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記憶をあつかう映画は、ここのところ要注目だった。 ニッコール・キドマンの主演だし、この映画は期待して見に行った。 おそらく子供と大人の関係を見なおす映画だろうが、しかし、どうもいまいちよく判らなかった、というのが正直な感想である。
10年前に、夫のショーンを亡くしたアナ(ニッコール・キドマン)は、以来ずっと孤閨を守ってきた。 ジョセフ(ダニー・ヒューストン)の3年来のポロポーズに、今日とうとう応えた。 そして、婚約披露のパーティが、盛大に開かれた。 そこには、なぜか貧しいクララ(アン・ヘシュ)も来ていた。 パーティから数日後、10歳の少年(キャメロン・ブライト)が夫のショーンだと名乗り、ジョセフと結婚するなと言って、アナの前に登場する。 最初は悪戯だろうと思っていると、死んだショーンしか知らないことを知っており、アナは徐々に少年がショーンだと思うようになる。 当然に、ジョセフとは破談である。 にもかかわらず、ショーンを愛していたアナは、死んだショーンが生まれ変わったのだと思い、少年が21歳になるのを待つ気になる。 しかし、真実は残酷だった。 アナはショーンを愛していたが、ショーンはクララを愛しており、ずっと不倫を続けていた。 しかも、アナがショーン宛に出した手紙は、すべてクララに手渡されていた。 再婚する嫉妬からか、クララはアンの婚約パーティに、その手紙をもっていき、アンに渡そうとする。 しかし、あまりにも残酷な仕打ちだと考えて、パーティー会場の入り口で考えを変える。 そして、手紙を入れた箱を、庭の土に埋めてしまう。 だから、アンは何も知らないまま、ショーン少年に立ち会う。 ショーンは10歳でありながら、自分はアンの夫だから、ジョセフと結婚するなと言う。 物語はただこれだけである。 はっきりとは断言できないが、おそらく、子供と大人の境界の消失が主題だと思う。 「ハード キャンディ」「ルィーズに訪れた恋は…」など、最近のアメリカ映画は、好んで子供を主題にする。 大きな年齢差のある性関係は、性差別または児童虐待として、今までは禁止されていた。 年少者は保護されるべき存在で、年長者が年少者を性的な対象として見てはいけない、というのが常識だった。 しかし、情報社会は年齢秩序を崩壊させて、年長者・年長者の境を消失させてきた。 そのため、保護されるべき年少者が、保護すべき年長者と、同じ位置に立つようになった。 その結果、個別の人間関係が変質し、性関係を結ぶ上で、年齢が障害にならなくなってきた。 後者は年少者を辛うじて成人にして、2人の性関係を肯定していた。 2本の映画に共通するのは、年齢が離れていても、否定的にせよ肯定的にせよ、対等な関係が成り立ち得るという主張である。 保護されるべき女性が自立し、男性のライバルになった。 もはやアメリカの女性は弱者ではない。 同じように、保護されるべきだった年少者が、いまや自立しつつあるので、子供も大人との恋愛の主体になり得る。 それがアメリカで、今もっとも先端的な映画の主張である。 この映画では、30過ぎの女性と10歳の男性が、性的な男女関係になっても良い、といっているように読める。 アナの姉ローラ(アリソン・エリオット)は、10歳の少年を相手にするのは、犯罪だとアナに強く警告する。 しかし、アナはショーンが忘れられず、少年をかつての夫と思い、少年に対して大人の関係をイメージしている。 少年が成人するまで、待つとさえ彼女は言う。 アナは10歳の少年を相手に、夫になることは私とセックスをすることだが、私を満足させられるか、と聞いている。 ここでは10歳の少年と30過ぎの女性が、性を媒介にして、まったく対等の関係になっている。 しかも、美人で金持ちのアナが妻でありながら、ショーンの愛情は、愛人である貧しいクララにあった。 ショーン少年はそれを知らない。 アナはショーン少年を、本物のショーンと思いたがるが、クララは一目で別人だと見破る。 アナを愛していたはずのショーンが、クララという愛人をもっていたことを知って、ショーン少年は自分はショーンとは別人だという。 情報社会とは観念の支配する社会である。 アナはショーンという観念に支配されており、大人である自分の地位が自覚できずに、大人と子供を等価に見てしまう。 ショーン少年がショーンとは別人だと知ったあと、アナはジョセフとの関係を戻して、なんとか結婚に至る。 彼女は結婚式の当日、ショーンとの関係を思い出してしまい、放心状態になって海岸をさまよう。 この映画の原題は「Birth」であり、この原題が何か意味をもっているのだろう。 しかしもし、生まれかわりが主題なら、ショーン少年を思春期後の男性にすれば、話はずっとスムースにいくはずだから、生まれかわりが主題ではないと思う。 大人と子供の境界の消失、それに観念をかぶせて、新たな人間の誕生を描いているに違いない。 若いこの監督は、情報社会のとらえどころのない無原則性に飽きて、情報社会を否定的に見ているのかも知れない。 だから、ショーン少年には実存を自覚させながら、観念に遊んだアナには、彷徨を与えたのだろう。 そして、動きの少ない画面構成を好み、長いカットを多用しているのだろうし、ローレン・バコールの名声にすがりたかったのだろう。 2004年アメリカ映画 (2006.9.26) |
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