タクミシネマ        サンキュー ボーイズ

 サンキュー ボーイズ   ペニー・マーシャル監督

 実話をもとにした映画だと始まる。
1965年のコネティカット州は、ウォーリングフォードという小さな町での話。
ビバリー(ドリュー・バルモア)は15歳で妊娠してしまう。
小説家になるために未婚の母のまま、ニューヨークに出るつもりだったが、父親(ジェームス・ウッズ)は許さない。
しかたなしに相手のレイ(スティーヴン・ザーン)と結婚する。

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東京ウォーカーから

 1965年当時を振り返ると、この話の切実さがよくわかる。
ヒッピー運動がはじまっており、性の自由化が進み始めていた。
しかし、若者たちには避妊の方法も定かではなかったし、既成の文化は厳然としてそびえていた。
父親の職業が警察官だというのが、ビバリーは大変だったろうな、と想像させてしまう。
もちろん当時は中絶ができなかった。

 映画は、現在のニューヨーク、ビバリーが街角で、若い男性を待つシーンから始まる。
若作りの彼女には、恋人かと思うが、これが子供のジェイソン(アダム・ガルシア)である。
映画は、現在と過去を行ったり来たりしながら進む。

 ビバリーはレイと暮らし始める。
レイは気の良いやつだが、甲斐性のない男である。
彼女が大学への進学のために必死の思いでも、簡単に約束を破ってしまう。
とうとう麻薬におぼれ、ビバリーに家からたたき出されてしまう。
ビバリーは父親からの援助と、必死の働きでしぶとく、しかも明るく生きていく。
彼女はとうとうニューヨークの新聞社で、物書きの仕事を手に入れる。
苦労のすえの現在、本当に大変な人生だったろう。

 やっと念願の自分の本が出版できる。嬉しいだろうと思う。
しかし内容には、もとの夫だったレイのことがでてくる。
必ずしも良いことばかりではない。
出版社は訴訟をおそれて、レイの同意書がなければ出版しないと言う。
ビバリーとジェイソンを乗せた車は、レイの住む場所へと向かっていた。
それが最後に明かされる。


 現在のアメリカなら、単親での子育てもそれほど難しくないだろう。
1960〜80年代の女性運動は、女性の権利をたくさん獲得させたし、いまでは社会も単親での子育てを好奇の目で見なくなった。
しかし、この話は1965年から始まるのだ。
未婚の男女がセックスをするのも、許されない時代だった。
時代から突出した者は、いつの世でも辛い思いをする。
ビバリーも同じだった。

 本当に胸がいっぱいで、見ていられなかった。
ビバリーは実によくやった。
そして、不本意ながらも子供を、支援し続けた父親は偉かった。
子供のジェイソンが恋人のところへと旅だった後、父親の車にひろわれる最後のシーンは、万感の思いが伝わってきて感極まった。
父親もふしだらな子供を持ったという、社会的な批判の眼に耐えてきた。
2人は同じ思いを、じっと噛みしめていた。

 映画はもちろんある一つの例を示すだけである。
この映画がアメリカのすべてではないし、15歳で妊娠した女性のすべてが、この映画のような顛末をたどったわけでもない。
しかし、1本の映画ができる背景には、この映画が受け入れられるという、読みが必要である。
大金が必要な映画製作は、多くの人に見てもらえる可能性がないと始まらない。

 ペニー・マーシャルは、「レナードの朝」という女性の自立を描いた秀作を撮っているが、この映画も女性を大いに力づけるものだ。
セックスをしても良いんだよ、男と遊んでも良いんだよ、後の生活は大変だけれど、何をしても良いんだよ、と女性の生き方を全面的に肯定している。
おそらくそれは自分の人生とダブっているに違いない。
60歳になろうとする女性から、若い女性たちへの心を込めたメッセージだろう。


 この映画のすごいところは、麻薬におぼれていく駄目な夫を、まったく責めていないことだ。
酷い夫だったのは、はっきりとわかる。
しかし、夫を責めても、女性の人生は変わらない。
落ちぶれて場末に住むレイを訪ねるが、映画はレイを責めないし、批判も一切しない。
むしろ同居の女性(ロージー・ペレス)を批判的に描いている。

 原題は「Riding cars with boys」で、ボーイズが複数になっているのは、男性一般を意味しているのだろう。
原題に「サンキュー ボーイズ」という意味があるのか、どうか判らない。
しかし、映画全体を見ていると、自立していった女性が、あんなに手こずらせてくれた男どもに感謝している、とも充分にとれる。
アメリカのフェミニズムは、本当にすごいところまできた。
厳しかった過去をふりかえり、その厳しい状況に追い込んだ相手たる、男性たちに感謝する余裕まででてきた。

 女性の自立は、男性に支えられるのではなく、女性自身が自分の足で立つものだ。
この映画はそう言っているだけではない。
自分を鍛えてくれた逆境に感謝さえしている。
アメリカにだって男女差別は、いまだに厳然としてあるけれど、男性批判の時代は過ぎた。
逆境は必ずしも言い訳にはならない。
女性が自分の足でたてる、そんな時代になっている、と言いたいのだろう。

 「ゴースト・ワールド」「彼女を見ればわかること」のように、自立した女性たちの孤独も描かれる。
しかし、女性が自立したから、孤独におそわれるのであり、自立していない専業主婦には孤独はありえない。
アメリカの映画は、女性の自立をめぐっても、着実に進んでいる。
脱帽である。

2001年のアメリカ映画   

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