見人のつもりでいた。
しかし、アリッサが登場してからは、彼を奪われてしまった。
バンキーはホールデンに同性愛的な感情を、持っていることを感じ始める。
それを認めたくないし、認めたところで詮方ない。
嫉妬に狂うバンキーは、アリッサとホールデンの仲を何とか裂こうとする。

 バンキーの反対にも関わらず、ホールデンとアリッサの仲が上手くいきそうになったとき、バンキーはアリッサの高校時代の卒業名簿を持ってきた。
そして当時の同級生から、アリッサは男性狂いで、同時に二人との男性を相手にセックスをした、との情報をもたらす。
彼女のあだ名は蛸壷というのだった。
彼女の言葉を信じて、彼女はゲイで男性との経験はない、と考えていたホールデンは動揺する。

 アリッサにそれを確かめると、彼女は現在でこそゲイだが、ここへ至るまでは様々な性体験を経ており、3Pから獣姦まで経験していた。
彼女の経歴を知ったホールデンは、アリッサを愛していながら、その経歴をどうしても認めることが出来ず、彼女を非難する。
ここまでは今までの映画と同じである。
しかし、非難されたアリッサの返した言葉がじつに新鮮だった。

 「私は性的な経験を積むことによって、自分の好みが判った」
「今まで、多くの男性と関係を持ったが、すべて自分から望んでやったことであり、強制されたものではない」
「今の自分を作るための経験だから、特異な性体験を後悔もしないし、誰に謝るつもりもない」
「今までの経験が今の私を作ったのだ」
「今の私を好きなら、経歴を自分の価値観で裁かないで欲しい」

 それに対して、ホールデンは「君は男に遊ばれただけだ」と、まったく古い対応でしかない。
それが通るなら、私は男を遊んだだけだである。
男性は若いときに多くの女性と性関係を持つことは、一種の武勇伝として美化されるのに、女性のそれは許されないし、尻軽女と蔑視される。
そうした常識に対して、アリッサは強烈に反抗する。
正義は彼女の言うとおりである。性関係は男女にとって等価であり、男性の性関係が許されて、女性のそれが許されないと言うことはない。

 アリッサはコミック作家として収入があるから、誰に気兼ねすることなく、自分の好みで生きることが出来る。
それを誰も止めることは出来ない。
自分の存立基盤に自信がある女性たちは、もはや男性の意向を伺う必要がない。

 もちろん男性たちは(僕を含めて)、旧来の性意識にとらわれており、多くの男性経歴のある女性を、素直に認めにくい。
そこで女性たちも、先鋭化すればするほど同性指向になっていく。
男性と女性が同じ速度で意識変革されていく保証はないし、旧来の文化は我々の体や社会に染みついている。
簡単に新しい理念になじむことは出来ない。

 悩んだホールデンは、アリッサとバンキーを並べて、二人に心情を告白する。
バンキーにたいしてはゲイであることを認めろと迫る。
そしてアリッサとホールデン、それにバンキーの三人でセックスをすれば、自分たちの関係は上手くいくと説得する。
バンキーはそれにのるが、アリッサはそれを拒否。

 ホールデンの恋人でありながら、バンキーと関係するうちにバンキーへ体変わりするかもし得ないし、バンキーとの関係でアリッサがよがれば、ホールデンは内心穏やかではないだろうと、アリッサは言う。
アリッサはすでに3Pを経験したが、けっして三人の関係を強化することにはならなかったと言う。
ここでは精神的な関係を支えるものはセックスとは限らないが、精神とセックスの関係は重視されている。
アリッサの言葉には説得力がある。

 しかし結局、三人は分かれる。
バンキーとアリッサは、今までどうりにコミックを描き続け裕福である。
ホールデンはコミック業界から足を洗って、他の仕事に就く。
それから一年後になって、個人的な経験つまりアリッサとの関係と自分の心理を、コミックに仕立てて自費出版する。
その冊子をアリッサのところに届けて、映画は終わる。

 この映画の主題は、セックスそれ自体が関係性の保証にはならず、人間の関係はまったく精神的な緊張感だけが、担保するというものである。
相手が異性である必然はない。
もちろん同性もありだし、性も年齢も人種も関係ない。
ただ好感を持つこと、つまり純愛だけである。
今までの情報社会化の流れで来れば、当然の結論である。
1997年アメリカ映画。

 形に見える事実は、いっさいの重要性を失い、ただ精神的な愛情だけが、人間関係をつなぐのはまったく当然である。
それには反論の余地はない。
しかし、ここまで愛情至上主義を言われると、その愛情はどうやって担保するのかと問いたくなる。
この問いは無意味だとわかっていても、一体人間は何に頼って生きていけばいいのか、まったく判らなくなる。

 これは農耕社会から工業社会、つまり近代へはいるときに、カントが人間中心の認識論を建てた構造と同じである。
近代では神の秩序から、人間の秩序へ転回した。
その時に何を手がかりにすればいいのか、誰も判らなかった。

 しかし、時代は容赦なく進行し、人間の存立基盤を押し流していく。
カントはその時に新たな認識論を提出し、それが時代を正確に読めると考えた。
同じ現象が今起きている現実に、この映画作者たちは真っ正面から取り組んでいる。
近代は終わり、次の時代に入っていることは間違いない。

 恐ろしい時代が進行している。
けれどもそれから逃れることが出来ないとすれば、その中でいかに新たな秩序=理念を生み出し、人間たちの心が安まる環境を作ることが問われている。
それはまず表現者の仕事であり、それを追認するには哲学や認識論の役割だろう。
過去の思想家たちの仕事は、現代を切り開くために意味があるのであって、文献学的な重要性があるのではない。

 映画の中で、ホールデンたちのコミックにネタを提供している高校生二人が出てきた。
彼らは自分たちの生活風景を、ホールデンに提供し、ホールデンたちはそこからヒントを得て物語を構成していた。
そのネタの提供にたいして、ホールデンがかなりの大金を、肖像権使用料として支払っていた。
アイディアには正当な対価を支払う。
映画の中だろうが、そのシーンも考えさせられた。

 その高校生の一方が、悩むホールデンに「自分も同じ経験をした。
自分は女性の性遍歴を許せず分かれてしまったが、セックスはどうでも良い。
その女性は人間としての自分を求めていた。
しかし、それが判ったときはすでに遅く、二年もたってからだった」と言う。
この台詞が年下の男性から発せられるところは、年齢秩序の崩壊を如実に表している。
セックスが出来る年齢になれば、男女間の関係が始まるのは、年齢を問わないのは当たり前である。

 ベン・アフレック(マット・デイモンもちょい役で出ている)は「グッド・ウイル・ハンティング」以来の二作目だが、彼は良い映画に恵まれた。
マット・デイモンが「レイン・メーカー」というメジャーの映画に出たのにたいして、彼はインディー系を選んだが、その目は正しかった。


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