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この監督は、女性に厳しい感じがする。 最初に、カレン(アレクサドリア セイリング)の出産シーンを見せる。 彼女は14歳。母親の指示に従って、子供を養子にだす。 それ以来、子供とは音信不通である。 子供を手放したのが、彼女のトラウマとなっている。 画面は飛んで37年後。 今は独身のまま、老弱した母親と一緒に住んでいる。 母子の関係は最悪である。 最初のうち、イヤミな女性に描かれている。 しかし、カレン(アネット・ベニング)は美人なのだ。 職場のパコ(ジミー・スミッツ)が彼女に興味を示す。 イヤミな女であるにもかかわらず、パコはカレンをくどき、とうとう結婚まで持ちこむ。 そして、母親の死。 カレンは吹っ切れたように、明るさを取り戻す。
最近、生まれ故郷のロス・アンジェルスにもどって、ポール(サミュエル・L・ジャクソン)の主宰する法律事務所に勤めた。 ポールは有能さを認め、新人歓迎と称して、2人きりの食事をセッティングした。 エリザベスはきわめて理性の勝った女性に描かれており、小市民的な平和を嫌悪している。 奥さんが妊娠しているアパートの隣人夫婦にも、じつに冷たい態度である。 ポールをアパートに連れ込んだ日に、隣人夫婦に出会うと、ポールを父親だと紹介する。 黒人から白人が生まれているので、彼(女)等は混乱するだろうと嘲笑的に言うのだ。 その直後、エリザベスは部屋に入るなりポールを誘惑し、半ば強制的に犯してしまう。 妻と死別しているポールは、彼女を憎からず思っていた。 女性だから強姦というわけではない。 しかし、ポールをベッドに寝かせてベルトを外し、自分でパンツを脱ぐなり馬乗りになって、ポールの上に身体を沈めていくのだ。 彼のいるベッドからベランダにでると、隣の旦那と目が合う。 すると彼女は、バスローブの前をはだけて裸の前を見せる。 1人の男性には独占されないと言う表現だろう。 そして、後日、奥さんのいない隣室で、彼と関係を持つ。 その後、ポールとは何度か関係を続けるが、我に返ったポールが身を引く。 17歳の時にメキシコで卵管結束をしたので、彼女は妊娠しないと思っていたが妊娠。 すると彼女は出産の決意をして、ポールの事務所を辞めてしまう。 単身で産み、育てるつもりなのだ。 彼女の病院での対応も変だ。 たまたま担当医が、彼女と大学が同窓の女医だった。 女医は懐かしさから、昔の話をしてしまう。 すると彼女は過去に触れないでくれと、にべもない態度に出る。 女医は私生活に立ち入ったのは、プロの倫理に反すると謝罪する。 男性の医師から逆子なので帝王切開を薦められる。 しかし、彼女は自然分娩をえらび、赤ちゃんを残して出産直後に死んでしまう。 同時にもう一つの話が進行している。 不妊に悩む黒人女性のルーシー(ケリー・ワシントン)は、教会経由で養子縁組が整った。 しかし、母親は出産直後に、養子にだすことを拒否。 落胆するルーシーに、エリザベスの生んだ子供がめぐってくる。 エラと名付けて、子育てに励むこと1年たった。 エリザベスは死の直前、産みの母親探しを教会に依頼していた。 カレンも子供探しを同じ教会に依頼。 しかし、教会の手違いで、手紙は1年間も放置されていた。 1年後になって両者はつながるが、すでにエリザベスは死亡している。 その子供が養子に出されていると知って、ルーシーに接近する。 孫のエラと出会って、充実の日々を迎えようになる。 しかし、女性の描き方が、ちょっと変なのだ。 まず、カレンのイヤミさ。 母親によって子供を奪われたことがトラウマになって、性格が歪んだという説明だけでは不充分だろう。 母親による娘コントロールが、娘の性格を歪めたというのだろうか。 エリザベスも性格が異常である。 他人と平穏な関係を結べない。 男性を挑発し、セックスに持ちこんでしまう。 美人だし37歳という年齢だから、まだ身体で勝負できるのは判る。 しかし、ポールと親密でありながら、奥さんが妊娠している隣の男性を誘惑する。 それだけではない。 タンスのなかにある奥さんのパンツのあいだに、脱いだ自分のパンツを隠してしまう。 家庭騒動を起こす爆弾を仕込んだのだ。 結果は描かれていないが、これは男性支配への反旗なのだろうか。 それに対して、カレンの家にかよう家政婦は、じつに良い人に描かれている。 つねに子連れで登場し、カレンの母親とも気持ちが通じている。 ちょっと不自然だ。 また、ルーシーが養子をとるのは良いが、夫と上手くいかない。 結局、エラは1人で育てることになってしまう。 この映画は何を言いたかったのだろうか。 1999年の「彼女を見ればわかること」では、自立した女性の孤独を描いていた。 あれは女性の自立にエールを送ったのではなく、女性の自立は破綻すると言いたかったのだろうか。 この映画でも、エリザベスの性格付けは、ちょっと異常だし、カレンの変身も自立とは無関係だ。 職業人としては、ギスギスしてイヤミな女性だった。 この変わり方は何がさせるのか。 原題は「母と子供」だから、母には子供が必要だということか。 子供がいて、はじめて女性を認めるというのだろうか。 男を挑発し、不埒な行動のエリザベスには死を与え、養子を育てるルーシーには幸福を与えている。 しかも、そこにはすでに夫はいないのだ。 エンディングこそ幸福だが、職業人だったエリザベスは死んでいる。 ルーシーはパン屋を営みながら、仕事にはまったく触れられていない。 気になったのは、ルーシーがはじめて赤ちゃんを迎えた翌日のシーンだ。 赤ちゃんが夜泣きして、彼女は一睡もできずに、母親の助けを呼ぶ。 赤ちゃんはモンスターだといって、たった1日で育児を放りだそうとする。 すると母親は、彼女に「世界で母親はおまえが初めてだと思っているのか」といい、 「母親になれ」と叱ったのだ。 その時の母親の台詞は、「Be a mother」だったように記憶しているのだが、その台詞は男性である監督の口から発せられたように聞こえた。 赤ちゃんの夜泣きは当たり前である。 しかし、子育てを女性だけが引き受けなければならない理由はない。 そう考えると、この監督の主張がどこにあるのだか、おぼろげながら判ってくるように感じる。 この映画のタイトルが、「Parent and Child」ではなく、「Mother and Child」だった理由がわかる。 女性の自立を描いた「彼女を見ればわかること」に引きずられて、騙されそうになった。 気を付けなければ。 「彼女を見ればわかること」も鈍い展開だったが、この映画は途中でダレている。 ゆっくりと進む展開に、いささか退屈さが襲う。 有名俳優を3人も使えるのは、充分な予算があるのだろうか。 それにしても、コロンビア生まれの52歳の監督は、マッチョ指向が強いのだろうか。 原題は「MOTHER AND CHILD」 2009年アメリカ=スペイン映画 (2011.2.11) |
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