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カズオ・イシグロのSFを映画化したもので、時代設定は1960〜90年代である。 イギリスの田舎が舞台なのだが、SFでありながら時代は過去という、この設定が不思議な感じを与えている。
「レポゼッション メン」は臓器移植に絡むローンを扱っていたが、この映画ではドナーを飼育しているのだ。 なぜ彼(女)等がドナーになるのかの説明は一切ない。 無前提的にドナーとして育てられて、成人すると無条件に臓器が彼(女)等から摘出される。 そして、2つか3つの臓器を摘出されて、死んでいくのだ。 キャシー(キャリー・マリガン)、ルース(キーラ・ナイトレイ)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)の3人は、仲良しとして育つが、キャッシーは介護士になる。 介護士とはドナーにつきそう人で、やがて自分も臓器提供者になる。 一時的に猶予されているに過ぎない。 ルースとトミーが恋仲だったが、じつはキャシーのほうがトミーを愛していたという。 ルースが強気でアプローチしたので、気の弱いトミーは応じてしまったのだ。 しかし、やがてキャシーとトミーが仲良くなるが、すでにドナーとなる時期が来ていた。 ちょっと判らないのは、ドナーを育てていた学校制度が閉鎖されたというのだ。 それでありながら、キャシーたちは諄々とドナーとして死んでいく。 ドナーたちは誰かのクローンらしく、本人達にはオリジナルが誰だか判らない。 にもかかわらず、唯々諾々と死んでいくのだ。 金持ち達は自分が病気になったときのために、クローンをつくって私立学校で育てているのだろうか。 しかし、そうした背景は何も描かれない。 ただ臓器提供して死んでいくだけ。 死を前にして、3人の微妙な心理が描かれ得る。 描かないことによって、表現の陰影が深くなったとも言えるし、主題が散漫になったとも言える。 イギリスの田舎教師らしく、生理不順のような女性たちが教壇に立っている。 学校に出入りする無口な男たち。 クローンを飼育し、自分に臓器が必要になったとき、クローンから摘出する。 自分のクローンであれば、拒絶反応など起きないだろう。 もともとクローンなのだから人格など云々する余地はない。 オリジナル至上主義の近代的な価値をめぐる話で、臓器移植するほうも、されるほうも、同じ人間だというのが主題だろう。 クローンでありながら、人間であることに違いはない。 しかし、クローンであるがゆえに人格を与えられていない。 クローンであっても、外見はまったく同じ人間である。 人間飼育学校が閉鎖になったのは当然だろうが、憂鬱な映画だった。 原題は「NEVER LET ME GO」 2010年イギリス・アメリカ映画 (2011.4.11) |
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