タクミシネマ     テトロ 過去を殺した男

 テトロ 過去を殺した男
フランシス・F・コッポラ監督
Francis F.Coppola 

 コッポラは1939年生まれである。
この映画を撮ったときには70歳だから、充分に老人である。
彼ほどの実績のある人なら、巨匠と呼ばれるのがふさわしいだろうが、巨匠と呼ばれる頃になると、往々にして駄作を作ってしまいがちである。
しかし、この映画は極め付きの秀作である。
しかも、この映画は老人しか撮れないだろう。

 冒頭から素晴らしい。出演者のタイトルが、ライトを背景にしながら、斬新な画面で現れ続ける。
セヴン 1995」のタイトルも素晴らしかったが、この映画ではゆっくりと縦横斜めと現れる。
画面全体を使って、よくデザインされている。
これだけで映画への期待感がグッと高まる。

Still of Maribel Verdú and Alden Ehrenreich in Tetro
IMDBから
 舞台はアルゼンチンのブエノス アイレス。最初の登場人物ベニー(アルデン・エーレンライク:Alden Ehrenreich)が画面を歩いていく。
このシーンもうまい構図と、ややセピアがかかったモノクロで、これから始まる映画のすばらしさを観客に予感させる。
良い映画というのは、冒頭から秀作の雰囲気が漂っているものだ。
最初はモノクロに抵抗があったが、モノクロを使った必然に納得である。

 深夜、バスを降りたベニーがたどり着いたアパートには、兄アンジー(ヴィンセント・ギャロ:Vincent Gallo)がいるはずだが、妻ミランダ(マリベル・ベルドゥー:Maribel Verdu)しか登場しない。
寝室の扉の向こうに兄がいる雰囲気だけを伝え、それでも兄は現れない。
兄弟なのにと訝しい感じと、兄嫁ミランダの優しさが対照的に描かれて、ベニーは不可解なままその晩は眠りに落ちていく。

 映画は18歳のベニーが、兄アンジーを探しにくるという話である。
家族のあり方をアメリカ的な個人主義を、アルゼンチンの大家族主義のなかに置いて描く。
父親に裏切られたアンジーは、アメリカを逃げ出して、放浪の旅に出た。
過去を捨てた彼の辿り着いたところが、ブエノス アイレスだった。
心の広いミランダに拾われて、彼はやっと居場所を見つけたのだった。
そこへ過去の世界から、弟のベニーが現れたのだから、彼は困惑しベニーを拒否した。

 アンジーの屈折した心理・対応を、ベニーの目を通して丁寧に描いていく。
画面構成といい、途中で挟まれる劇中劇といい、実に上手い。
また、ダンスのシーンが3回ほど入るが、実力のあるダンサーなのだろう、これも上手いのだ。
そして、何度かカラーのシーンが使われているが、とても効果的である。
舞台をブエノス アイレスに置いた意味もよく発揮されている。

 大家族的な秩序が崩壊し、個人主義的な生き方が主流のアメリカ。
それに対して、大家族的な生き方が残っているブエノス アイレス。
アメリカはアンジーの心をヤスリでなぞったが、古き良きブエノス アイレスは傷心の彼をそっとしておいてくれる。
この構造は反対にしたら成り立たない。
アメリカ人がブエノス アイレスで癒されるのであって、アルゼンチン人はアメリカへと明日を夢見て旅立つのだから。

 アパートの階下に住むホセも良い奴だ。
アンジーはホセとは兄弟と呼び合っていながら、ベニーを友達だとホセに紹介する。
派手な夫婦喧嘩を演じるホセ(Rodrigo De la Serna)たちを、ベンーに2人は愛し合っていると説明するアンジー。
18歳のベニーにはこの心理が判らない。

 この兄弟は文学志望だったので、韻をふむという話が何度か登場する。
それは映像でもトレースされており、光が形を変えて何度も使われたり、じつに細かいところまで神経が届いている。
劇中劇が「Faust」でなく「Fausta」だというのも面白い。

 アンジーは父親に恋人を盗られた。
親子ほど年齢が違いながら、若い恋人は有名人だった父親になびいてしまった。
恋人が母親になったのである。
個人主義のアメリカでは、親子と言えどもライバルなのだ。
母親が生んだ子供ベニーは、アンジーの弟として育つ。
しかし、ベニーはアンジーの子供で、それを打ち明けた母親は、服毒自殺してしまう。

 ベニーはアンジーが父親だとは知らなかった。
ブエノス アイレスにきて、しかも映画の最後になって、その事実を知る。
アンジーもベニーも親子であることを受け入れ、二人が家族であることを確認して映画は終わる。
ここが救いになっているが、血縁への信頼は老いたコッポラの祈りかも知れない。
その意味では、まごうことなく老人の作品である。

 自立を強制される男性にとって、個人主義は疲れるものである。
大家族の途上国へと癒しを求めたくなるのはよく判る。
しかし、近代主義者のボクとしては、個人主義と心中するつもりなので、この映画の主題には若干の馴染みの悪さを感じる。
と言いながら、映画の完成度に対して星を進呈する。

 アローン(Carmen Maura)の役回りにちょっと無理筋の嫌いがあるのと、後半になって物語の展開がやや鈍く感じた。
3年前の作品だから、最近のアメリカ映画界が低調だという主張は変えないが、我が国の映画界ではけっして撮れない作品である。
また、この作品が、シネマート六本木だけの単館上映というのも、我が国の裏寒い映画批評を反映しているのだろう。
 原題は「Tetro」 2009年アメリカ、イタリア、スペイン映画  (2012.1.17)

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