タクミシネマ    ラスト・コーション

ラスト・コーション  アン・リー監督

 中国語の原題である「色、戒」のほうが、主題がよくわかる。
人間は欲に溺れやすい。色欲は厄介なものだ。
男も女も皆くれぐれもご用心あれ、そう言っているようだ。
力の入った映画だとは思うが、なぜか良い映画を見た後の、スッキリした感動がわかなかった。
ラスト、コーション [DVD]
photo of se,
 jie,  tony leung chiu wai, wei tang
IMDBから

 1940年頃の上海と香港が舞台である。
当然のことながら、日本は悪者である。
日本軍が酷いことをしたのは、判っているけど、日本人としては見るのが辛い。

抗日意識に燃える学生の男4人と女2人。
彼(女)等は、日本の手先になった裏切り者イー(トニー・レオン)の暗殺を計画する。

 イーは誰も信じないし、警護は堅い。
そこに色仕掛けで接近しようというわけだ。
ワン・チアチー(タン・ウェイ)は、マイ夫人と名乗って、イーに接近する。
彼はワンに興味を示し、やがて肉体関係ができる。
スパイの役目が果たせる、端緒についた。

 この導入がなかなか強烈である。
まだ学生だったワンは、処女だった。
しかし、マイ夫人と名乗った以上、処女であるはずがない。
男子学生の1人とベッドをともにし、セックスの場数を踏んでいく。
スパイになるために、処女ではいけないからと、セックスに馴染もうとする。
なんともスゴイ話だ。

 色仕掛けのスパイなのだから、彼女がセックスに溺れてはいけない。
しかし、イーの愛人となってから、セックスの奥深さを知る。
使命と快楽のあいだで、彼女は分裂しそうになる自分に、辛うじて冷静を保っている。
やがて、愛欲の世界が、彼女の意思をくじく。

 イーを暗殺できるチャンスに、彼女は「逃げろ」と言ってしまう。
たった一度のチャンスを失い、彼(女)等は逮捕され、処刑されていく。
しかも、特殊機関はワンがスパイであることを知りながら、ワンがイーの愛人だったので、イーには知らせなかったというオチが付く。
偉くなると、孤独なものだ。

 色欲に溺れ、自分の使命を忘れた女性ワン。
おなじように色欲に溺れ、スパイを愛してしまったイー。
色欲が冷静さを失わせるという、肉欲への警告が、「ラスト・コーション」なのだろう。
これが主題であることは間違いない。
と同時に、王の孤独も、隠れた主題であろうか。

 スパイ戦の緊張感といった映画は、「インファーナル・アフェアー」をリメイクした「ディパーテッド」と同じ仕立てである。
最初から最後まで、いつバレるか、ハラハラのし通しである。
この緊張感が、まず観客を画面に引きつけ続ける。

 本来なら、快楽にまかせて、もっとも自由に振る舞えるはずのベッドで、2人の疑心暗鬼がつづく。
とりわけ、ワンはちょっとした仕草にも、バレたのではないかと、極度の緊張にさらされる。
緊張の解かれるはずのセックスが、はんたいに緊張をつよめる。

 イーにしても同様である。
誰をも信じない彼は、ワンがスパイではないか、と疑っている。
ワンが彼に身を任せていながらも、心のどこかで疑いが残っている。
奥さんがいるのだから、浮気などしなければいいのだろうが、彼は色欲には勝てない。

 2人とも実在の人物らしく、太平洋戦争時の実話に、脚色した映画だという。
たんに性欲だけなら、こうした映画は成り立たない。
性欲と愛情が絡み、色欲といった情感から、人間は逃げることができないのだろうか。

 イーの色欲は性欲に、支配欲がまぶされたものだろう。
他にも愛人がいるらしい。
だから、彼はワンがスパイだと知れば、ワンと縁を切るのは確実である。
しかし、ワンのほうはイーを殺すために、色仕掛けで接近した。
色欲に溺れてはいけないにもかかわらず、使命を忘れて色欲に負けてしまう。

 この視点は、ちょっと問題だろう。
かつて「サード」という映画があった。
女子高校生が美人局をやったところ、セックスのあまりの良さに、身も心も参ってしまうシーンを描いていた。
肉欲の快感によって変心するのは、一種の肉体賛美であり、今の社会では難しい表現になる。

 性的快感によって、女性が変心してしまうと描くのは、女性蔑視となりかねない。
男根支配の象徴のような映画で、白人をキャスティングしたアメリカ映画では、危険すぎてけっして描かれない主題だろう。

男性支配の時代とはいえ、女性たちが家に閉じこめられて、麻雀しかやらせてもらずにいる。
麻雀シーンの彼女たちの目の演技もなかなかである。

 彼は「ウェディング・バンケット」で登場したので、進歩派かとちょっと誤魔化されていた。
しかし、「アイス ストーム」があまりにも、現代家族に批判的だったので、彼が保守的なことは判った。
肉欲に転ぶ女性を描いたこの映画で、彼はやはり保守的な資質を明らかにした。

 しかし、保守的といっても、反動というわけではない。
長い歴史に形つくられた人間は、そう簡単に変わるものではない、というのが信念なのだろう。
そうでありながらも、異端者を緩やかに認めるというスタンスなのだろう。
いかにも歴史の長い中国的視線である。

 映画としては、王者の孤独をにじみだした、トニー・レオンの演技の上手さが光る。
権力闘争のなかで、したたかに生きのび、頂上まで登り詰めていく。
それでいながら女性にも目がない。
生まれながらの権力者ではないから、蛇のような執念深さが持ち味である。
それがよく演じられている。

 男が男であり、女が女だった時代。
現代のファッションとは違い、当時はとてもセクシーだった。
小柄でありながら、格好良かったトニー・レオンの背広姿。
それに細身のタン・ウェイの身体に、ぴたっと張り付いたチャイナドレスとコートと帽子。
古いデザインだが、カッコイイ。

 大金をかけてセットを組んでいる。
それに古いものがよく残っている。
香港の路面電車など、実物が残っていたのだろうか。
それとも新たに作ってから、時代をかけたのだろうか。
入念な作りが、この作品への意気込みを感じる。 
前半の展開が鈍く、あと30分くらいつめた方が良い。
   2007年アメリカ、中国、台湾、香港映画   (2008.2.05)

追記
 美意識にすぐれたこの映画は、それなりの評価を受けるだろう。
しかし、問題の多い主題であり、映画を見終わって数日たっても、頭のすみを離れなかった。
もう少し書き足してみたい。

 色の戒めが、主題である。
男女ともに、色欲に溺れることをたしなめている、それはわかる。
しかし、この映画が設定している舞台は、男女で大きく異なっている。

 男性のイーは、大勢の愛人をもち、ワンは愛人の1人に過ぎない。
ワンが最愛の愛人かもしれないが、自分の身が危うくなれば、ただちにワンを切り捨てることができる。
それに対して、ワンはイーを殺そうとして、彼に接近し愛人になった。

 イーはワンを単なる性欲の対象としてみたのではない。
当時、彼くらいの地位になれば、女性を手に入れるのは簡単だったはずである。
イーには、身元の確かな高級売春婦なら、いくらでもいただろう。
彼にはワンという屈折した心理の女性が欲しかったのだ。

 おそらく彼はワンの心理を想像しながら、付き合うことが楽しかったのだ。
ひょっとするとスパイだとうすうす気づきながら、セックスしていたかもしれない。
屈折した心理の女性が、セックスによがり、快感に身を震わせる。
自分の手で、自分の男根で、女性が反応する。
スパイかもしれない女性が、自分の与える性の快楽に反応する。

 イーの強姦まがいのセックスといい、セックスをとおしての支配欲、といったらいいのだろうか。
一般に男性の性欲は排泄欲で、相手が誰であっても良いと思われがちである。
しかし、男性の性欲は単に排泄欲だけではなく、精神的なつながりの確認でもある。

 男性器の挿入によって、女性がより深く感じてくれれば、男性はより一層の愛情を感じるだろう。
女性も男性器を迎入することによって、男性の快感をより高めるとすれば、男性に対してより一層の愛情を感じるだろう。
互いに与えあう、それが普通の男女だ。

 しかし、この男女はセックスの最中も戦いである。
ワンは頭で相手の暗殺を考えながら、身体は男根の動きに激しくよがってしまう。
ワンがホルスターに吊された拳銃を見るシーンがあった。
拳銃を見てワンは暗殺を思いだし、一時的によがりが止まった。

 イーはそれを知って、あえて男性器を激しくぬきさし、ワンに性的な快感をあたえる。
するとワンは、男根の動きに反応してしまう。
イーは男根の与える快感によって、ワンを身体をとおして洗脳している。
この映画が描く男女関係は、フェミニズム的な言い方をすれば、男根による女性支配以外の何物でもない。

 男性監督であるアン・リーは、性的快感をワンとイーに違うとらえ方をさせている。
違うのは確かだろうが、性の快楽が自分の死につながるような行動を、女性に選ばせるだろうか。
性の快感を与える男性に、女性は支配されきってしまうだろうか。

 ひどいdvにあっても、女性はなかなか逃れられないという。
それがどんな理由からなのか判らない。
それがもし、セックスをとおしての支配だとしたら、と思うと、この映画の主題が浮かび上がってくる。
しかし、女性がベッドで心身ともに姦通されて、官能を満足させる。
結果として、自分を敵に売るような展開は、男根支配といわれても仕方ないだろう。

 男と女は身体の構造が違う。
それは生物的な違いだから、性もセックスも変わりようがない。
セックスの快感も違うだろう。
男根により女性は心身ともに洗脳されるのだ。
そう言ってしまえば、身体決定論になり、男女平等はあり得ない。
この映画を見るかぎり、身体性と社会性を切りはなすことが、否定されてしまう。

 真面目に作られている映画だけに、女性への視線が気になる。
この監督は、「ウェディング・バンケット」「ブロークバック マウンテン」というゲイの映画を作っている。男性のゲイを支持することは、裏側に女性蔑視を孕んでいる可能性がある。
アイス ストーム」と重ねてみると、男性が主で、女性が従というのが、この監督の主張なのかも知れない。

 この映画に関しては、女性の感想が聞きたいものだ。(2008.02.11)

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