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驚くべき少年たちという意味だろうか。 若い頃に大変な才能を発揮した神童と、成長を続ける男性作家という難しい主題で、映像化は非常に困難だったと思われる。 内面の微妙な心理の動きをどう映像化するか、この心の動きを活劇としてみせるのは難しい。 若者と書けない作家というだけなら、才能溢れる若者との間の嫉妬といった定番の展開になる。 この作品の主題はそこにはない。 かつて小説を発表し一度は有名になったグラディ・トリップ(マイケル・ダグラス)は、今大学で教鞭を執りつつ創作を続けている。
しかも、サラの夫ウォルター(リチャード・トーマス)は文学部長で、グラディの上司というやっかいな間柄。 サラの家でのパーティで、ひょんなことからグラディとジェームズが遭遇。 ウォルターの飼っている犬に、グラディが噛まれたのを見るや、ジェームズがその犬を射殺してしまう。 グラディはジェームズを匿うことにするが、ジェームズの言動は嘘ばかりで真実は何もない。 駅に野宿していると言うかと思えば、地下室に閉じこめられていたという。 実は裕福な家の息子であり、虚言癖には両親も手を焼いていたのだった。 フィクションを日本語に直せば、嘘である。 ジェームスはすでに小説を書いており、グラディはそれを読む。 彼の作品は才能に溢れるものだった。 その作品は、友人の編集者テリーが出版の手はずをとる。 犬を殺したことなどにより、退学になりそうなところを、テリーにジェームズの首をつなげさせる。 一昔前までなら、新たな神童の才能に嫉妬する今は凡人となった、かつての神童が主題になっただろう。 しかし、50歳の彼はサラと再婚し、表現活動に専念できる幸福をかみしめるところで映画は終わる。 アダルト・チャイルドの極みであるが、この映画はそれを肯定する。 悩み、他人を傷つけ、必死に自分の人生を生きる子供大人たち。 それが現代なのだと、この映画は言う。実に判りにくい主題だが、まごうことなき現代映画である。 立場や年齢という枷が外れ、生身の人間がそのまま放り出される現代社会。 まさに観念に生きる情報社会の映画である。 映画製作者たちの心意気は理解するが、画面からだけでは彼等の主張を理解することは難しい。 また、サラを演じたフランシス・マクドーマンドの顔の表情は、彼女の心理が実に微妙に表現されていた。 何も壊れず、裸のベッドシーンもない。 坦々と進む映画であり、あまり金もかかっていないように見えるが、こうした難しい映画に出演するアメリカ映画人の懐の深さに感嘆する。 ちょっと疑問だったのは、グラディの乗っていた車が66年型のギャラクシーで、サラの乗っていたのはシトロエンのDSだったが、今やこんな車は走ってはいない。 この映画の時代設定は何時だったんだろうか。 2000年のアメリカ映画 |
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