タクミシネマ         ハイ フィデリティ

  ハイ フィデリティ   スティーブン・フリアーズ監督

 ハイフィデリティとは、原音に忠実に音を再生すること、もしくはそのための装置、という意味だそうである。
大人になれない男ロブ(ジョン・キューザック)が、恋人ローラ(イーベン・ヤイレ)への諦めきれない思いを、切々と訴える映画である。
音楽好きでオタクなロブは、中古のレコード屋をやっている。
いままで、5人の恋人が想い出にのこっている。
青春を懐古しながら、去っていったローラへの思いの丈をこめて、映画は五人を描きだす。
やっぱりローラは最高だったのに、なぜ出ていったんだ、いったい僕のどこが悪かったんだ、と嘆く。

ハイ・フィデリティ 特別版 [DVD]
 
劇場パンフレットから

 話は実にたわいがない。
すでに40に近くなろうとする男が、中古のレコード屋をやっているのだって、音楽オタクな連中を相手にしているにすぎない。
音楽好きな二人の店員は、二人とも通常の社会ではオチコボレだろう。
ディック(トッド・ルイーゾ)は音楽の知識は抜群に詳しいが、おとなしくて引っ込み思案な変わり者である。
もう一人のバリー(ジャック・ブラック)は、うるさくて客を客とも思わない接客態度である。
客を罵倒しても、彼のセンスには共感するから、ロブは怒るに怒れない。
この二人が良い演技をしている。
引っ込み思案でオタッキーなディックは、初めて恋人ができた喜びを上手く演技していた。
また、バリーは見るからに芸達者という感じで、バンドを組んだ舞台でもけっこうなボーカルを披露していた。


 ロブの5人の恋人たちは、それぞれに魅力的である。
彼は振られてきた。
そのうちの一人は自分が振っておきながら、振られたと勘違いしているしまつ。
ようは自分中心で、まわりが見えずに、勝手な生き方をしてきたわけである。
成人になり、職業をもつようになると、人は誰でも、分別をもつようになる。
しかし、現代社会ではなかなか大人になれない。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」では、高校生から大学生くらいの若者が、大人になれないイライラを描いていた。
この映画では40に手が届こうとするいい大人が、駄目なのである。

 今では女性が強くなった。
そして、女性は実に堅実にやっている。
ローラはサーブに乗る弁護士である。
きちっとしたビジネススーツに身を包み、普段はキャリアウーマンである。
本当なら、ロブなんかと付き合う立場ではない。
もっともっと立派なキャリアの男性が、いくらでも相手になるだろう。
しかし、彼女はロブを甘えさせてくれる。
ロブを甘えさせるのが、彼女の趣味である。
ローラは、オタッキーな仕事にはまりこんで、身動きがとれない男性が好きなのだ。
オタクな女性もいるが、オタクの多くは男性である。

 女に生まれるのではなく、女に作られる、とボーヴァワールは言ったが、実のところこれでは言葉が足りない。
女性は男性によって、男性に適合するように作られるであって、あくまで客体として作られるのである。
それに対して、男性は男にならなければならない。
男性は男性を自分で作らなければならない。
もしくは男性は、みずから主体としての男性にならなければならない。
男性にならなければ、社会が受け入れないことは、作られる女性と同様である。
女性が客体であるのにたいして、男性は主体となるのだから、男性となれなかった男は悲劇である。
社会からオチコボレる以外にない。


 ローラのように男を飼う女性もいなくはなかったが、かつては男性が女性を専業主婦として飼っていたのである。
それが女性も職業をもつようになったので、男性が飼えるようになった。
そういった意味では、この映画は男性を主人公にしてはいるが、女性の自立後を背景としていることは間違いない。
相対的に見ると、立派でしっかりした女性に、頼りない男性という構造である。
この状況は、おませで賢い女子に幼稚で腕白な男の子という、まるで小学校の男女関係そのままである。

 映画の作り方としても、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」とよく似ており、ロブが画面に向かってえんえんと愚痴るのが続く。
これといった大事件があるのではなく、日常的な小事件が次々とおこり、ロブはそれへの対応で手一杯である。
押し流されそうになりながら、憔悴しながらも彼は何とかやっている。
いかにも現代的な状況である。そうしたロブを、映画製作者たちは温かく見つめ、最後にはローラをロブの元へ返す。
映画の機微をよくわかったエンディングであるが、実際の人間関係ではああはいかないだろう。
オタクな男性は、捨てられる運命にあるのだ。

 女性が職業をもつようになったとはいえ、男性を飼うまで懐が深くなったとは思えない。
水商売的資質の女性ならいざ知らず、弁護士になろうなんて潤いのない女性は、まずロブには興味を示さないだろう。
学生時代には恋人だったかもしれないが、社会人になった女性弁護士は、堅実な道を歩くだろう。
ローラのように、不釣り合いなことはしないように思う。
しかし、映画とはいえ、こうした女性が登場することは、現実社会でも遠い将来ではなく近い将来のことだろう。
判る人には判る、そんな映画と言ったらいいのだろうか。

 ティム・ロビンズ、ジョーン・キューザック、キャサリン・セダ=ジョーンズ、リリー・テイラーと脇役が達者で、小型な映画ながら、脚本もしっかりしており、丁寧に作られた映画だった。
レコード屋が舞台だから、たくさんの音楽が登場し、アメリカの音楽傾向もある程度想像がつき、楽しく見ることができた。

2000年のアメリカ映画 

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