|
|||||||||
|
|||||||||
市井の平凡人を標的にして、強制的に「告白」させる恐柿を措いており、ハリウッド映画の底力を感じさせる。 狭い舞台設定での哲学的な主題の追求は、インディ系が得意とするところだが、娯楽作品として仕上げながらも、奥深い思考を見せるのは脱帽である。
携帯電話の普及で、電話ボックスがなくなりつつあるニューヨークでの話し。 スチュ(コリン・ファレル)はスターを夢見る若者に、マスコミや業界に売り込んでやると巧い話持ちかけ、怪しげなお金をかすめ取っていた。 今日も、パメラ(ケイティ・ホームズ)を売り込もうとしながらも、彼女とベッドを共にすることを画策していた。 彼にはれっきとした奥さんケリー(ラダ・ミッチェル)がいる。 だから、浮気がばれないように、細心の注意を払いつつ、ちょっとした遊びのつもである。 パメラへの連絡は、携帯電話を使わずいつも公衆電話からだ。 いつものように電話ボックスに入るると、何と注文もしていないのに、彼宛にピザが配達されてきた。 電話の男は、スチュの個人人的な事情をよく知っていたが、彼はそれが誰だか分からない。 やがて、スチュの態度が傲慢だという話から、奥さんがいながら浮気をするのは、許せないと詰問が始まる。 そして、詰問の開始と同時に、ライフルの銃口が彼に向けられていた。 この映画の舞台は、全編をとうして電話ボックスだけと言っても良い。 電話の声によって、個人の生活を暴かれ、底知れぬ恐怖を体験する。 相手の姿は見えない。 不条理である。スチュはそう感じながらも、ライフルの銃口が、彼をねらっているので動けない。 スチュの強気の態度が、徐々に崩れていく。 電話を使いたい売春婦が、彼に早く電話を切れとせっつく。 しかし、ライフルが彼をねらっており、脅迫されている彼は、電話を切れない。 脅迫されていることなど、知らない売春婦たちは、ヒモをつれて脅しにかかる。 電話の主が、ヒモを狙撃したことから、彼が殺人犯だと見なされて、警官が取り囲むことになる。 それ以降、スチュを仲立ちにして、電話の主とレイミー警部(フォレスト・ウィテカー)たちのやりとりが、緊張感を持って展開される。 降りることのできない状況におかれ、見えない相手から脅迫されるのは、「スピード」と同じである。 今度は、告白を求められるという精神的な要求で、情報社会での個人のあり方を、暴力的にあばく恐ろしさがある。 たしかに、スチュは真面目ではない。 しかし、彼のような人間はたくさんいる。 浮気をしたいと考える男もたくさんいる。 にもかかわらず、彼が標的になる。 アメリカのプロテスタンティズムを背景に、少しでも嘘のある人生は許さないという倫理が、映画を貰徹しており、犯人の脅迫がきわめて説得的である。 個人情報がどこかに集められ、まるで「1984年」のような監視社会ができあがっている現代、この映画の問題関心は実に鋭い。 スチュには相手の居場所が判らず、状況を支配する力は相手方にある。 ぎりぎりと主人公を追いつめる電話の主。 スチュにしても電話の主にしても、社会の同じ価値観にのっている。 だから、電話での理詰めな脅迫が、スチュに衝撃的かつ絶望的に響く。 電話の主は、言葉という論理で追いつめていく。 スチュも電話の主も男性であり、観念に生きているから、論理による追求が精神をえぐる。 これが女性が主人公なら、展開は全く違っただろう。 女性にこの手の脅迫は無理だろう。 ヒステリックに叫んでお終い、と言うことになりかねない。 巷間、裁判によって人間を裁くが、裁判は力ずくの強制ではないから、本当に本当のことを言っているか判らない。 偉そうな裁判官だって、完全無欠の人間ではない。 としたら、誰だって他人を裁いて良い。 銃口を向ければ、本当のことを言う。 傲慢で悪辣な人間には、判らせてやることが必要だ。 手続きを重んじる英米法のもとでは、限りなく黒でも無罪になるように見える。 我が国の刑事裁判のように、社会風潮で判決が変われば別だが、裁判が政治から独立していればいるだけ、無罪判決が出やすい。 ここにリンチを肯定する余地が出てくる。 この映画は、「シリアル・ママ」や「セヴン」といったリンチ肯定の映画とは違うが、最後に犯人は捕まらない。 決してリンチを肯定してはいないが、アメリカの社会正義がぶれているのだろう。 実人生を大勢の前にぶちまけるように、銃口で強制させられる。 これは正義の強制という、一種の人民裁判である。 奥さんがいながら、浮気をするのは悪い。 傲慢な態度は、人間として許されない。 確かにその通りである。 しかし、正義による裁きは、ファッシズムである。 むしろ、間違う人間による裁判だから、人生に意味がある。 告白を迫ってはいけない。 動かない主人公を中心に据え、台詞という論理で、観客をひきつける。 ストーリー展開といい、会話といい、綿密な脚本である。 映画は画面が動くから、ストーリー展開に変化が出せる。 しかし、この映画は電話ボックスだけが、いつも画面に映っている。 動きがない。 それでいて観客を引きつけ続ける。 決して映画の長さを感じさせない。 映画の構成といい、主題といい、今年の後半では最高の作品であろう。 星を2つ献上する。 2002年アメリカ映画 |
|||||||||
<TAKUMI シネマ>のおすすめ映画 2009年−私の中のあなた、フロスト/ニクソン 2008年−ダーク ナイト、バンテージ・ポイント 2007年−告発のとき、それでもボクはやってない 2006年−家族の誕生、V フォー・ヴァンデッタ 2005年−シリアナ 2004年−アイ、 ロボット、ヴェラ・ドレイク、ミリオンダラー ベイビィ 2003年−オールド・ボーイ、16歳の合衆国 2002年−エデンより彼方に、シカゴ、しあわせな孤独、ホワイト オランダー、フォーン・ブース、 マイノリティ リポート 2001年−ゴースト ワールド、少林サッカー 2000年−アメリカン サイコ、鬼が来た!、ガールファイト、クイルズ 1999年−アメリカン ビューティ、暗い日曜日、ツインフォールズアイダホ、ファイト クラブ、 マトリックス、マルコヴィッチの穴 1998年−イフ オンリー、イースト・ウエスト、ザ トゥルーマン ショー、ハピネス 1997年−オープン ユア アイズ、グッド ウィル ハンティング、クワトロ ディアス、 チェイシング エイミー、フェイク、ヘンリー・フール、ラリー フリント 1996年−この森で、天使はバスを降りた、ジャック、バードケージ、もののけ姫 1995年以前−ゲット ショーティ、シャイン、セヴン、トントンの夏休み、ミュート ウィットネス、 リーヴィング ラスヴェガス |
|||||||||
|