タクミシネマ       フライト プラン

フライト プラン    ロベルト・シュヴエンケ監督

 父子物が多いアメリカ映画では、珍しく母子物である。
奇想な設定、手慣れた展開、パニックの見せ方などなど、ハリウッド映画の定番ではあるが、上質の娯楽映画に仕上がっている。
入場料を払っても、充分に見返りは来る。
怪しげな伏線もきいており、星こそ付けないが、最後まで楽しむことができる。

フライトプラン [DVD]
劇場パンフレットから

 ドイツに滞在中の夫が死んでしまう。
妻であるカイル(ジョディ・フォスター)は、娘ジュリア(マーリーン・ローストン)と一緒に、遺体をアメリカに連れ帰る。
しかし、彼女は夫は殺されたと信じており、やや神経質になっている。
その影響があってか、娘のジュリアも神経が興奮している。
何と娘をかなだめて、2人は飛行場へと向かう。

 カイルたちが搭乗する飛行機は、カイルが設計に携わった最新鋭の巨大ジャンボE−474である。
ベルリンを出発して数時間、彼女が目を覚ましてみると、ジュリアがいない。
彼女は飛行機中を探し回るが、何と最初からジュリアは搭乗していなかった、
と搭乗員から告げられる。
しかも、ジュリアは6日前に、夫と一緒に死んだと言われた。
他の乗客たちも、小さな女の子など知らないと言い出す。
誰も味方はいなくなった。


 飛行機の窓が水蒸気で曇り、搭乗直後、そこにジュリアがハートを描いた。
そのハートを発見して、彼女はジュリアの存在を確信する。
ジャンボの窓は2重ガラスのはずだから、水蒸気で曇ることなどないけど、それはご愛敬だろう。
彼女はジュリアが誘拐にあったと確信して、機長と交渉し、飛行機中を探させる。
そして、普通の乗客が知らない飛行機の内部を、娘を捜して1人で駆けめぐる。

 機長は1乗客の勝手な行動を許さない。
彼女は搭乗していた航空警察官カーソン(ピーター・サースガード)に追われる。
機長も彼女をノイローゼになった女性と扱い、手錠をかけて椅子に縛り付けてしまう。
カイルをfbiに引き渡すために、緊急事態として途中で着陸する。
そして、飛行機の降り口で、種明かしが始まる。

 サスペンス物では、一番怪しくない人物が犯人だ、との定説にしたがって犯人が明かされる。
この映画は、ジョディ・フォスターの1人映画と言ってもよく、
有名な俳優は他には1人も出ていない。
そして、巨大なセットだろう機内だけが舞台だから、ハリウッド映画としては、低予算だったのではないだろうか。

 最近のアメリカ映画の例にもれず、親が子供を守る映画だが、母親が子供を守るのが斬新である。いままで子供を守るのは、収入のある父親の役目だった。母親は収入を得た歴史が短いので、子供を養育する立場ではあっても、対外的に子供を守る存在ではなかった。男女平等が浸透し始めたアメリカで、やっと母親が男性役として登場してきた。

 女性だけではなく、男性にも子育てはできると、1979年に「クレーマ、クレーマー」は描いた。
しかし、女性の職業が拡大しなかったので、
その後も子供を守るのは、多くは男性の役目だとされ続けてきた。
そして、「ホワイト オランダー」のように、母子は対立的に描かれてきた。
最近では「フォーガットン」等の例がではじめたが、アメリカには母子物が少ない。

 母性が子供を守ると言われそうだが、母性は社会的な産物である。
しかも、母性や父性と、親権は同じではない。
経済的な収入がなければ、社会的な意味の親権は認められない。
男性同様の収入が、子供を守るための条件だった。
女性が職業人として、完全に認知されるにしたがって、今やっと女性も子供を守る者として登場した。
この役は、未婚で子供を持ったジョディ・フォスターに適役だった。


 我が国では、専業主婦の母親が子供を守るのは当然と思われているから、
この映画はきちんと理解されないだろう。
しかし、ジョディ・フォスターは専業主婦とは違う。
アメリカの女性たちは、専業主婦ではない。
だから彼女は身を挺して子供を守ることができる。
この映画が表現するのはアメリカの女性が、男性とまったく同じ社会的な存在になったことを意味する。

 この映画で、ジョディ・フォスターはきわめて好戦的である。
「フォーガットン」のジュリアン・ムーアと同様に、攻撃的な姿勢こそアメリカ女性がつかんだものだ。
子供は女性しか産むことはできない。
しかし、子供を守ることにおいて、男女に違いはない。
我が国の母性は、生物性に基礎を置くが、現代アメリカの母性は社会的な親権を獲得した。

 ジョディ・フォスターは前作「パニック ルーム」でも、子供との映画を撮っている。
前作は「ホワイト オランダー」と同じように、母の自立が主題だった。
今回は前作より、はるかに母子関係が濃くなっている。
いままで女性たちは、生理的な親子関係に頼って、子供への関係を社会的に対外化できなかった。
しかし、この映画で見るように、子供との関係にのめり込みながら、社会的に子供を守る姿勢が打ち出せるようになった。

 カイルの職業が、航空機の設計者であることも、物語の大きな前提になっている。
しかし、彼女が完全な職業人でありさえすれば、
航空機の設計者でなくとも、この映画の主題は成り立つ。
この前提が不自然ではないのが、現在のアメリカなのだ。
女性が職業人でありながら、母親であることが自然になってきた。
そう言えば、主題は違うが、去年撮られた「スタンド アップ」も母子物だった。

 シュワルツネッガー演じるターミネーターが人質を救出してきたのと同じように、
この映画の最後が、煙の中から子供を抱えて姿を現したジョディ・フォスターだったことは、
決して偶然ではない。
「クレーマ、クレーマー」で手放した子育てを、25年かかって、女性が確実に取り戻しつつある。
この25年は決して回り道ではなかった。
アメリカのフェミニズムは、女性の解放を成し遂げた。
映画はその国をよく表す。    
   2005年アメリカ映画
 (2006.2.02)

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