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ニューヨークの近くの町、ロング・ビーチで生まれたヴィンセント(ロバート・デ・ニーロ)は、父親が殺人犯として処刑されていた。 しかし、警察官の養父に育てられ、今ではニューヨークでも有能な刑事となっていた。 彼には離婚歴があり、ジョーイ(ジェームス・フランコ)という子供が一人いた。 先妻とジョーイは、いまでもロング・ビーチに住んでいた。
麻薬売人のいざこざで、ピカソという男が殺された。 その犯人として、ヴィンセントの息子が浮上した。 親子だからということで、彼は捜査から外れるが、相棒だったレッジ(ジョージ・ズンザ)が殺される。 警官を殺したら、警察は容赦しない。 この殺人はジョーイの仕業ではなかったが、警察はジョーイの仕業と決めつけて、徹底した捜査を進めた。 ヴィンセントは、父親と職業としての刑事のあいだで悩むが、結局は職を賭して子供を救おうとする。 この展開に、現在の恋人であるミッシェル(フランシス・マクドーマンド)や、ジョーイの恋人ジーナ(エリザ・ドゥシュク)、それにジョーイの子供つまりヴィンセントの孫などが絡んで、物語はすすむ。 前半に張られた伏線がよく効いており、後半にはきっちりと話が納まり、安定して終末へと進む。 起承転結のはっきりした展開で、映画のお手本のような物語である。 父親の愛がなかったことが、子供にどれだけトラウマをつくり、子供の精神活動を抑圧していったかを、この映画は丁寧に描いている。 そして、子供を演じたジェームス・フランコの演技のうまさと相まって、非常に説得力のある展開になっていた。 また、ヴィンセントの悩みもよく伝わってきて、現代アメリカの家族の困惑をよく感じさせる。 ヴィンセントの実の父親は、彼が8歳の時に処刑された。 それは彼の秘密として、心の奥深くしまいこまれ、現在の恋人ミッシェルにも打ち明けなかった。 ミッシェルは結婚しても良いと考えていたが、ヴィンセントを今一理解できない部分が、彼女に結婚をためらわせていた。 ヴィンセントから父親の話を聞いて納得するが、彼の心の傷の深さに驚嘆する。 トラウマが心を閉じさせたという展開は、「記憶のはばたき」などでも見られたが、自立を願う近代人たちの自己治癒なのだろう。 一種の引きこもりである。 父親から愛情を注がれなかったヴィンセントだが、養父からは人の道を教えられ、まっとうな社会人になった。 いま自分の子供であるジョーイが、再び同じような境遇に置かれ、呻吟している。 そして、ジョーイが警官を殺した殺人犯となれば処刑され、孫のアンジェロもまた苦しむことになる。 ヴィンセントはジョーイに、警察に捕まるように心から必死で説得する。 ロバート・デ・ニーロの定番映画らしく、親子関係を丁寧に扱ったものだ。 家庭の絆が壊れている。子供の未来は決して明るくない。 「ブルックリン物語」「マイ ルーム」「スリーパーズ」と、彼の主張は一貫している。 おそらく同じ主題の映画を選んで出演しているのであろう。 彼のこうした活動には、ほんとうに頭が下がる。 血縁の親に、子供への愛情を訴えるのは、もちろん肯定する。 血縁の親ですら、子供に愛情を注がなくなってしまったアメリカの状況に、彼は危機感を持っているのだろう。 しかし、親という人間には、離婚の自由もまたある。 子供を不幸にしないために、離婚を思いとどまるというのは、決して子供のためではない。 愛情がなくなってしまったら、男女は離婚してもいい。 離婚によって子供は、男女の関係では疎外されるかもしれないが、親子関係は断絶するものではない。 血縁の親こそ子供を愛すべきだ。 それがロバート・デ・ニーロの主張である。 男女の関係が切れても、親子の関係は切れない。 だから親は子供を愛せが、彼のメッセージである。 そのとおりだが、それを認めた上で、彼の主張には必ずしも賛同しかねる部分がある。 血縁がなくてもいい。 とにかく全身で受け止めてくれる大人が、子供には絶対的に必要である。 血縁の親に拘ることは、人間関係を血縁へと狭めてしまいかねず、事実に寄りかかることになってしまう。 血縁という事実へのよりかかりは、血縁のない子供を差別することになる。 情報社会の人間関係は、事実の支えをもたない純粋な愛情による。 観念としての愛情が、子供に降り注がれるとき、それが血縁であるかどうかは論外である。 血縁の家族という事実が、愛情を保証するのではなく、ただただ純粋な愛情こそ大切なのだ。 それにしても、すでに名をなしたロバート・デ・ニーロが、こうも親子に拘るのは彼の主義なのだろう。 保守的な立場からだが、傾注すべき主張ではある。 この映画は、9.11以前に撮られたらしく、ニューヨークの夜景にはワールド・トレード・センターが映っていた。 それにしても、ロング・ビーチ市のさびれ方が、またいかにもアメリカ的だった。 ちょっと珍しいことに、フィルムはコダックを使って現像はフジがやっていたが、色調はコダックだった。 2002年アメリカ映画 |
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