タクミシネマ        わたしを離さないで

わたしを離さないで  マーク・ロマネク監督

 カズオ・イシグロのSFを映画化したもので、時代設定は1960〜90年代である。
イギリスの田舎が舞台なのだが、SFでありながら時代は過去という、この設定が不思議な感じを与えている。

Still of Keira Knightley, Carey Mulligan and Andrew Garfield in Never Let Me Go
IMDBから
 全寮制の学校ヘールシャムでは、人体の臓器を移植をするためのドナーを育てていた。
レポゼッション メン」は臓器移植に絡むローンを扱っていたが、この映画ではドナーを飼育しているのだ。
なぜ彼(女)等がドナーになるのかの説明は一切ない。
無前提的にドナーとして育てられて、成人すると無条件に臓器が彼(女)等から摘出される。
そして、2つか3つの臓器を摘出されて、死んでいくのだ。

 キャシー(キャリー・マリガン)、ルース(キーラ・ナイトレイ)、トミー(アンドリュー・ガーフィールド)の3人は、仲良しとして育つが、キャッシーは介護士になる。
介護士とはドナーにつきそう人で、やがて自分も臓器提供者になる。
一時的に猶予されているに過ぎない。

 ルースとトミーが恋仲だったが、じつはキャシーのほうがトミーを愛していたという。
ルースが強気でアプローチしたので、気の弱いトミーは応じてしまったのだ。
しかし、やがてキャシーとトミーが仲良くなるが、すでにドナーとなる時期が来ていた。

 ちょっと判らないのは、ドナーを育てていた学校制度が閉鎖されたというのだ。
それでありながら、キャシーたちは諄々とドナーとして死んでいく。
ドナーたちは誰かのクローンらしく、本人達にはオリジナルが誰だか判らない。
にもかかわらず、唯々諾々と死んでいくのだ。

 金持ち達は自分が病気になったときのために、クローンをつくって私立学校で育てているのだろうか。
しかし、そうした背景は何も描かれない。
ただ臓器提供して死んでいくだけ。
死を前にして、3人の微妙な心理が描かれ得る。

 人間飼育学校の背景をまったく描かないことが、良いのか悪いのか、ちょっと判断が付かない。
描かないことによって、表現の陰影が深くなったとも言えるし、主題が散漫になったとも言える。
イギリスの田舎教師らしく、生理不順のような女性たちが教壇に立っている。
学校に出入りする無口な男たち。

 クローンを飼育し、自分に臓器が必要になったとき、クローンから摘出する。
自分のクローンであれば、拒絶反応など起きないだろう。
もともとクローンなのだから人格など云々する余地はない。
オリジナル至上主義の近代的な価値をめぐる話で、臓器移植するほうも、されるほうも、同じ人間だというのが主題だろう。

 クローンでありながら、人間であることに違いはない。
しかし、クローンであるがゆえに人格を与えられていない。
クローンであっても、外見はまったく同じ人間である。
人間飼育学校が閉鎖になったのは当然だろうが、憂鬱な映画だった。
原題は「NEVER LET ME GO」
2010年イギリス・アメリカ映画
(2011.4.11)

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