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今後2度と、ソフィア・コッポラの映画は見ない。 家族総出のお楽しみは、商業映画として劇場で上映しないでくれ。 コッポラ家なら、映画館くらい買えるだろう。 家で上映して欲しい。 学芸会の出し物以下である。
親は金持ちだから、お金はふんだんに与えられた。 1人で寂しい思いをした。 この映画の設定は、ソフィア・コッポラが育った環境なのだろう。 だから、親たちは子供の希望をすべて叶えようとしている。 たまたま「ヴァージン・スーサイズ 」が当たったからと言って、映画製作もOKというのだろう。 ソフィア・コッポラはフォトグラファー、女優、デザイナー、モデルとマルチ・タレントぶりを発揮し、「シャネル」で学び、「milk fed」というファッション・ブランドも持っている。 しかし、今回の映画を見ると、映画作りは誰かが裏で手伝ってきたように感じる。 「ロスト イン トランスレーション」も駄作だったが、父親の栄光は強力なのだろうか。 「ヴァージン・スーサイズ 」の繊細なカメラワークはまったくない。 露出があわないので発色が悪く、ちょっと暗くなると目を覆うばかりだ。 クリント・イーストウッドも「ミリオンダラー ベイビィ」では、1シーンだけ露出不適正だったが、この映画は数え切れないほど露出不適正なのだ。 早撮りでたまたま1カットだけ、アウトというのなら仕方ないだろう。 しかし、この映画では無数にあるのだ。 ライティングは撮影監督の責任だとしても、指示を出すのは監督だし、最終責任は監督にある。 いままで親の威光で、まわりが支えてくれていた。 それが今度は自分でやらなくてはいけなくなって、馬脚があらわれたと言うところじゃないだろうか。 カメラワークが不様なほどに最悪である。 冒頭の車が走るシーンだって、まったく同じシーンを5回見せる。 ここですでに駄作が見えている。 目の前を左から右へと、黒のフェラーリが駆け抜けて視界から消える。 向こうのほうを右から左へと同じ車が走る。 ただそれだけのシーンが、のんびりと5回繰り返される。 その間、台詞はなし。 もうこれだけで観客の興味はゲンナリしてしまう。 2人のダンサー達は、ポール持参で部屋にやってきて、ダンスまがいの踊りを見せる。 これも彼女たちがポールにしがみついて踊るシーンを、ながながと6カットも見せる。 ジョニーの顔を映した後、ダンサーを映す。 ダンサーは美しい姿態を見せて、ただポールにしがみついて、無言でぐるぐる回るだけ。 彼女たちはスタイルこそ良いが、あれでは場末のヌードダンサーである。 しかも、そのカットたるや、ゆうに10秒は超えている。 しかも、時間をおいて同じシーンが、ながながとくり返される。 他にも同じカットの繰り返しがあり、もううんざりである。 ハリウッドの映画スターの孤独など、まったく伝わってこない。 人生の空虚さに生き直すなど、映画の前宣伝文句がちゃんちゃらおかしい。 とにかく、もうソフィア・コッポラの映画は2度と見ない。 この映画がヴェネチア国際映画祭で金獅子賞をとったということは、ヴェネチア国際映画祭はどうしようもないということだ。 原題は「SOMEWHERE」 2010年アメリカ映画 (2011.4.12) |
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