タクミシネマ       ハリー・ポッターと炎のゴブレット

ハリー・ポッターと炎のゴブレット 
マイク・ニューウェル監督

 ハリー・ポッターハリー・ポッターUクリス・コロンバスが監督し、
ハリー・ポッターVアルフォンソ・キュアロンが監督した。
監督が替わったので、第3作もややタッチが違った。
今回はイギリス人が監督になって、前回以上に大きく違った。
監督の交代で、こうも変わるものかと、改めて認識した。

ハリー・ポッターと炎のゴブレット [DVD]
公式サイトから

 前作までは、孤児のハリー(ダニエル・ラドクリフ)が居候していた家が必ずでてきたが、
今回はそうした背景はすっかりカットされていた。
しかも、童話としての夢のような話が消えて、
おどろおどろしい悪魔との対決が前面にでてきた。

 ハリーの所属するホグワーツ魔法魔術学校を舞台に、
ボーバトン魔法アカデミーとダームストラング学院の学生が、魔法の対決をする。
これだけで物語を作れば良かったのだろうが、これに闇の魔王(レイフ・ハインズ)がからんでくる。
物語の中心が3校の対抗戦になったので、ハリーと友達のロン(ルパート・グリント)とハーマイオニー(エマ・ワトソン)の存在が薄くなってしまった。


 ハリーを中心にロンとハーマイオニーの友情が、魔法の世界を中心に展開されるというのが、
今までの物語の骨子だったから、ずいぶんと変わってしまった。
しかも、3校の対抗戦には、17歳未満は出場できないはずなのに、なぜかハリーが出場してしまう。
原作ゆえとは言え、ちょっと無理な展開である。

 この物語はハリーが主人公であり、結局はハリーが勝つのは自明だから、
よほどエピソードを充実させないと、映画としてもたない。
しかも、第1作では小さくて可愛かった出演者たちは、大人とほとんど変わらないところまで成長して、
微笑ましさが消えている。
だから、子供映画としてももはや通用しない。

 この映画に出演している子供たちは、決して上手くないので、演技で見せることは出来ない。
とすると、物語への興味で見せるしかないのだが、
物語の構成が煩雑になってしまい、焦点が絞れなかった。
そのため、闇の魔王との関係が、取って付けたようなものになってしまっている。

 3校を代表して、ビクトール(スタニスラフ・アイエネフスキー)、セドリック(ロバート・パティンソン)とフラー(クレマンス・ホエジー)が、対抗戦に出場することになった。
17歳未満のハリーも出場することになったが、
これはハリーの自発的な意図ではなく、魔王の意を受けたマッド-アイ(ブレンダン・グリーン)が仕組んだことだった。

 この経緯が不自然な上に、17歳の年長者を相手に、14歳のハリーが勝つというのも不自然である。3人の対抗戦のあいだに、魔王との戦いが絡み、死者まででてしまう。こうした童話には、死者を登場させるべきではなく、すなおに心楽しく見せるべきだろう。おどろおどろしい楽しさもあるが、それは別の映画が見せればいいのであって、このシリーズが見せることはない。

 第1作、第2作と好評を博したが、第3作はそれほどではなかったので、
再び監督を変えたのだろうが、これは明らかに裏目に出ている。
この監督の雰囲気つくりが暗いのだ。
しかも、色気づいてきた年齢だからか、男女関係も織り込まれているが、それがなにかしっくりとこない。
大人が考える若者の男女関係に見える。

 交際を申し込むのにどぎまぎするとか、如何にもありそうだが、
この映画が描く男女関係は、大人が青春を振り返ってのものだ。
子供の視点で映画が作られておらず、
自分の青春を思い出しながら、大人が過去を振り返って映画を作っている。
そのため映画に驚きや流れがなく、それぞれのエピソードが上手く絡んでいない。

 エピソードが消化されていないのは、ルビウス(ロビー・コルトレーン)のラブシーンやリータ記者(ミランダ・リチャードソン)などについても言える。
これらの話はあってもなくても良く、無駄とも言える。
物語のなかで必然性がないので、カットしても話が続いてしまうものだ。
エピソードを繋ぐ物語がきちんとしていないので、後半になると間延びしてだれてきてしまった。

 黒人からインド人・東アジア人まで、人種差別なく子供たちを登場させているが、
映画の中心はあくまで白人である。
重要な役には白人が振られていることから、有色人種は白人の引き立て役でしかない。
人種差別に変な配慮をして、
少数人種を登場させると、かえって裏返った人種差別がでてしまう。
物語のなかで必然をもって少数人種を登場させないと、
隠れ人種差別者のポーズとして、かえって人種差別が強調される。
イギリス人監督のせいではないと思うが、この映画からは、屈折した隠れ人種差別を感じた。 

 sfxはじつに精巧になった。
しかも、sfxを見せようとする意識がなく、特殊効果は物語の背景になっている。
だから、効果的な使われ方になった。
しかし、問題は主人公たちの年齢であろう。
今回はまだしも、次作ではハリーたちは大人になってしまう。
とすると童話と言えるのだろうか。  
  2005年アメリカ映画
(2005.11.29)

TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る