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血塗られたダイヤモンド、といった意味だろうか。 資源や利権をめぐる先進国と、途上国の指導者の絡み、 それをめぐる個人の動きを描いて、つよく訴えるものがある。 正義派や悪人といった決定論を持ちださないで、状況でおこなう個別的な行動で人間を判断すべきだ、という主題はよく伝わってくる。
1999年、アフリカのシエラレオネ共和国での話。 アフリカ生まれのダニー(レオナルド・ディカプリオ)は、内戦で孤児となった。 「戦争請負会社」の社長だったコッツィー大佐(アーノルド・ボスロー)に育てられ、 傭兵として働き、いまではダイヤの密輸を生業としている。 彼はダイヤの原石を、武器と交換している死の商人である。 彼は密輸に失敗して、刑務所に収監された。 刑務所のなかで、ソロモン(ジャインモン・フンスー)が大きなピンク・ダイヤモンドを発見したという話を聞く。 当時は、政府軍と反政府軍のRUFが、激しく対立して勢力争いをしていた。 両者とも利権を狙っており、国民の平和や福祉など、まったく無視されていた。 ダイヤが大きな金になったので、多くの人がダイヤ採掘に、強制的に従事させられていた。 ソロモンはダイヤを発見した。 RUFに取られないように地中に埋めたところへ、政府軍によって拘束されたのだった。 ソロモンは子供のディア(カギソ・クイパーズ)を、RUFにとられ、家族がバラバラになっていた。 子供と家族を取りもどしたいソロモンと、ダイヤが欲しいダニーの思惑が一致し、 rufの支配地域である採掘現場へと2人は戻っていく。 生の武力抗争が交錯する内戦状態のなか、簡単には採掘現場へはたどり着けない。 戦争請負会社やダイヤモンドの国際マーケット、 そして国連や戦場ジャーナリストのマディー(ジェニファー・コネリー)などが絡みながら、 ピンク・ダイヤ探しへと話が進んでいく。 話と言えばこれだけなのだが、舞台となっている国が内戦状態だから、5分ごとに戦闘場面があらわれる。 「ブラック ホーク ダウン」ではアメリカ側からアフリカの抗争を描いていたが、 この映画は対立する両者を対等に描いている。 そのため、抗争がきわめてリアルである。 家族を捜すソロモンを正当化するためか、 RUFの子供兵士教育を入念に、しかも悪し様に描いていた。 しかし、実際は違う。 子供でも兵士となれる。 戦いは大人のもので、子供は戦争に行かないと言うのは、近代の観念でしかなく、 戦いは部族の全員がおこなうものだった。 けっして子供が戦いから免れるわけではなく、戦える者はすべてが戦う。 部族抗争との違いは、近代的な武器になってから、抗争が大量死になったことだ。 (この部分は訂正します。下記を参照してください。) 子供の発射する銃でも、あたれば人は死ぬ。 子供は戦いの環境になれる。 rufに捉えられたディアも、完璧は兵士になっていた。 再会したときには、平時の父親が戸惑うほどだった。 戦いは人心を殺伐とさせるから、戦士になってしまった子供の今後の生活が大変だろう。 そういえば、紅衛兵のその後はどうなったのだろうか。 アフリカの街並みのなかで、アフリカ特有の色が飛び交い、スクリーンから殺伐とした雰囲気が良く伝わってくる。 この手の映画は、先進国の横暴とか、利権を狙う禿げ鷹といった話になりがちだが、 あくまで状況におかれた個人の生き方に焦点が合わされている。 ダイヤへの欲望と、家族を取り戻したい欲望。 特ダネを取りたい欲望。欲望自体は等価なのだ。 戦場ジャーナリストは、一種の禿鷹である。 アメリカ人のマディーは、アフガニスタンからボスニアと、戦火を追って転々としていた。 危険を求め、抗争に不感症になっているマディーを、ダニーは利用価値ありと近づいていく。 主人公の男女は白人で、これはアメリカ映画である。 一種の極限状況を生きる2人は、やがて恋に陥るが、2人の位置の取り方が、なかなかに微妙である。 セックスを別にすれば、彼女は男性とまったく同じ戦場ジャーナリスト。 女性が取った特ダネだって、裏付けがなければ相手にされない。 弾が当たれば死ぬし、タダでは情報は取れない。 マディーはブラジャーなどしていない。 ほとんど男性と同じである。 そうでありながら、2人はやはり男女である。 おそらく我が国の女性たちも、こうした領域では男女差別のない活躍をしているのだろう。 露出が適正ではない場面がたくさんあったが、それは被写体の衝撃力の前に、ほとんど気にならない。 むしろ、ざらついて眠い画面がリアルで、衝撃力を増してさえいる。 2時間半近い映画で、長いだけではなく、緊張感のある画面が連続するので、見終わってちょっと疲れる。 戦場のシーンでは、大勢のエキストラが登場する。 cgを使わずに、大量の人間を登場させるのは、人件費の安い場所でしかできない。 この映画は、アフリカの利権に群がる資本を批判しているが、 安い人件費だから大量のエキストラが使えるのだ。 安い撮影費が、この映画を成り立たせている。 何という皮肉だろうか。 それにしても、レオナルド・ディカプリオは何と上手い役者だろうか。 まず身体を小太りにつくって、傭兵崩れを体現している。 そして、厳しい生存環境を、斜めに生きるすねた者の視線を、にじみ出してみせる。 それでありながら、ちょっとロマンティシティズムを孕んだ表情。 微妙な内心の動きが、表情に表れている。 天性の役者であろう。 2006年のアメリカ映画 (2007.5.8) 子供兵士教育を入念に、しかも悪し様に描くことへの追記− 筆者はこの映画の意図を誤解していた。 成人への通過儀礼を経ていない者を兵士にすることは、人類の歴史ではあり得なかった。 女性や子供に対しては、戦闘員としては扱わないという戦時慣習が確立していた、と考えるべきだ。 中東やアフリカのいくつかの国では、 政府軍も反政府軍も、子供を誘拐まがいのことをして集め、兵士に仕立ている。 子供兵士の問題は、いまや国際的な監視下におかれるべきで、 この映画は子供兵士禁止を言外に訴えていた。 だから、子供を兵士に仕立てる教育を悪し様に描いたのだ。 子供の人権条約が結ばれながら、子供は安い兵士として、前線に送られる。 火器が小型化し、子供でも扱えるようになったので、子供は大人以上の戦いを示す。 成人兵士を育成するより、子供兵士は安くつくれるし、子供だから文句も言わずに危険な戦いもする。 この映画は、子供兵反対の映画と見るべきである。 この映画のかなり大きな部分を占める問題なので、あえて書き加えて、本文を訂正したい。 (2008.1.13) |
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