タクミシネマ              アイス・ストーム

アイス ストーム       アン・リー監督 

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アイス・ストーム [DVD]
 1970年代の寒い冬、ニューヨーク郊外にある住宅地での話。
ベン(ケヴィン・クライン)は奥さんと男女二人の子供を持ったサラリーマンである。
彼の家庭は、外見だけは保たれているものの、各人はバラバラになっている。

 彼は、近所に住む主婦(シガニー・ウィーバー)と関係を持っているし、彼の奥さんは精神的な不安で万引きをしたりする。
長男は高校生で寮に入っており、週末だけ帰宅する。
14歳の娘は屈折しており、何かにつけて反抗的である。

 ベンの浮気相手である主婦の家は、出張がちな夫に、男の子が二人という家庭である。
ベンの家と近いので、子供たちもつきあいがあり、ベンの娘はここの長男とステディであるが、まだセックスはしていない。
ところが彼女は弟を性的な遊戯に誘い、何かとからかう。
弟も彼女は兄のステディと知りながら、彼女からの誘いには悪い気はしない。

 夫婦と子供二人という標準的な家庭が、バラバラになっている様子を、アン・リー監督は冷ややかに描いていく。
まず、そうした背景を描いたところで、冬のある寒い晩、ある家でパーティが開かれる場面へと、話を続ける。

 そのパーティでの最後の催しは、各自の車の鍵をボールに入れておいて、目をつぶった女性がその鍵を拾う。
鍵の持ち主の男性が、その女性を家まで送るという、含みのある怪しげなゲームだった。
しかも、それをやった他の家のパーティでは、その後になって参加者の家庭関係が壊れたという。

 ベンの浮気を知っている奥さんは、酔ったベンを介抱せず、ベンの浮気相手の旦那と肉体関係を持ち、彼の家へと向かう。
ベンは酔いつぶれ、パーティのあった家に泊まらざるをえない。
朝方になっての帰り道、ベンは浮気相手の長男が道路に倒れているのを発見する。
彼は寒い夜に、氷を見るために出歩き、風で倒れた電線に感電して死んだのだった。

 家族がバラバラになっている状態を描いているのは良く判る。
70年代という設定がちょっと気になるが、それでもすでに当時から家庭の崩壊は始まっていたから、良き家庭像が崩れたと描くことは間違いではない。
そうしたバラバラな状況を、アイス・ストームという台風のような寒い嵐に象徴させている。
何にでも氷柱が垂れ下がり、道路は凍って、電車は停電で立ち往生している。

 アジア人のアン・リー監督からは、アメリカ人たちは家庭を大切にせず、自分勝手で刹那的に見えるのだろう。
浮気に走る人々、その犠牲になる子供たち、そうした末期的な家庭を、彼は冷たいものとして感じているに違いない。
アメリカ人たちが、寒い寒い心的状況にあるように見え、アン・リー監督には耐えられないのだろう。
確かに彼の目からは、家庭が壊れていると見えるだろうが、アン・リーが考えるこの映画のような展開では、壊れた家庭を復元することは出来ない。

 人間たちが、家庭を通じて社会的な接触を持つのではなく、個人として直接社会に放り出されるのは必然性があるのだ。
情報社会という個人が必要とされる社会であるがゆえに、アメリカは現在の物質的に豊かな生活を維持できるのだし、女性たちの社会進出があった。
古き良き家庭つまり核家族は、女性を拘束するものだった。
個人に分解することなく、女性が職場進出することは不可能である。

 アン・リー監督としても、情報化社会や女性の社会進出を、否定するのではあるまい。
とすれば、こうした状況をただ寒々したものとして描いても、それはすでに判っているとしか答えようがない。
情報社会化を戻すことなく、女性の職場進出を否定することなく、個人の心をどう癒すかが問われている。

 アン・リー監督は、浮気をする大人たちに天罰を与えるかのように、子供を事故死させている。
これは明らかに、家庭を顧みない者への彼が与えた罰である。
人間同士の衝突を描くのは構わないが、天に代わって、人間が人間に罰を与えることは傲慢ではないか。
子供を死なせることは、因果応報的な発想を感じる。

 時代の後ろから、前を歩いている者たちを、批判するのは容易いことである。
古い価値観で新たなものを切るのは簡単である。
変化を恐れたら、何もしなければいいのだ。
しかし時代というのは、個人的な思惑を越えて、容赦なく進んでいく。
そこで呻吟する人たちをこの映画のように、古い価値観で批判するのは、批判でも何でもないし、むしろ時代に逆行しているだけだ。

 個人化する社会に、どう適応するかが問われるべきで、過去へ戻ることではない。
「ジョイ・ラック・クラブ」では、アメリカに来た中国人社会の家庭を描いていた。
あれも渡米当時の生活を振り返るという懐古的な映画だったが、まだアメリカ批判という目はなかった。
ところが今度は、完全にアメリカを否定に近い形で批判している。
アジア人のアン・リー監督だというので、いささか偏見が入っているかも知れないが、情報社会のなんたるかが判っていないように感じる。

 映画としても、氷柱や寒さに心的な象徴を託し、何度も画面に見せるのは退屈で自己陶酔的である。
寒さは映画の画面からも充分に伝わってきており、それを何度も撮すのは稚拙な演出である。
心象風景を何度も繰り返すのは、わが国の叙情的な監督が良くやる手だが、ほとんど意味のない表現で単なる独りよがりでしかない。
1997年アメリカ映画。


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