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実際におきた殺人事件などから思いついて、父権の喪失と絡めて描いている。 この監督は父権の喪失が、現代の無秩序を生みだしている、と考えているようだ。 結論から言えば、それは間違いだろう。 父権の喪失は、我が国全体の無気力化にも、敷衍できると考えているようだ。 悪の権化である村田(でんでん)が、主人公の社本(吹越満)に、おまえは逃げてばかりいると責める。 それは現代日本への批判のつもりなのだろう。 俺は立派に闘っているというが、しかし、社本はまったく逃げていない。 小市民的かもしれないが、彼はむしろ良くやっている。
社本の娘の美津子(梶原ひかり)がスーパーマーケットで万引きをして、夜、電話がかかってくる。 彼は妻の妙子(神楽坂恵)と駆けつけると、ふてくされた美津子がいた。 万引きの発見者である村田の取りなしで、警察への引渡はまぬがれる。 それが地獄へのスタートだった。 社本は小さな、村田は大きな熱帯魚屋で、同業者である。 村田は美津子を自分の店で働かせるように、社本を説得する。 社本は3年前に奥さんに死なれ、妙子を後妻にしたが、美津子との間が上手くいっていなかった。 そのせいか、社本と妙子の間もギクシャクしていた。 地獄のような殺人に巻き込まれていくのは、村田と出会ってしまった単なる事故に過ぎない。 問題は、この映画の設定である。 小心でおとなしい社本が、子供の非行に手がうてない。 好きで結婚した妙子とも、ギクシャクして上手く関係が結べない。 そのため、ラブホテルを利用していたと、村田に言わせているが、それが悪いことだろうか。 狭い家なら、子供の手前のびのびとセックスできないから、ラブホにいくのはごく自然だろう。 もっとも、社本の家はそれほど狭くはなかったが…。 子連れの社本と結婚した以上、しかも彼の職業は判っていたはずで、2人の関係の描き方がおかしい。 もっとリッチな生活を期待していたと言わせるが、20歳そこそこならいざ知らず、すでに40歳近くなっての結婚であれば、結婚生活の実態は見ていたはずである。 しかも、村田に襲われると、たやすく応じてしまい、ぶってくれと懇願するに至っては、理解不能である。 現代の核家族が、機能不全になっている。 それを認識しているから、この監督は家族物を描くのだろう。 しかし、家族の実態や人間観察が歪んでいる。 村田とその愛人である愛子について言っているのではない。 社本とその妻である妙子の人物設定が間違っている。 それでいながら、美津子は馬鹿にリアルである。 おそらく若い人とは付き合っても、中高年とは接触がないのではないだろうか。 「紀子の食卓」でも子供たちは描けていたが、夫婦が描けていなかった。 とくに主人公の徹三が絵空事のような人物設定だった。 この映画の社本は、いくらかマシではあるが、妻の妙子との関係はまったく描けていない。 夫婦で就寝するシーンが、2度登場するが、2度とも旅館のような布団なのだ。 美津子の非行は、今回が初めてではないだろう。 子供に手を焼く2人は、かえって結びつきが深くなっても良い。 冒頭の食事シーンでも、妙子がスーパーでレトルト食品をかき集め、それを電子レンジで加熱して食卓に並べる。 これで殺伐とした家族関係を描いたつもりかも知れないが、これでは描いたことにはならない。 妙子は連れ子を承知で結婚したのだから、苦労を覚悟していたはずである。 とすれば、美津子と良い関係を築こうとしても、上手くいかない様子が描かれるはずだ。 妙子が苦労して関係改善を図っても、美津子は拒否して離れていく。 それで妙子は落ち込んでいき、解決を求めて社本へと近づいていくはずだ。 それに社本が無関心というのであれば、この結婚は最初から成立していない。 美津子に何の対応もできなくても、少なくとも妙子には感情表現があるはずだ。 そうした夫婦の感情表現がまったく描かれていない。 ソファーで社本が求めると、妙子は美津子が帰宅するといけないからと、セックスを拒否する。 ソファでのシーンと、ママゴトのように整頓された寝室のシーンは、まったく奇妙な繋がりである。 それいて初対面に近い村田からの誘いには、かんたんに応じてしまう。 あの状態の人間なら、そんなことはないだろう。 特別の驚きはない。 村田のような悪人がいてもおかしくないし、それに付きまとわれる社本も不自然ではない。 予測したとおり、最後には社本が村田を殺してしまう。 当然の展開だろう。 しかし、社本の自立が、妻や子供への暴力的な支配だというのは、まったく無茶苦茶な人間観察である。 おそらく無気力な現代の日本人達にたいするイライラが、この映画の背景にあるのだろう。 気弱な社本に、現代の日本人男性を見ているに違いない。 老人犯罪の激増が証明するように、暴力的なのは村田のような老人であり、社本のような中年者は草食的ではある。 しかし、中年者が立ち上がったとき、暴力的になると言うのでは、何も語ったことにはならない。 社本が妻を刺して、自分も自殺をはかるとき、娘に包丁をあてて、<人生は痛いんだ>というに至っては噴飯物だった。 人生は痛いなどという台詞は、まったく未消化でリアリティがない。 死に行く社本に対して、やっと死んだかと美津子に言わせている。 これは子供観察の結果だろう。 この監督は人気があるらしく、平日にもかかわらず、客席は半分くらい埋まっていた。 妙子を演じる神楽坂恵の、豊かな乳房を強調していたのには、何か意味があったのだろうか。 ちょっと気になったのは、村田の店にあまり客が入っていなかったことだ。 人気店特有の活気がなかった。 とくに駐車場には客の車がまったくなかったのは、何か意図があったのだろうか。 いま時の高校生に、美津子なんて名前の女の子がいるだろうか。 2010年日本映画 (2011.2.28) |
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