ハイフィデリティとは、原音に忠実に音を再生すること、もしくはそのための装置、という意味だそうである。 大人になれない男ロブ(ジョン・キューザック)が、恋人ローラ(イーベン・ヤイレ)への諦めきれない思いを、切々と訴える映画である。 音楽好きでオタクなロブは、中古のレコード屋をやっている。 いままで、5人の恋人が想い出にのこっている。 青春を懐古しながら、去っていったローラへの思いの丈をこめて、映画は五人を描きだす。 やっぱりローラは最高だったのに、なぜ出ていったんだ、いったい僕のどこが悪かったんだ、と嘆く。
話は実にたわいがない。 すでに40に近くなろうとする男が、中古のレコード屋をやっているのだって、音楽オタクな連中を相手にしているにすぎない。 音楽好きな二人の店員は、二人とも通常の社会ではオチコボレだろう。 ディック(トッド・ルイーゾ)は音楽の知識は抜群に詳しいが、おとなしくて引っ込み思案な変わり者である。 もう一人のバリー(ジャック・ブラック)は、うるさくて客を客とも思わない接客態度である。 客を罵倒しても、彼のセンスには共感するから、ロブは怒るに怒れない。 この二人が良い演技をしている。 引っ込み思案でオタッキーなディックは、初めて恋人ができた喜びを上手く演技していた。 また、バリーは見るからに芸達者という感じで、バンドを組んだ舞台でもけっこうなボーカルを披露していた。 彼は振られてきた。 そのうちの一人は自分が振っておきながら、振られたと勘違いしているしまつ。 ようは自分中心で、まわりが見えずに、勝手な生き方をしてきたわけである。 成人になり、職業をもつようになると、人は誰でも、分別をもつようになる。 しかし、現代社会ではなかなか大人になれない。 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」では、高校生から大学生くらいの若者が、大人になれないイライラを描いていた。 この映画では40に手が届こうとするいい大人が、駄目なのである。 今では女性が強くなった。 そして、女性は実に堅実にやっている。 ローラはサーブに乗る弁護士である。 きちっとしたビジネススーツに身を包み、普段はキャリアウーマンである。 本当なら、ロブなんかと付き合う立場ではない。 もっともっと立派なキャリアの男性が、いくらでも相手になるだろう。 しかし、彼女はロブを甘えさせてくれる。 ロブを甘えさせるのが、彼女の趣味である。 ローラは、オタッキーな仕事にはまりこんで、身動きがとれない男性が好きなのだ。 オタクな女性もいるが、オタクの多くは男性である。 女性は男性によって、男性に適合するように作られるであって、あくまで客体として作られるのである。 それに対して、男性は男にならなければならない。 男性は男性を自分で作らなければならない。 もしくは男性は、みずから主体としての男性にならなければならない。 男性にならなければ、社会が受け入れないことは、作られる女性と同様である。 女性が客体であるのにたいして、男性は主体となるのだから、男性となれなかった男は悲劇である。 社会からオチコボレる以外にない。 ローラのように男を飼う女性もいなくはなかったが、かつては男性が女性を専業主婦として飼っていたのである。 それが女性も職業をもつようになったので、男性が飼えるようになった。 そういった意味では、この映画は男性を主人公にしてはいるが、女性の自立後を背景としていることは間違いない。 相対的に見ると、立派でしっかりした女性に、頼りない男性という構造である。 この状況は、おませで賢い女子に幼稚で腕白な男の子という、まるで小学校の男女関係そのままである。 これといった大事件があるのではなく、日常的な小事件が次々とおこり、ロブはそれへの対応で手一杯である。 押し流されそうになりながら、憔悴しながらも彼は何とかやっている。 いかにも現代的な状況である。そうしたロブを、映画製作者たちは温かく見つめ、最後にはローラをロブの元へ返す。 映画の機微をよくわかったエンディングであるが、実際の人間関係ではああはいかないだろう。 オタクな男性は、捨てられる運命にあるのだ。 女性が職業をもつようになったとはいえ、男性を飼うまで懐が深くなったとは思えない。 水商売的資質の女性ならいざ知らず、弁護士になろうなんて潤いのない女性は、まずロブには興味を示さないだろう。 学生時代には恋人だったかもしれないが、社会人になった女性弁護士は、堅実な道を歩くだろう。 ローラのように、不釣り合いなことはしないように思う。 しかし、映画とはいえ、こうした女性が登場することは、現実社会でも遠い将来ではなく近い将来のことだろう。 判る人には判る、そんな映画と言ったらいいのだろうか。 ティム・ロビンズ、ジョーン・キューザック、キャサリン・セダ=ジョーンズ、リリー・テイラーと脇役が達者で、小型な映画ながら、脚本もしっかりしており、丁寧に作られた映画だった。 レコード屋が舞台だから、たくさんの音楽が登場し、アメリカの音楽傾向もある程度想像がつき、楽しく見ることができた。 2000年のアメリカ映画 |
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