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実話にもとづくと最初に文字が入る。 舞台は1989年のミネソタである。 寒い田舎町には、失業の風が吹いていた。 ジョージー(シャーリーズ・セロン)は、夫の暴力に愛想を尽かし、2人の子供を連れて実家に戻ってきた。 ウェイトレスなど女性の仕事は、安い賃金しか得られなかったが、 鉱山労働者になれば高給が取れた。
アメリカでは1975年から鉱山会社が、女性の採用を始めたが、いまだ女性は圧倒的少数だった。 そのうえ、不況が男性の職場を奪っていたので、女性が鉱山労働者になることには、男性たちから大きな反発があった。 しかし、子供を抱えたジョージーは、高給を求めて鉱山会社で働くことにする。 我が国の鉱山は、地下深いところにあり、女性の鉱山労働は禁止されていた。 ミネソタの鉱山は地表に石炭が露出しており、女性労働が禁止されてはいなかった。 禁止されていないとはいっても、鉱山労働は体力仕事であり、 男性たちの中でも、頭脳よりも腕力に秀でた者たちの職場だった。 そのため、屈強な男性であることが、職場の倫理となっていた。 当時の職場は重化学工業が多く、鉱山労働に象徴されるように、圧倒的に腕力を必要とした。 事務職は少数だった。 社長をはじめ管理職たちはひ弱な肉体であっても、 職場の象徴としての花形は、屈強な腕力者だったと言っても過言ではない。 工業社会の発達に伴って1960年代以降、性による役割分業が浸透し、 男性は職場労働、女性は家事労働といった性別分担ができつつあった。 だから、男性原理を無視しては、会社経営が成り立たなかった。 そこに女性が参入するには、男性並みの腕力を示すか、 男性と同様の感覚を持たなければ不可能だった。 当時の職場で働く女性たちは、ふつうの女性とは比べものにならないくらいに、男勝りだったといって良い。 1980年代は、アメリカが不況に陥ったときだった。 この不況は産業が転換期にあたったためのもので、アメリカではそれまでの重厚長大の工業から、 軽薄短小の情報産業へと変わりつつあった。 そのため、職場労働に腕力が不要になると同時に、女性の職場進出が始まっていた。 情報社会では、女性労働力を活用しないと、生産性を維持できない。 それに気づいたアメリカ政府は、女性の職場進出をうながす施策を展開し始めていた。 しかし政府の方針は、簡単には現場に浸透しない。 新たな職場倫理を作るのは、男性原理を否定することになりかねない。 多くの男性が職場を支えてきたので、経営者といえども男性原理をやめることはできなかった。 そんなとき、ジョージーが男性職場に入ったのである。 不況の嵐が吹き荒れる中、鉱山会社もけっして楽ではなかった。 収益をあげる設備投資であればまだしも、わずかな女性のために、 収益をあげる見込みのない資金を、自発的に投じる余裕はなかった。 しかし、情報化は鉱山会社にもやってきた。 女性が女性のまま労働者として入社してきたのだ。 卑猥な性的な表現も、男性だけなら気晴らしにもなろうが、女性相手には性的な嫌がらせとなった。 ジョージーは男性化することなく、女性のまま鉱山労働者たろうとした。 摩擦が起きるのは必然だった。 しかし、時代は彼女に味方した。 この時代、アメリカでは性別役割分担が、急速に崩れていった。 厳しい裁判闘争を通じて、彼女は女性の職場進出をかちとり、女性のための職場環境の確立に大きな働きをした。 先頭を歩く者は、いつの時代も大きな風を受ける。 彼女は個人的な男女関係を詮索されたり、知られたくなかった過去をほじくり返されたり、 傷だらけになりながらも先蹤者となった。 我が国でも、日産自動車、昭和シェル石油や住友金属の女性社員たちの裁判闘争は有名である。 いずれも少数者として始まった差別撤回運動は困難を極めるが、 時代が流れがその運動を押せば、運動は目的を達しうる。 この映画は、時代の先頭を歩いたジョージーという女性に捧げられている。 成功した人間の実話をハッピーエンドに描くのは、いかにもハリウッド流だともいえるが、 主題はけっして娯楽作品として大衆受けするものではない。 にもかかわらずメジャーの映画会社が、有名俳優を使って劇場公開するのには、ほんとうに頭が下がる。 我が国では,「釣り馬鹿日記」のとなりに、この手の映画がかかっていることは考えられない。 絞り込んだ主題に向けて、映画は粛々と進む。 エピソードもふんだんにあり、決して退屈ではない。 彼女を批判的に見る世間を、映画はさまざまに描く。 子供からも世間の目で見られることが、主人公の女性にはつらい。 子供も大きくなれば、世間体を生きている。 性的にふしだらだという風評が飛べば、子供は簡単に信じて親を恨む。 鉱山労働者だった父親ハンク(リチャード・ジェンキンズ)は、 男性の職業人としては、女性の鉱山進出を許せない。 しかし、親としての立場が、職業人の価値観を上回る。 組合の集会で、彼は一人敢然と娘を擁護する。 ここは涙なしには見ることができない。 実話はこんなに話のわかる父親ではなかったろうが、現在のアメリカは子供を庇護する親が、何よりも大切なのだ。 しかし、夫がありながら鉱山労働者になるほうが、実ははるかに困難だったろう。 実話といいながら、その意味ではシングルマザーという設定が、 血縁の親子関係を強調することになってしまい、女性労働者の問題を先鋭化させなかったかもしれない。 蛇足ながら、我が国で女性の炭坑労働が禁止される前は、 石炭を掘る男性と運ぶ女性が、2人1組となって地下の採炭場へ降りた。 この時代は、女性差別が薄かったのだ。 女性の炭坑労働が禁止されるに従って、むしろ性別分業が強制され、性差別は拡がっていったのである。 翻って現在、シャーリーズ・セロンもニキ・カーロ監督も、セクハラを受けたことがないと、 劇場プログラムのインタビューで答えている。時代はほんとうに進んだ。 母親役のシシー・スペイセクが、従順だが芯の強い女性を演じて、いい雰囲気だった。 ウッディ・ハレルソンの弁護士は、明らかにミスキャストだろう。 しかし、映画としてのできも充分に及第点であり、我が国では決して作られることない映画で、 星を一つ献上する。 原題は「North Country」 2005年アメリカ映画 (2006.1.17) |
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