タクミシネマ         ヤンヤン夏の思い出

 ヤンヤン夏の想い出    エドワード・ヤン監督

 同じ台湾人である侯孝賢の「トントンの夏休み」をおもわせる。
人生に対する長く、しかも温かい目をもった作品である。
3時間近い長い映画だが、もう少し無駄を省いて2時間半以内に納めれば、二つ星の映画である。
ちなみに侯孝賢、エドワード・ヤンともに1947年生まれである。

 NJ(ウー・ニエンジェン)とミンミン(エレン・ジン)夫妻は、高校生のティンティン(ケリー・リー)と小学生のヤンヤン(ジョナサン・チャン)という二人の子供、それにミンミンのお母さんの五人で、台北の高級マンションに住んでいる。
映画はミンミンの弟アディの結婚式から始まる。
真面目に人生に取り組むNJに対して、義弟のアディは運を天に任せた生き方である。
新婦は妊娠してお腹が大きく、結婚式当日も以前の恋人が乗り込んでくる始末。
おばあちゃんは気分が悪くなって、披露宴の途中で帰宅してしまう。
その晩、おばあちゃんは脳溢血で倒れ、意識不明のまま自宅で過ごすことになる。

ヤンヤン 夏の想い出 [DVD]
 
前宣伝のビラから

 ストーリーはあまり重要ではない。
平常な毎日に起きる些細な出来事が、坦々と描かれるだけである。
NJの会社の出来事、発展家の隣人親子とティンティンの関係、ヤンヤンの学校生活、おばあちゃんの看病、ミンミンの山籠もりなど、事件といえば事件ではあるが、いずれもありそうな話である。
ちょっと偶然的なできごとは、NJが昔の恋人シェリーと出会ったこと、
そして二人は東京で30年ぶりのデートをすることであろうか。
シカゴに住むシェリーはすべてを捨てるから、もう一度やり直そうとNJに迫る。
彼はシェリーを最も愛しているが、それに応じるには時間がかかると答える。
すると、彼女は黙ってアメリカへ帰ってしまう。

 昔の恋人との再会を除けば平凡な話であるが、おばあちゃんが意識不明で寝ている設定に意味がある。
医者は、物言わぬおばあちゃんに話しかけることが、回復を助けるという。
その指示に従って、各自がおばあちゃんに話をするのが、一種の狂言廻しになっている。
返事のない人間に、心情吐露という形で話をするのは、自分を見つめ直すことである。
主婦ミンミンは話そうとするが、自分の中に何もないと知って愕然とする。
フェミニズムが発生する原点を、この監督ははっきりと判っている。
主婦の精神の内面的な空虚さが、フェミニズムを生んだのである。
ここではミンミンは宗教に走ることになる。

 ティンティンは隣家のリーリーと仲良くする。
リーリーが恋人ファティを振ったことから、ファティと仲良くなる。
しかし、二人の関係もうまくいかない。ヤンヤンは学校で女の子に虐められているが、実はその女の子が好きなのである。
このヤンヤンの表現がとても良い。
アディは結婚して、新婦は出産を控えているのに、昔の恋人とも関係が続いている。
やがて、おばあちゃんは静かに息を引き取る。


 小さな出来事のなかに、長い人生の神髄が凝縮されて展開されるかと思えば、大きな出来事のなかに平凡なことが描かれる。
人間は単純でもあり、複雑でもある。
昔から言い習わされてきたことではあるが、人間の様々な面をエドワード・ヤン監督は、自分の目で描いていく。
恐怖分子」や「カップルズ」よりもずっと土着指向がでて、中国人特有の長い視線を獲得してきたように感じる。
情報社会化が激しく進む台湾であっても、農耕社会的な倫理はずっしりと残っている。
新たな時代に戸惑うことなく、誠実な人間の生き方を肯定している。

 エドワード・ヤン監督はアメリカの生活が長かったようだが、アメリカで身につけた情報社会的な視点が台湾で発酵し、すこし土着的なほうへと戻ったようだ。
53才の彼は、時代のうねりのなかで思考しつつも、少しずつ古い台湾的な世界へと軸足を移し始めたのだろうか。
時代の最先端を切り開くことを思考する表現もあれば、人間の本質を考える表現があっても良い。
人間の本質を思考する姿勢は、途上国の監督たちがもっているものだから、ヨーロッパの映画祭が評価しうるのである。
この映画も2000年のカンヌ映画祭で監督賞を受賞している。
ダンサー・イン・ザ・ダーク」などカンヌの悪口を書いているが、ヨーロッパの映画祭は関係指向の映画は理解できず、本質指向のものしか判らないということである。

 エドワード・ヤン監督は、人生で起きることは1+2のようにシンプルだといって、この映画に「A one & a two」という原題を付けている。そして、彼は

 この映画は人生における1+2と同じくらいに、とてもシンプルである。私はこの映画を見終わった観客が、まるでただの友だちと一緒にいたかのような気分を味わっていて欲しいと思う。もし彼らが、「一人の映画監督」に出会ったような印象を持って映画を見終わったとしたら、私はこの映画は失敗作であったと思う。(前宣伝のビラから)

と言っているが、そう言った意味では失敗作である。
映画のなかで語られることは、平凡な出来事ではあるが、決してシンプルではなく、人間は複雑だと感じさせる。
そして、エドワード・ヤンという「一人の映画監督」の人生観を見せてもらったと感じるのである。

 無為を映像化することは至難の業で、監督はそんなことを望んでいるのではあるまい。
一表現者としてエドワード・ヤンの世界を描いているに他ならず、本人の意と反しているかもしれないところで、この映画をきわめて高く評価する。
エドワード・ヤン監督は熟成してきたと思うが、ここから近代の超克へと走らなければいいが、とちょっと気になるところでもある。
台湾と日本の合作映画だが、この出来上がりから台湾映画という以外には考えられない。
ヤンヤンの存在は大きくないので、この邦題は適切ではない。


2000年台湾+日本映画

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