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1950年代のイギリスでの話。 気のいい女性ヴェラ・ドレイク(イメルダ・スタウントン)は、平凡な主婦だった。 彼女の家庭には、本当に良き夫スタン(フィル・デイビス)と、2人の子供たちがいた。 内気な娘のエセル(アレックス・ケリー)にも夫レジー(エディー・マーサン)が見つかり、まさに幸福の見本のような家族だった。
彼女は若いときから、困った女性たちの援助をしてきた。 つまり、闇の堕胎を行っていたのである。 1950年という時代には、1861年にできた堕胎禁止法がまだ生きており、堕胎は重罪として厳罰をもって処されていた。 彼女の20年以上にわたる堕胎歴に、事故は一度もなかったが、今回、初めて術後の経過が悪い女性がでた。 彼女が病院に運ばれたことから、ヴェラ・ドレイクは逮捕、収監されてしまった。 そして、2年6ヶ月の禁固刑に服する。 映画の話はこれだけであるが、実に良い映画である。 幸せの絶頂まで物語を持ち上げておいて、彼女の逮捕・収監へと至る物語の展開も上手い。 気の良いヴェラは、無報酬で堕胎をしていた。 しかし、当時は堕胎は犯罪であることには違いない。 性交の結果、悲劇を被るのは女性である。 フェミニズムが好む発言だが、この映画は男性監督が撮っている。 そのため、ヒステリックに狭視的な展開ではなく、時代背景や人間性など考察が伴い、主題は観客に説得的に届いてくる。 どんなに禁止しても、セックスは行われる。 そして、避妊しなければ、望まない妊娠も発生する。 避妊や安全な人工中絶ができなかった時代、そのツケはすべて女性に来た。 個体維持でのリスクは、男性が負ったように、女性が種族保存を担う以上、そのリスクは女性が負った。 こうした事情は、男女の誰もが知っていた。 だから、堕胎も必要悪として、大人の男女の誰もが承知していた。 近代に入ると、生命の尊さが謳われた。 そこで種族保存における女性の自己決定権よりも、生命のほうが上位価値となった。 だから堕胎が禁止されてしまった。 この映画は、暴力的に犯された女性も登場させている。 しかし、その女性はお金持ちで、安全な病院で手術をしている。 お金のない女性たちが、ヴェラを頼ってきたのだった。 ヴェラを告発して裁いていくのは、もちろんお金持ちの裁判官たちである。 近代の都市という場所は、生殖の全体像を隠した。 ブルジョアたちは子供に性交の実態を教えなかったし、都市労働者たちも性交の実態を、教える回路をもたなかった。 農村では性を隠すものとせず、性交を上の世代が教えていた。 そして、農村において子供は労働力でもあったので、望まぬ妊娠の結果から生まれた子供でも、必ずしも歓迎されなかったわけではない。 しかし、都市では事情が違った。 農村と違って、都市の子供は労働者ではない。 子供の誕生は、消費量の増加を意味しただけだった。 だから、消費の増加に耐えられない場合は、子供の誕生は歓迎されなかった。 農耕時代でも間引きはあったろうが、堕胎の必要性は都市のほうが、はるかに高かったに違いない。 そうした事情をこの映画は、きちんと組み込んでいる。 ヴェラ自身もさることながら、夫のスタン、スタンの弟のフランク、そしてエセルの夫になるレジーたちが実に良い。 罪人となったヴェラを、彼等は今までと変わらず、むしろ敬意をもって接しさえする。 堕胎に対して、こうした態度をとる男性が多かったと思う。 男性が個体維持にリスクを背負っているから、女性が男性に敬意を表していたとすれば、種族保存にリスクを背負う女性に、男性が敬意を表するのは当然である。 近代では生命賛歌が優先したので、とかく女性だけが犠牲者だと言われる。 しかし、そんなことはない。 時代を背負うのは男性と女性であり、両者がいなければ、人間は存続できない。 それを知っていれば、両性は互いに敬意をもっていたはずである。 この映画は、堕胎という女性の問題と見られがちな事実を、人間の問題として展開している。 個体維持と種族保存の両方なければ、人類は存続できない事実とよく向き合っている。 ドレイク家では、クリスマス・パーティどころではないが、チョコレートを食べるシーンが描かれる。 ここでレジーが、今までで最高のクリスマス・パーティだ、といってヴェラに感謝する。 このシーンでは思わず涙がでてきた。 真剣に生きてきた男女が、片方の性にだけ責任を押しつけるなんてことはあり得ない。 レジーの発言は重みがある。 「中絶論争とアメリカ社会」を書いた荻野美穂さんのように、プロ・ライフ・フェミニズムなどという言葉を使ってしまう愚かさとは、本サイトは無縁である。 本サイトは、生命の尊重にはもちろん賛成するが、女性の自己決定権と胎児の生命を秤にかければ、自己決定権を優先させることに躊躇しない。 胎児が露出するまでは、胎児は女性の一部であるから、自己傷害が犯罪ではないように、堕胎は犯罪ではない。 近親者の精神障害を理由に堕胎する欺瞞に満ちたブルジョアへの批判。 堕胎を非難する息子のシド、ヴェラを好まないフランクの妻など、堕胎を批判する側へもよく目配せが効いている。 また、この時代の労働者の住宅が、いかに狭かったかよく分かる。 刑事の登場は、雪の降る寒い日である。 丁寧な時代考証、現実を直視する視線、良くできた脚本、しっかりしたカメラワークと画面構成などなど、この映画に文句なく2つ星を献上する。 2004年仏.英.ニュージーランド映画 (2005.07.24) |
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