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サイン   ナイト・シャマラン監督 

 かつて神父だったグラハム(メル・ギブソン)は、交通事故で妻を亡くした。
今は息子のモーガン(ローリー・カルキン)と娘のボー(アビゲイル・プレスリン)、それに弟のメリル(ホアキン・フェニックス)の4人で暮らしている。
周りは見渡すかぎりのトウモロコシ畑という田舎である。
サイン [DVD]
劇場パンフレットから

 犬がほえる妖しげな空気が流れるなか、グラハムは不気味なものを感じて目を覚ます。
子供たちがいないので、あわてて外に飛びだしてみると、ナスカの地上絵のような巨大な文様型=サインに、トウモロコシがなぎ倒されていた。
テレビは巨大な文様が、世界の400カ所で発見され、続いて宇宙船らしきものが出現したと伝えている。

 巨大な文様をサインと呼んでいるのだが、これは宇宙人の本隊が到着するための案内らしい。
宇宙人は何のために、何をしにやってくるのか、人々は疑心暗鬼に揺れる。
グラハムも心配になり始める。
ところで、グラハムの妻を死に追いやったのは、レイ(ナイト・シャマラン)という男の居眠り運転だった。
今でも彼とは町で会うが、気まずい空気が流れる。


 レイから電話があって、神父とだけ言って切れる。
グラハムはレイだと察知して、彼の家に行ってみると、グラハムの妻を殺したことを詫びながら、宇宙人を恐れて湖畔に非難するという。
ここまでは良いのだが、不思議なことにレイは、宇宙人を自分の家に閉じこめたという。
そして、グラハムを残して、湖畔へと車を始動させる。

 グラハムがレイの家に入ってみると、何やら生き物の気配がする。
扉の隙間からのぞくと、本当に宇宙人らしい。
確かめた拍子に宇宙人の指を切ってしまう。
あわてて家に戻ると、その晩宇宙人がやってきて、彼の家の周りをまわって侵入しようとする。
一晩にわたって宇宙人と抗争が続くが、夜が明けると、宇宙人がいなくなっており、彼らは助かったという顛末である。


 この映画で何が言いたかったのであろうか。
宇宙人の襲来を、室内に立て籠もってやり過ごすのと言うのは、ユダヤ人の過ぎ越しを思い出させる。
エジプトでの話。
子羊の血を入り口に塗っておかないと、家の初子を連れ去ると神のお告げがあった。
ユダヤ人の初子は、お告げに従ったので助かったが、真夜中に神がユダヤ人以外の家にきて、異教徒の初子を殺していった。

 外では宇宙人が飛び回り、なかでは4人が立て籠もっている。
エジプトで飛び回るのは神で、ここで飛び回るのは宇宙人という違いはあるが、超能力対人間、子供をめぐる話など、似ているように思う。
しかも、神父だったグラハムは、妻の死によって宗教を捨てている。
この映画では、グラハムの神父をやめたことが、大きな伏線となっており、息子のモーガンが助かったことによって、彼は神の存在を信じて神父へと戻る。

 この映画のモチーフは、「アイス ストーム」のように、アメリカ人非難ではないだろうか。
家族を顧みないアメリカ人を批判して、「アイス ストーム」ではアン・リー監督が、天罰のように子供を殺していた。
この映画では神を信じないアメリカ人を、批判したのではないだろうか。
妻の死などという些細な出来事で、神父が神を捨てるとは、一体何事かというのだろう。

 神は宇宙を創造したのであり、人間も神の子供なのだ。
この世には偶然と言うことはなく、すべて神が決めた必然に従って動いている。
妻の死という苦行を与えられたかも知れないが、神は子供を救ってもいる。
グラハムよ、神に感謝せよ、というメッセージとして受け取れる。

 インド人のナイト・シャマラン監督は、現代の人間だから、もちろんかつてのような人間型の神を信じてはいないだろう。
しかし、科学者の多くが、創世主としての神を信じており、宇宙の規律は単純で美しいと考えている。
単純で美しいはずだから、真理の探究に向かうのだ。
ここでの宗教は、いまだに健在である。


 いかに情報社会が始まろうと、宇宙秩序としての神は、厳然として生きている。
宇宙の法則を支配しているのは、万物を創造した神だ。
とすれば、神への感謝を忘れた人間は、天罰が下るだろう。
そう読める映画である。
中国人のアン・リー監督がアメリカ人の家族観を批判し、インド人のナイト・シャマラン監督が、アメリカ人の真理に向かう姿勢を批判する。

 中国もインドも、かつては大文明を誇ったかも知れないが、現在ではその有効性は低下している。
しかし、大文明の末裔たちは、自分たちの存在を毫も疑わない。
ナイト・シャマラン監督はきわめて賢いインド人だろうから、アメリカ文明には物足りなさを感じているに違いない。
前々作の「シックスス センス」といい本作といい、死や霊とか超能力といったものを好んでいるのをみると、物質文明を批判したいのだろう。

 いまだプロテストしていない中国やインドは、ニーチェの悩みは知るよしもない。
近代から出発したアメリカ人には、最初からニーチェの末裔であることが運命づけられている。
旧弊なカソリックの神父は、アメリカ人にはお呼びではない。
しかし、旧世界の人間には、それが判らない。
神とは無縁で立つのは、厳しく恐ろしいことだと思う。

 映画の仕立てはとても恐ろしく、立派なサスペンスである。
次の画面はどうなるのかと、半ば恐怖に震えながらも、好奇心に引きずられてしまう。
しかし、この監督の本領は、画面の美しさではなく、論理的な展開だろう。
そうした意味では、グラハムが宇宙人の指を切りながら、警察に通報しなかったり、レイが宇宙人を閉じこめることができたり、と展開が破綻している。
初心に戻るべきだろう。

2002年アメリカ映画   

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