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とても文学的な香りのする映画である。 レイフ・ファインズが主演を演じているので、「ことの終わり」を彷彿とさせる。 しかし、恋愛はあくまで脇役であり、真の主題は罪の担い方である。
中年の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)は、市電の車掌をしていた。 あるときアパートの前で、男の子マイケル(デヴィッド・クロス)が体調を崩して、うずくまっていた。 彼女は彼を介抱して、自宅まで送り届ける。 病気が回復して、彼女のもとにお礼に行く。 そこでハンナは15歳という若いマイケルを頂いてしまうのだ。 「記憶の棘」ほどではないが、現代でいえば、あきらかな青少年への性的虐待であり、犯罪である。 15歳のマイケルにとって、おそらく女性は初めてだったのだろう。 相手は中年女性であっても、彼には始めて経験するセックスであり、強烈な体験だった。 彼はのめり込んでいき、運命的な恋だと感じた。 それから数ヶ月、親子のような2人は、人目を忍びつつ逢瀬を重ねる。 彼は求められるままにベッドで、彼女のために本を読んで聞かす。 そしてセックス。 親にも内緒のそれは、ほんとうに甘美な体験だった。 10年後、法学部の学生になったマイケルは、教授(ブルーノ・ガンツ)に連れられて、とある裁判を傍聴に行く。 すると偶然にも、被告人はあのハンナだった。 ハンナはアウシュビッツの看守をつとめており、ナチへの協力者として告発されていた。 なぜ、彼女は本を読んでくれといったのか。 そのとき、彼はハンナが文盲だったことに、はじめて気づく。 ハンナは文盲であることを隠し、ナチの看守として300人の命を見殺しにしたことの責任をかぶって、終身刑を引き受ける。 この映画は、さまざまな問題を訴えている。 まず、人が人を裁く裁判の有効性である。 ナチ・ハンターたちは、いまでも世界の隅々まで、ナチ協力者を追って訴追している。 ハンナは文盲であり、証拠は明らかに彼女の犯罪を立証していない。 しかし、文盲であることを恥じる彼女は、文盲であること主張せず、罪を引き受ける。 ハンナは文盲でなくても、おそらく罪を引き受けたと思われるが、文盲への羞恥心が自己弁護させない。 文盲であることを知っているのは、傍聴席にいるマイケルだけ。 裁判官たちは、まさか文盲だとは思わない。 彼は文盲であることを証言しようとも考えるが、彼女の真意を思いやって口をつぐむ。 人が人を裁くことはできず、人は罪を自分で裁くのだとすれば、この映画の見所は一つ減ってしまう。 やはり裁判制度への疑問が、この映画の底流にはあると思う。 そして、ユダヤ人のナチ・ハンターへの批判でもあるのだろうか。 「オリバー ツイスト」のようなユダヤ人の宣伝映画もあるのだから、ユダヤ人批判の映画があってもいい。 ナチのやったホロコーストは、絶対的に悪いこととされている。 ドイツ人たちは、ナチがトラウマになったいる。 だからユダヤ人たちは、安心してナチ・ハンターができる。 しかし、アウシュビッツの看守だけでも、8000人いたという。 国家や組織の犯罪と、個人の罪は別である。 故意・過失があって、犯罪を犯したときだけ、処罰されるのだ。 人は職業をもたなければ、生きていけない。 だから、看守として任務を果たしただけなら、法は罰することはない、と教授がいう。 後年、弁護士になるマイケルは、かつての恋人が罪を引き受けようとしている姿に、まったく言葉を失う。 ハンナは貧しくとも、自立した女性である。 マイケルがハンナにのめり込んだほどには、マイケルに溺れてはいない。 彼女にとって、マイケルはあくまでキッズであり、一種のペットだった。 貧しく文盲だった彼女には、セックスの相手もそうはいなかっただろう。 だから、久しぶりの若い肉体が、美味しかったに違いない。 彼女はたんたんと下獄していく。 彼は本を読んで、テープに吹きこみ、差し入れを始める。 それが何年か続いた後、ハンナが仮出獄になる。 マイケルが面会に行くが、彼女は昔ながらに<坊や>と呼ぶ。 ハンナは彼に頼らない。 自殺することによって、自分の罪を引き受け続けようとした。 すでに神は死んでいるし、1990年以降、キリスト教はまったく影響力を失った。 しかし、人は全能の神を信じて生きるものだ。 罪とはキリスト教とは関係なく、神に対して自分が負うものだ。 貧しく文盲でありながら、ハンナの生き方が、きわめて神々しく描かれている。 マイケルは思い出の教会に、ハンナを埋葬し、娘に自分の過去を語り始める。 映画はそこで終わる。 時代に翻弄された女性と、その後の裁判。 そして、青春時代の甘美な思い出。 そうしたものが重層的に描かれており、白人たちの執念というか、持続する思考に圧倒される。 冒頭に日本語字幕で1995年とでるが、あれは間違いではないだろうか。 1995年としては、街の様子がバカに古いし、だいたい時代があわないだろう。 劇場パンフレットによれば、物語は1958年から始まるとある。 ほとんどウエストのないケイト・ウィンスレットの肉体が、ばかに存在感があった。 年齢をかさねるメイキャップも上手かった。原題は「The Reader」 2008年アメリカ・ドイツ映画 |
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