タクミシネマ       イフ・オンリー

☆☆ イフ オンリー     マリア・リボル監督

 6年も一緒に生活していた男女のうち、俳優志望の男性ヴィクター(ダグラス・ヘンシャル)のほうが、他の女性に手を出す。
彼は常に本物の恋愛関係を求めており、現在の彼女シルヴィア(リナ・ヒーディ)との関係を精算して、新しい女性と付き合うつもりだった。
それをシルヴィアに告白すると、当然のことながら、シルヴィアとの関係はご破算になる。
それからいくらか時間がたって、彼女は新しい恋人デイヴ(マーク・ストロング)を見つけて、明日結婚する。

 映画はここから始まる。
ヴィクターは一度は他の女性に心を動かしたものの、やはりシルヴィアが忘れられず、結婚式の前日にも彼女に復縁を迫る。
しかし、もちろんそれはかなわぬこと。
ふられた彼は、赤毛の女性バーテンを相手に、やけ酒を飲む。
彼女から優しく慰められるが、雨の中、彼は街をあてもなく放浪する。
酔っぱらってゴミ箱の中に入っていると、ゴミの収集人が来て、彼等がヴィクターに魔法をかけてくれる。
それはシルヴィアとの関係が破綻する直前まで、彼の時間を戻してくれるのだった。

 ヴィクターはそれまでの自分勝手な生活を反省して、シルヴィアを大切にし始める。
ところが、今度はシルヴィアが他の男性デイヴと関係が出来、とうとうシルヴィアが家を出ていってしまう。
彼は落胆して、前回のバーに通う。
もう一度、赤毛のバーテンに会いたかったからだが、そこには赤毛のバーテンなど最初からおらず、女性は別人のルイーズ(ペネロペ・クルス)だけだった。

 彼はどうして良いか判らず、失意のうちに日々をおくるが、いないと判っている赤毛の女性に会いたくてバーに通う。
そこのピアノ弾きと言葉を交わすうちに、ルイーズとも話が始まり、2人は恋人になる。
ルイーズは作家志望で、女性バーテンを主人公にした小説を執筆するために、バイトをかねてバーテンを体験していると言う。
ある時、ルイーズの書いた原稿を読んだ彼は、コメディに目覚め、BBCのオーディションを受ける。
それが当たって、それからの彼は出世街道をまっしぐら。
その年のテレビのオスカーを受賞し、ルイーズとも結婚する。

 一方、他の男性とつきあい始めたシルヴィアは、最初のうちこそよかったが、相手の男性が仕事ばかりして、2人は疎遠になってしまう。
しかも彼は、人類愛にもえて、世のため人のために仕事をしているから、彼を非難することはできない。
そんなときにヴィクターの幸運を見て、受賞会場に駆けつけるが、彼はいまやルイーズと盤石の関係を作っており、彼女はただ慰められて帰る。
その帰り道、シルヴィアはヴィクターに魔法をかけた清掃人にあって、彼女も魔法をかけられるところで映画は終わる。
このエンディングに救いがあり、しかも男女が同じように扱われていてとてもよかった。

 女性が自立し、男性と同じように生活力を持ってくると、女性の選択肢は男性と同じになる。
この映画でも、女性は精神分析医で経済力がある。
それにたいして、ヴィクターのほうは駆け出しの俳優で、本屋でバイトをしている。
男女の経済生活は同じである。ここでは男性の浮気もありだし、女性の浮気もありである。
浮気をした結果は、まったく変わらない。

パンフレットから、優しいエンディング

 養う・養われるという生活上の必要性で、男女が一緒に生活しているのではない。
だから、精神的な関係が切れれば二人の共同生活はたちまちご破算になる。
捨てられるほうには辛いけれど、受け入れなければならない。
情報社会でのカップルのあり方としては、この通りである。
生活上の物質的な必要性がないところだからこそ、二人の精神的な緊張関係が必要になるのだ。
この映画の監督はそれが良く判っており、ヴィクターにはルイーズという癒しの女性を差し向ける。

 ヴィクターはそれまでコメディーを馬鹿にしており、ルイーズの原稿を読んで初めてコメディーに目覚め、それが彼の人生を切り開いていく。
最後にヴィクターは、「もし、あのまま一緒に生活していても、ルイーズに出会って結ばれたと思う」とシルヴィアに言う。
男女の関係が何にも拘束されない時代での、男女関係にこの映画は大きな一石を投じている。

 男女の平等は、女性に幸運をもたらすばかりではなく、男性と同じ幸と不幸それに忍耐や厳しい社会的な対応を迫る。
養わなければならない女性を捨てることは、社会的な非難の的になった。
しかし、今後はもしその女性が、相手の男性にとって十分な魅力を持ってなければ、女性は簡単に乗り替えられるだろう。
それに対して、社会的な非難はない。
もちろん、その反対もありで、この映画のように男性も捨てられる。
両者にとって精神性がきわめて高くなる。
スライディング・ドアー」1997でも、男女の関係性をしつこく追っているが、最近のイギリス映画は本当に時代に目覚めてきた。
きわめて同時代的な主題を、良く追っている。

 この映画は主題だけではなく、映画としても優れており、
シルヴィアの心の上下にあわせて彼女の姿もはつらつとしたり、くすんできたりと変化させている。
こうした演出はアメリカが優れていたが、「秘密と嘘」1996といい、とうとうイギリス映画も現代的な演出に達してきた。
一般にイギリス映画はお金をかけていなかったが、この映画はそこそこにお金がかかっており、お金が集まりだしたことは実力が付いてきた証だろう。

 イギリスとスペインの共同製作だから仕方ないとはいえ、難を言えばヴィクターの救いに、スペイン人女性を登場させていることである。
ルイーズ自身に魅力があるかどうかではなく、情報社会の人間ヴィクターがより共同体指向の強いスペイン人に癒される構造である。

 先端的なればなるほど、個人が孤立してくるから、共同体指向がおきるのは判るが、この構造自体が実は女性差別と同じだと言うことに気づいて欲しい。
魔法をかけるゴミの清掃人にも、スペイン人を配していたところを見ると、共同体指向が女性差別と同根だということには、この監督の思いが届いていないように感じた。
しかしそれを考慮に入れても、この映画にイギリス映画で初めての星二つをつける。

 バーのピアノ弾き、赤毛の女、精神分析医のシルヴィア、ヴィクターなどキャスティングも適材適所でうまかった。
また、夜のゴミの収集所がとても美しかった。アメリカで映画教育を受けたスペイン人のマリア・リボル監督には、今後大いに期待する。
英語の題名は、「the man with rain in his shoes」
1998年のイギリス、スペイン共同製作映画


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