タクミシネマ          ミュート・ウィットネス

☆☆ ミュート ウイットネス 
 
アンソニー・ウォラー監督

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ミュート・ウィットネス 殺しの撮影現場 [DVD]
 有名な俳優が登場するのでもなく、物が大々的に壊れるのでもない。
やや暗いレトロな画面。
ヒロインを助ける警官が正義なのか悪なのか判らない設定。
追いつ追われつのシーソーゲーム。
期待させながらのすれ違い。
主人公が死んだと見せかけてのハッピーエンド、良くできている。
決して派手さはないが、とてもいい映画である。
期待して観に行ったわけではなかったが、拾いものをしたような嬉しい映画だった。

 アメリカの監督が、ロシアに乗り込んで映画を撮っている。
それとは別にロシアの警察高官に指揮された、猟奇的な殺人場面を撮影する映画の密売組織があって、その組織が性交しながらほんとうに殺す映画を撮っていた。
その日の撮影は終わり、誰もいなくなった映画撮影のスタジオで、口のきけないの特殊メイク係りの女性が、撮影現場での殺人を目撃してしまうことから話は始まる。

 断末魔を見た彼女は、演技ではなく本物の殺人だと直感する。
その組織が目撃した女性を抹殺しようとする。
彼女は口がきけないので、助けが求められずに、たびたび恐ろしい状態に陥る。
この辺は、少しご都合主義的に安易なすれ違い場面があるが、それでも口がきけなかったら本当にこうなるだろうなと思わせてくれる。
それが、じつに恐い。

 声をだして助けを求められないことの恐さを、ずしっと味合わされる。
電話がダメ。
受話器を叩いてモールス信号を送る。
動転しているときには、それも難しい。
モールス信号を受ける方も、まわりがうるさかったりすると、小さな音だけに聞き取りにくい。
音をだすことが、他人の注意をこちらに向けるたった一つの手段であることを、いやというほど知らされる。
しかも音をだすことは、声をだすことが最も簡単だと理解させられる。

 身体障害者を主人公にした映画はたくさんあるが、それらは共感を呼ばないことが多い。
その理由は、障害者は特殊な人間でありながら、無理矢理に普通の人間と同じように見ようとしているからだろう。
たいていの障害者映画は、障害者が差別されているので、それは止めましょうという正義観の上に成り立っている。
ところがこの映画は、口がきけないことを前面にだし、口がきけないがゆえに困難に陥る。
そして、差別解消など何も触れない。
むしろ、障害を強調することによって映画を作っている。
ここが、この映画の最大の美点である。

 主人公の職業は、映画の特殊メイク。
まずここで障害者であっても、完全に一人前の仕事をしている前提が作られる。
特殊メイクの担当者は二人といらないから、彼女が一人前でなければ、誰も給料を払わない。
つまり、この映画は成立しない。
彼女の理解者で、彼女を助ける女性も設定されているが、まずなによりも本人が一人前の職業人でなければ、話が成り立たない。

 この前提があるから、彼女の口がきけない障害が、背が低いとかブスだとかといった、普通のこととして見ることができる。
障害を障害として認識することが、差別なき対応の基本である。
むしろ障害があるけど、彼女は頑張っていますという映画は、もうそれだけで差別に立脚し、差別を拡大している映画なのだ。

 ヒロインの最良の理解者が女性だというのは、男性として悲しいものがある。
普通の映画は、ヒーローとヒロインが出て来て、話が盛り上がるのだが、この映画に出てくる男性は、とんまな奴ばかりである。
役として映画のなかに出てくる映画監督は最高にトンマで、最悪のことばかりする。
終盤に正義派だとわかる刑事も最後には死んでしまうし、この監督はレスビアンか、それとも男性に悪意があるのかと、思ってしまうほどであった。

 マフィアと何かと噂の絶えないロシアだが、まさか警察ぐるみで、猟奇殺人のポルノを密売しているとは思えない。
共産党時代なら、ソビエト官僚が腐敗しているという映画の撮影には、場所を提供しなかっただろう。
アメリカ映画だから、以前ならセットでの撮影になっただろうが、いまやロシアでの撮影のほうが安く上がるのだろうか。
撮影協力費なるお金のためか、表現が自由になったためか、いずれにせよロシアで撮影されたのは驚きである。

 この映画は、情報社会になって、障害であることを事実として見つめる作業が、やっとできるようになったことを教えてくれる。
自宅の電話には人工発声機がセットされているので、口のきけない主人公でも自宅の電話では話せる。
しかもそれは、ラップトップのコンピューターと連動している。
コンピューターの発達は、間違いなく身体障害を無化する。

 この映画を身障者ものと観るのは、監督の本意ではあるまい。
障害者を健常者とまったく同じに扱ったという意味で、差別の地平を抜けでている。
マクマレン兄弟ほどではないが、やはりお金はかかってない映画である。
セットが少ないし、出演者は無名な人が多い。
障害者を別にしても、充分に恐かった映画である。
1995年アメリカ映画。


 *2003年7月20日に、ケーブルテレビでこの映画を見たというKazumiさんという方から、「終盤に正義派だとわかる刑事も最後には死んでないですよ」というメールをもらいました。確かに、死んで欲しくないキャラなのですよね。それは覚えているのですが、ずいぶん昔に見た映画なので、死んでなかったか覚えていないのです。ごめんなさい。
 この映画は有名じゃないですが、とても良い映画でした。Kazumiさんも好感をもたれたようで、嬉しい限りです。ご指摘いただいて、ありがとうございます。

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