タクミシネマ   愛を読むひと

 愛を読むひと   スティーブン・ダルドリー監督

 とても文学的な香りのする映画である。
レイフ・ファインズが主演を演じているので、「ことの終わり」を彷彿とさせる。
しかし、恋愛はあくまで脇役であり、真の主題は罪の担い方である。

IMDBから

 中年の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)は、市電の車掌をしていた。
あるときアパートの前で、男の子マイケル(デヴィッド・クロス)が体調を崩して、うずくまっていた。
彼女は彼を介抱して、自宅まで送り届ける。
病気が回復して、彼女のもとにお礼に行く。
そこでハンナは15歳という若いマイケルを頂いてしまうのだ。
記憶の棘」ほどではないが、現代でいえば、あきらかな青少年への性的虐待であり、犯罪である。

 15歳のマイケルにとって、おそらく女性は初めてだったのだろう。
相手は中年女性であっても、彼には始めて経験するセックスであり、強烈な体験だった。
彼はのめり込んでいき、運命的な恋だと感じた。
それから数ヶ月、親子のような2人は、人目を忍びつつ逢瀬を重ねる。
彼は求められるままにベッドで、彼女のために本を読んで聞かす。
そしてセックス。
親にも内緒のそれは、ほんとうに甘美な体験だった。


 ある時、ハンナは突然に姿を消してしまう。
10年後、法学部の学生になったマイケルは、教授(ブルーノ・ガンツ)に連れられて、とある裁判を傍聴に行く。
すると偶然にも、被告人はあのハンナだった。
ハンナはアウシュビッツの看守をつとめており、ナチへの協力者として告発されていた。

 なぜ、彼女は本を読んでくれといったのか。
そのとき、彼はハンナが文盲だったことに、はじめて気づく。
ハンナは文盲であることを隠し、ナチの看守として300人の命を見殺しにしたことの責任をかぶって、終身刑を引き受ける。

 この映画は、さまざまな問題を訴えている。
まず、人が人を裁く裁判の有効性である。
ナチ・ハンターたちは、いまでも世界の隅々まで、ナチ協力者を追って訴追している。
ハンナは文盲であり、証拠は明らかに彼女の犯罪を立証していない。
しかし、文盲であることを恥じる彼女は、文盲であること主張せず、罪を引き受ける。

 ハンナは文盲でなくても、おそらく罪を引き受けたと思われるが、文盲への羞恥心が自己弁護させない。
文盲であることを知っているのは、傍聴席にいるマイケルだけ。
裁判官たちは、まさか文盲だとは思わない。
彼は文盲であることを証言しようとも考えるが、彼女の真意を思いやって口をつぐむ。

 裁判なんて、所詮あんなものだと言ってしまえば、それまでである。
人が人を裁くことはできず、人は罪を自分で裁くのだとすれば、この映画の見所は一つ減ってしまう。
やはり裁判制度への疑問が、この映画の底流にはあると思う。
そして、ユダヤ人のナチ・ハンターへの批判でもあるのだろうか。

 「オリバー ツイスト」のようなユダヤ人の宣伝映画もあるのだから、ユダヤ人批判の映画があってもいい。
ナチのやったホロコーストは、絶対的に悪いこととされている。
ドイツ人たちは、ナチがトラウマになったいる。
だからユダヤ人たちは、安心してナチ・ハンターができる。
しかし、アウシュビッツの看守だけでも、8000人いたという。
国家や組織の犯罪と、個人の罪は別である。


 故意・過失があって、犯罪を犯したときだけ、処罰されるのだ。
人は職業をもたなければ、生きていけない。
だから、看守として任務を果たしただけなら、法は罰することはない、と教授がいう。
後年、弁護士になるマイケルは、かつての恋人が罪を引き受けようとしている姿に、まったく言葉を失う。

 ハンナは貧しくとも、自立した女性である。
マイケルがハンナにのめり込んだほどには、マイケルに溺れてはいない。
彼女にとって、マイケルはあくまでキッズであり、一種のペットだった。
貧しく文盲だった彼女には、セックスの相手もそうはいなかっただろう。
だから、久しぶりの若い肉体が、美味しかったに違いない。
彼女はたんたんと下獄していく。

 それから10年くらい後、離婚したマイケルは、ハンナのことを思いだす。
彼は本を読んで、テープに吹きこみ、差し入れを始める。
それが何年か続いた後、ハンナが仮出獄になる。
マイケルが面会に行くが、彼女は昔ながらに<坊や>と呼ぶ。
ハンナは彼に頼らない。
自殺することによって、自分の罪を引き受け続けようとした。

 すでに神は死んでいるし、1990年以降、キリスト教はまったく影響力を失った。
しかし、人は全能の神を信じて生きるものだ。
罪とはキリスト教とは関係なく、神に対して自分が負うものだ。
貧しく文盲でありながら、ハンナの生き方が、きわめて神々しく描かれている。

 マイケルは思い出の教会に、ハンナを埋葬し、娘に自分の過去を語り始める。
映画はそこで終わる。
時代に翻弄された女性と、その後の裁判。
そして、青春時代の甘美な思い出。
そうしたものが重層的に描かれており、白人たちの執念というか、持続する思考に圧倒される。

 冒頭に日本語字幕で1995年とでるが、あれは間違いではないだろうか。
1995年としては、街の様子がバカに古いし、だいたい時代があわないだろう。
劇場パンフレットによれば、物語は1958年から始まるとある。
ほとんどウエストのないケイト・ウィンスレットの肉体が、ばかに存在感があった。
年齢をかさねるメイキャップも上手かった。原題は「The Reader」
 2008年アメリカ・ドイツ映画  

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