タクミシネマ         アバウト ア ボーイ

 アボウト ア ボーイ    ポール&クリス・ウェイツ監督

 映画の世界では、女性の台頭はすでに完了した。
そんな感じすら受ける。
いまや女性映画は、自立後の孤独を描きこそすれ、自立を求めて旅立つ女性はもういない。
プロテストした先進国、とりわけアメリカとイギリスでは、女性はすでに自立したのだ。
少なくとも、自立の条件は整備された。
わが国でも条件は整備されつつある。
アバウト・ア・ボーイ [DVD]
公式サイトから

 男性が神から自立したのが、近代の入り口だとすれば、女性が自立して今、近代が終わる。
わが国のフェミニストは何も見えずにうろうろしているが、歴史は実に見事な演出を見せてくれる。
ところで、男性と女性が自立した後に残るのは、子供である。
アメリカもイギリスも、最大の関心事は子供にうつっている。

 「サンキュー ボーイズ」「海辺の家」「ワンダー ボーイズ」など、子供を主題にした映画が目白押しである。
こうした子供映画は、かつてのように子供を愛らしく無力な存在とは見ないし、保護の対象とは見ていない。
むしろ大人と同じ能力を持った、いや時とすると、大人以上の能力をもった子供という設定が多い。
女性が男性と等価だといわれた時代には、スーパー能力の女性がスクリーンに登場した。
いま、子供である。


 ウィル(ヒュー・グラント)は40近くなるというのに、いまだに独身でしかも無職である。
親の遺産があるので、働かなくても食える優雅な身分だが、それでは恋人はできない。
できても長続きしない。
ひょんなことでシングル・マザーと仲良くなったウィルは、次の恋人もシングル・マザーから、と計画した。
しかし、お目当てのスージー(ビクトリア・スマーフィット)ではなく、友人のフィオナ(トニ・コレット)の子供マーカス(ニコラス・ホルト)が引っかかってきた。

 60年代の生き残りのような、少し時代からずれたフィオナに育てられたマーカスは、思いやりがあって繊細でしかも図々しかった。
母親には恋人が必要だと考えたマーカスは、ウィルを恋人に仕立てようとする。
ウィルがフィオナに興味を示さないと見たマーカスは、何とか彼の興味を母親に向けようと懸命である。
しかし、いつの間にかマーカス自身がウィルと仲良くなってしまう。
というのも、ウィルは歳こそとっているが、精神状態はまるで子供だった。
だから、マーカスが相手をするには、ちょうど良かったのである。

 アダルト・チャイルドと呼ばれるように、大人になっても成熟できない人間が増えた。
それにたいして、男女が自立した後に残された子供は、否が応でも自立を迫られている。
子供が大人と同じ状況に追い込まれている。
同じ原作者のニック・ホーンビが書いた「ハイ フィデリティ」でも、同様の主題が描かれていたが、いまや大人も子供もまったく変わらない。


 登場する女性たちが、シングル・マザーばかりだが、彼女たちも苦労している。
経済的には充分にやっていけるのだが、精神的に厳しい状況に追い込まれ、フィオナは鬱になって自殺を図る。
それをマーカスは見ていながら、何とか助けようとするが、結局のところ個人の問題だと、作者は冷たく突き放す。
孤独は平等に訪れるのだ。そして、自分で脱するより他に道はない。

 わが国のフェミニズムは、女性は弱者だといって保護を訴えるが、弱者として保護されているあいだは自立できない。
近代の入り口で、男性が自立したイギリスでは、女性の自立も冷静に見られている。
個人的な精神の確立に、他人は力を貸せないのである。
アメリカのグループセラピーが、映画のなかでも使われていたが、むしろ皮肉に描かれているいる感じさえした。

 フィオナにしてもアフリカのファッションをまとい、子供にベジタリアンであることを強制してきた。
マクドナルドにも行かせず、自然食という不味いものばかりあてがってきた。
ヒッピーもマクドナルドもアメリカ産だが、フェミニズムの女性たちに馴染みが良いのは、なぜか自然志向である。
自然志向のフィオナは自分勝手だ、とずいぶん批判されている。
この映画は女性に厳しい。


 この映画は、女性が自立した後を描いており、子供が受難の時代になることを予感させる。
しかし、子供は汚れなき無垢な存在で、大人が保護しなければならないと、考えられるようになったのは近代以降である。
それまでは子供は小さな大人として扱われ、1人前の労働力にすぎなかった。
子供にたいする池波正太郎などの視線は、古い時代を反映して厳しくも暖かいものだった。

 この映画が描く時代が現代なのだが、わが国ではなかなか理解されないだろう。
ダメ男ウィルの物語として見られるに違いない。
ダメ男ウィルもしっかり者のマーカスもともに男性であり、この映画は男性への賛歌なのである。
いまだに女性すら自立していないのだから、子供の自立が焦眉の急だとは、判るはずがない。
残念ながら、先進国との距離は開くばかりである。
70年代の熱気をもったウーマン・リブは、どこへ行ってしまったのだろうか。

2002年アメリカ映画   

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