タクミシネマ     チェンジリング

チェンジリング    クリント・イーストウッド監督

 1928年にロス・アンジェルスで、ウォルター少年が失踪した。
母親のクリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は、必死になって探す。
数ヶ月後に、警察が捜し出してくれた少年は、ウォルターと名乗るが、別人だった。
事実をもとにしていると、映画の冒頭に文字の説明がでる。

IMDBから

 クリスティンは別人だと訴えるが、警察はまったく取り上げない。
反対に狂人扱いされて、警察官の一存で、精神病院に収容されてしまう。
幸いなことに、彼女の訴えに耳を傾けてくれる人がいた。
ブリーグレイブ牧師(ジョン・マルコビッチ)は、当時のロス・アンジェルス警察の無能さに苛立っており、今回も真実はクリスティンのほうにある、と思っていた。

 当時のロス・アンジェルス警察は、多くの事件に対して、たいした捜査をしなかった。
見込み捜査で、かんたんに射殺していた。
そのため、市民の安全がおかされていた。
この事件も、偶然から犯人がわかり、解決へと向かうが、結局、ウォルター少年は死んでいた。
ただこれだけの話だが、なかなかに見せる映画に仕上がっている。


 「ミリオンダラー ベイビィ」と「硫黄島からの手紙」へと、民主党に鞍替えしたと思わせたクリント・イーストウッドだが、この映画はやはり共和党支持だと思わせる。
警察権力に対して、自分を守るために個人が立ち向かう。
ミスティック リバー」と同様に、この映画では、典型的な草の根民主主義が描かれている。

 1928年当時のアメリカでは、警察は令状なしで、精神病院へと収容できた。
警察に都合の悪い人物は、精神病院が代用監獄となっていた。
警察は組織に都合がいいように、人権無視のかってな捜査・逮捕をしていた。
クリスティンの主張が、人権の保護を確保する道へとつながっていく。

 自由とは、市民が権力に抗して確立するものだ、とこの映画は訴える。
少年の失踪という事件を、草の根民主主義的にとらえるのは納得するが、話はちょっと単純に過ぎる。
映画はそれなりに仕上がっており、2時間20分をダレさせない。
手慣れており、危なげなく見ることのできる映画である。

 1928年当時の街の風景が、大規模に再現されている。
当時の路面電車をはじめ、大量のT型フォード、古い建物などなど、毎度のことながら感心させられる。
また、クリスティンが電話局に勤めていたことから、当時の職場が丁寧にえがかれている。
CGを多用しているのだろうが、凄い再現力である。

 しかし、映画としてみると、必ずしも絶賛できない。
まず、子供の失踪という話題に、主題的な発展性がないので、どうしても底の浅い展開にしかならない。
一種の謎解き、探偵映画にすぎないのだ。
しかも、事実にもとづいているからか、エピソードにも縛られており、「ミリオンダラー ベイビィ」のように話に柔軟性がなかった。

 母1人子1人の母子家庭をいとなむクリスティンにとって、ウォルターは彼女の生きがいだった。
その子供がいなくなったから、必死になるのは当然である。
親子という血縁が、子供探しをさせるように描かれる。
当時の時代状況を考えれば、当然の話だろう。
しかし、話題を血縁の親子に設定したので、エピソードが事実から離れることができない。

 事実にもとづいた映画は、事実のもつ衝撃力に負うことができるので、一面では説得力をもつ。
しかし、この映画はドキュメント映画ではない。
事実そのものではなく、事実を読み込むなかから、監督の主張を描くものだ。
そう考えると、この映画は事実に拘束されて、主張のふくらみに欠けるのだ。


 彼の映画から、共通して感じるのは、きわめて強い自立志向である。
自立志向という目で見ると、女性を主人公にしたこの映画や、ゲイの「真夜中のサバナ」、黒人の「トゥルー・クライム 」など、社会的な弱者への目配りが感じられる。
そのうえ、彼は観念主義者でもあると知る。

 この映画でも、最後に主人公に「ホープ」といわせるように、彼は観念への信頼がきわめて強い。
観念を大切に考えるから、彼の映画は情報社会に適合的なのだろう。
その意味では、この映画が親子という血縁=事実におったがために、やや息苦しい仕上がりになっていたに違いない。

 クリント・イーストウッドの職人的な映画作りが、すでにある水準に達していて、彼は何を撮っても平均点以上の映画を作る。
しかし、主題のない映画はありえないのだから、発展性のない主題を選んでしまうと、映画にふくらみがなくなってしまう。
謎解き映画ではないだけに、やや物足りなかったのも事実であった。

 ところで、民主党といえば、平和指向の進歩派で、共和党といえば、戦争指向の保守派と思いがちである。
しかし、クリント・イーストウッドをみていると、そう単純ではないように感じる。
今度の大統領選では、彼はオバマ支持ではなく、共和党のマケイン支持だった。

 共和党支持でありながら、この映画のような警察批判や、「父親たちの星条旗」のような反戦映画を撮っている。
また、「ミリオンダラー ベイビィ」では、血縁の親子関係よりも、精神的なつながりの擬似親子を優先させた。
我が国の保守派なら、こうした主張は決してしないだろう。

 ボクたちは政治的な対立を、保守対革新として考えがちだが、民主党と共和党の関係は、それだけではないようだ。
むしろ、個人的な民主主義の徹底が、自立した権力批判になっていく。
この構造が共和党の思考なのかも知れない。
現実の政治家との結びつきをはなれて、共和党を見直してみるのは意味があるかもしれない。

 原題は<さらった子供のかわりに、妖精がおいていく醜い子供>という伝説がある「Changeling」=取替え子である。
2008年アメリカ映画

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