1947年生まれの台湾の監督、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の1983年の作品である。
侯監督が、この映画で見せる人間観察眼に、ただもう脱帽。
鋭く深くしかも暖かい人間観察が、ゆったりとした画面に、しっかりと計算されて展開される。
超一流の映画である。
優れた映画監督とは、同時に優れた知識人であることが判る。
優れた知識人は、世界中で共通した視線を持っている。
映画は思想の表現であり、哲学的な思索の軌跡である。
ある年の夏休み、冬冬(トントン)という男の子とその妹が、お母さんが病気治療で入院したので、台北からおじいちゃんやおばあちゃんの住む田舎に預けられる。
おじいちゃんは田舎のお医者さんで、何人かの使用人をおいている。
これがまた、なかなかのインテリで、大人の風格がある。
おそらくかつては日本の医者も、彼のような地方に腰を据えた知識人だったんだろう。
手回し蓄音機で、西洋音楽を聴くところ等は、西洋文明にあこがれた日本と同じである。
台湾は東アジア文化圏で、しかも日本に植民されていたせいもあり、我が国と本当によく似た近代化の行程をたどっている。
子供の服装、街の風景、鉄道の普及、立身出世、物質文明の先行など、まるで我が国の昔を見ているようである。
日本が占領したので、台湾人たちは困惑しただろうが。
トントンたちと一緒に田舎に向かったおじさんが、途中駅でガールフレンドを見送っているうちに、列車に乗り遅れる。
先に田舎の駅に着いたトントンたちは、そのおじさんを駅で待っている。
そのシーンからして、都会の子が田舎に来ることを、ラジコンのおもちゃで象徴しながら、田舎の子供たちとの対比と実に計算された人物配置で見せる。
都会育ちの冬冬には、田舎の遊びが新鮮に映る。
田舎のガキどもと同じ子供であるトントンは、たちまち仲良しになり、木登り、川遊びと、田舎の遊びに毎日忙しい。
寒子と呼ばれる智恵遅れの若い女がいたり、強盗を目撃したり、おじさんがガールフレンドを妊娠させて相手の親から怒鳴り込まれたり、様々なことに出会う。
トントンのおもちゃであるラジコンと田舎の子のおもちゃである亀の交換、それを見た他の子供たちがそれぞれの亀を持ってくるシーン。
監督自身の子供時代の話を下敷きにしているのだろうか、ほほえましい子供社会の素直な観察眼である。
台詞のない妹の役割も、良く効いている。
寒子が雀鳥の男に妊娠させられる話、それを怒りながらも、生ませたいと思う親の気持ち。
不妊手術が可能になりながらも、まだ共同体が崩壊していないので、寒子の妊娠に関しても、寄り合いがもたれる。
現代日本なら、強姦という単純な犯罪だが、罰することより寒子の子供をどうするか、それに対応する人々。
監督の意見を押しつけず、複雑な親の心境をそのまま画面に見せる。
かってに結婚するおじさんを、おじいさんは許さず、結婚式にはトントンだけが出席する。
農耕社会では生産力に限界があり、家の乱立は共同体の崩壊を招くから、結婚は社会的な認知や支えが必要で、個人的な願望では不可能だった。
父権が強大で、家長の権限が家族の全員に及んでいる、農耕社会の上層階層の心情である。
結婚前の女性を妊娠させた、我が子の結婚式に出ない男親、それを隠れて援助する女親。
親の意見に従わずに生きることができるようになったのは、共同体や家が崩壊し始めた証なのだが、動き始めた社会の中で、各々の役割に誠実に生きる人々。
この父親の姿勢は、次の時代には、すぐ時代遅れになることは、我が国の歴史が証明している。
しかし、時代や社会を背負っているが故に、素直に愛情に従うことができない男たち。
愛情だけが社会を支えるには、まだ生産力が低い。時代の転機である。
あまり出来のよくないおじさんが、強盗を友達だというのでかくまってしまう話。
出来が良くないが故に、悪い友人をかくまってしまう人間的な優しさ。
初期工業社会では、優しい人は出世できない。
表面的な社会の正義だけが、人間のとる道ではないと、監督は言いたかったのだろう。
それを知った冬冬が、口止めされたにも関わらず、おじいさんに告げ、警察に捕まる話。
おじいさんは社会の正義だから、正当な市民のなすべきことだと言って、警察に通報する。
しゃべってしまったことに対する、冬冬の後ろめたさ。
そのあと、おじさんが痔で痛がる話。
こうしたエピソードを連ねながら、人間描写として上手に使って、哲学とも言うべき社会観察を展開する。
農耕社会なら病気に対しては呪術で対応するしかなく、外科的な手術自体がないから、冬冬のお母さんは死を待つばかりである。
共同体の崩壊を知りながら、最後には手術を成功させ、工業社会の到来を肯定している。
そのなかで、農耕社会から初期の工業社会へと転じるときの、典型的な人間模様を暖かく見ている。
農耕社会には、どこにも智恵遅れの人間がいて、馬鹿にされながらもそれなりに生活していた。
彼等(彼女等)の生活の道も、それなりにあった。
情報社会では肉体障害はもはや障害ではないが、知的障害は絶望的な状況に陥る。
知的障害者の自立の道は狭くなるばかりである。
彼等(彼女等)は今や施設に収容され、智恵遅れの人間を見ることはなくなってしまった。
1983年の作品だと言う。
台湾がこの時期に近代化に入ったのだろう。
近代のひずみが言われる現在、わが国では懐古的になりがちである。
しかし台湾では、同時代を描いているためか、過ぎ去った時代を懐かしむ過去への郷愁がなく、今を見る確かな目が感じられる。
また多くの人は、近代化の狭間で、落ちこぼれる弱者を描きたがるものだが、侯監督は特別の弱者をではなく、普通に生きる人々を淡々と描く。
この姿勢には、彼の懐の深さと大きな愛情を感じる。
過去を懐かしんだり、良い時代だったという姿勢には、表現者が高所から見る無意識の優越感が潜んでいる。
表現者による郷愁の肯定は醜いものだが、この監督はそうした姿勢を全く見せない。
また、映画監督という強者が、智恵遅れという弱者を描くときは、弱者のほうに感情移入しがちだが、それは傲慢で非人間的な姿勢である。
本人は思いやっているのだろうが、真摯さにかける。
弱者を代弁して、強者が弱者保護の発言することは、醜い優越感の現れである。
この監督は、智恵遅れの人間をただ、淡々と現実のままに描く。
この抑制された姿勢こそ、全ての人間を等しく大切なものと見る視点であり、真摯な人間愛を持ったものである。
弱者を弱者としてそのまま見るがゆえに弱者が大切にされる社会と、強者が弱者保護を代弁する差別社会の逆説に気がつく人は少ない。
後者にあっては、強者である自分が決して弱者になることはないと言う、無意識の人間の質的な違いが背景にある。
それが醜い。
この映画は、SFXなど特別の技術を使っているわけでもなく、タイトルの撮り方が洒落ているわけでもない。
俳優が上手いわけでもない。
監督が主題をきっちりと設定して、主題に従って本当にオーソドックスに、しかも丁寧に撮っている。
それでも、いやそれであるがゆえに、主題が素直に見える。
映画の神髄は、主題の価値につきるという、典型的な例である。
映画は監督のもの、それもまたこの映画で知る。
平凡な日常を、計算された脚本とカット割りで、丹念につないでいく。
そしてその中から、監督のみが知る主題をにじませてくる。
これこそ誰をも感動させる、映画作りの王道である。
ただ絶賛あるのみ。
原題は「冬冬的假期/A SUMMER AT GRANDPA'S」1983年台湾映画
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