タクミシネマ         フォーン ブース

☆☆ フォーン・ブース   ジョエル・シュマッカー監督

 市井の平凡人を標的にして、強制的に「告白」させる恐柿を措いており、ハリウッド映画の底力を感じさせる。
狭い舞台設定での哲学的な主題の追求は、インディ系が得意とするところだが、娯楽作品として仕上げながらも、奥深い思考を見せるのは脱帽である。 
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 携帯電話の普及で、電話ボックスがなくなりつつあるニューヨークでの話し。
スチュ(コリン・ファレル)はスターを夢見る若者に、マスコミや業界に売り込んでやると巧い話持ちかけ、怪しげなお金をかすめ取っていた。
今日も、パメラ(ケイティ・ホームズ)を売り込もうとしながらも、彼女とベッドを共にすることを画策していた。

 彼にはれっきとした奥さんケリー(ラダ・ミッチェル)がいる。
だから、浮気がばれないように、細心の注意を払いつつ、ちょっとした遊びのつもである。
パメラへの連絡は、携帯電話を使わずいつも公衆電話からだ。
いつものように電話ボックスに入るると、何と注文もしていないのに、彼宛にピザが配達されてきた。


 乱暴にそれを断ると、奇妙な男から電話があった。
電話の男は、スチュの個人人的な事情をよく知っていたが、彼はそれが誰だか分からない。
やがて、スチュの態度が傲慢だという話から、奥さんがいながら浮気をするのは、許せないと詰問が始まる。
そして、詰問の開始と同時に、ライフルの銃口が彼に向けられていた。

 この映画の舞台は、全編をとうして電話ボックスだけと言っても良い。
電話の声によって、個人の生活を暴かれ、底知れぬ恐怖を体験する。
相手の姿は見えない。
不条理である。スチュはそう感じながらも、ライフルの銃口が、彼をねらっているので動けない。
スチュの強気の態度が、徐々に崩れていく。

 電話を使いたい売春婦が、彼に早く電話を切れとせっつく。
しかし、ライフルが彼をねらっており、脅迫されている彼は、電話を切れない。
脅迫されていることなど、知らない売春婦たちは、ヒモをつれて脅しにかかる。
電話の主が、ヒモを狙撃したことから、彼が殺人犯だと見なされて、警官が取り囲むことになる。
それ以降、スチュを仲立ちにして、電話の主とレイミー警部(フォレスト・ウィテカー)たちのやりとりが、緊張感を持って展開される。

 降りることのできない状況におかれ、見えない相手から脅迫されるのは、「スピード」と同じである。
今度は、告白を求められるという精神的な要求で、情報社会での個人のあり方を、暴力的にあばく恐ろしさがある。
たしかに、スチュは真面目ではない。
しかし、彼のような人間はたくさんいる。
浮気をしたいと考える男もたくさんいる。
にもかかわらず、彼が標的になる。


 「シリアル・ママ」や「セヴン」などの系譜をひく、些細な事件をネタにした一種のリンチものだが、脅迫犯の迫り方が一層不気味になっている。
アメリカのプロテスタンティズムを背景に、少しでも嘘のある人生は許さないという倫理が、映画を貰徹しており、犯人の脅迫がきわめて説得的である。
個人情報がどこかに集められ、まるで「1984年」のような監視社会ができあがっている現代、この映画の問題関心は実に鋭い。

 スチュには相手の居場所が判らず、状況を支配する力は相手方にある。
ぎりぎりと主人公を追いつめる電話の主。
スチュにしても電話の主にしても、社会の同じ価値観にのっている。
だから、電話での理詰めな脅迫が、スチュに衝撃的かつ絶望的に響く。

 電話の主は、言葉という論理で追いつめていく。
スチュも電話の主も男性であり、観念に生きているから、論理による追求が精神をえぐる。
これが女性が主人公なら、展開は全く違っただろう。
女性にこの手の脅迫は無理だろう。
ヒステリックに叫んでお終い、と言うことになりかねない。

 巷間、裁判によって人間を裁くが、裁判は力ずくの強制ではないから、本当に本当のことを言っているか判らない。
偉そうな裁判官だって、完全無欠の人間ではない。
としたら、誰だって他人を裁いて良い。
銃口を向ければ、本当のことを言う。
傲慢で悪辣な人間には、判らせてやることが必要だ。
手続きを重んじる英米法のもとでは、限りなく黒でも無罪になるように見える。


 我が国の刑事裁判のように、社会風潮で判決が変われば別だが、裁判が政治から独立していればいるだけ、無罪判決が出やすい。
ここにリンチを肯定する余地が出てくる。
この映画は、「シリアル・ママ」や「セヴン」といったリンチ肯定の映画とは違うが、最後に犯人は捕まらない。
決してリンチを肯定してはいないが、アメリカの社会正義がぶれているのだろう。

 この映画は真実の告白を迫る一種の裁判映画である。
実人生を大勢の前にぶちまけるように、銃口で強制させられる。
これは正義の強制という、一種の人民裁判である。
奥さんがいながら、浮気をするのは悪い。
傲慢な態度は、人間として許されない。
確かにその通りである。
しかし、正義による裁きは、ファッシズムである。
むしろ、間違う人間による裁判だから、人生に意味がある。
告白を迫ってはいけない。

 動かない主人公を中心に据え、台詞という論理で、観客をひきつける。
ストーリー展開といい、会話といい、綿密な脚本である。
映画は画面が動くから、ストーリー展開に変化が出せる。
しかし、この映画は電話ボックスだけが、いつも画面に映っている。
動きがない。
それでいて観客を引きつけ続ける。
決して映画の長さを感じさせない。
映画の構成といい、主題といい、今年の後半では最高の作品であろう。
星を2つ献上する。
 
 2002年アメリカ映画

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