タクミシネマ          ブラックホーク ダウン

ブラック ホーク ダウン   リドリー・スコット監督

 これだけ大がかりな映画は、今やアメリカしか撮れないとは思いつつ、年老いるとは時代から取り残されることだと、しばしの感慨におちいった。
「エイリアン」「テルマ&ルイーズ」と、同時代感覚の映画をものにしてきたこのイギリス人監督も、すでに60歳をこえている。
同時代的な感覚は、年齢とともに喪失していくのだろうか。
ブラックホーク・ダウン(完全版) [DVD]
東京ウォーカーから

 1992年、ソマリアで内戦が起きた。
部族間衝突に見えたが、30万人が殺された。
そこで、国連が介入した。
この映画は、その最後におきた作戦をあつかっている。
1993年10月3日、アメリカ軍も引き上げようかという時、特殊部隊レンジャーとデルタ・フォースは、現政権の大統領を誘拐する作戦にでた。
30分で終わる予定だったが、敵の反撃に遭い一昼夜にわたる銃撃戦になった。

 2時間半にわたる長丁場の、ほとんど全編が戦闘シーンである。
この映画では主人公と呼べる者はいない。
ただ作戦に従事した者たちの、戦場での助け合いや殺しあいがあるだけで、人間関係の描写は極端に押さえられている。
もちろん、この手の映画の常として、アメリカ軍側から描かれているので、アメリカ軍の死傷者は入念に描かれるが、現地の民兵は動物の群れのように眺められている。


 フランス人といいイギリス人といい、ヨーロッパ人はアフリカ人を特殊な目で見る。
この映画は戦場を描いてのであり、アフリカを舞台にしているが、実はどこでも良かった。
ベトナム戦争の映画でも、ベトナム人は虫けらのように扱われたが、この映画はアフリカの黒人を人間として見ていないように感じる。
黒人は環境の一部であり、環境の中で白人たちが苦悩する、そんな構図が浮かんでくる。

 この作戦で19人のアメリカ人が死んだが、アフリカ人は3千人以上が死んだというにもかかわらず、アフリカ人の死はほとんど語られていない。
この作戦自体の可否は問われず、失敗した作戦の苦悩が描かれるだけである。
アフリカを舞台にしながら、ここにはアフリカ人は登場しない。

 問題は2つある。
まず、大規模な内戦が勃発したとき、先進国はどう対応すべきかである。
今や先進国とよばれる国も、近代化の過程で内戦を体験した。
今近代化に踏み出したアフリカは、部族間抗争とからんでの内戦を避けられない。
内戦には殺戮がつきものである。
ジェノサイドに発展したとき、先進国は介入すべきだろうか。
これは現実政治の問題で、簡単には答えがでない。


 冷戦が終わったことによって、それまでの東西の勢力分布が崩れた。
ソ連を敵とみなしていたアメリカは、それまで周辺諸国や少数民族に支援を与え、ソ連の防波堤としていた。
ソ連が崩壊したので、もはやその必要はない。
アメリカは方針をかえた。
しかし、アメリカの支援を得ていた人たちは、自分たちの戦いを闘っていたのであり、アメリカのために闘っていたのではない。
力を付けた少数民族は、自立のために立ち上がる。
それが内戦となって勃発する。

 もう1つの問題は、アフリカを映画化する視点である。
アフリカをあつかった映画は、アフリカ人が発言したのではない。
肯定するにせよ否定するにせよ、アフリカを舞台に白人たちが映画を撮る。
それはもちろん、白人たちの価値観によって撮影される。
この映画も例外ではない。
アフリカは自ら存在するだけであり、自己を表現する手段がない。
わが国のジャパネスクが、白人文化との相対化のなかでしか語られないように、前近代人は自己を自己として認識する方法をもっていない。

 近代に自覚的であれば、アフリカを舞台にしても、この映画ほどソマリア人を環境化しないであろう。
しかし、時代を見失っているこの監督は、一度としてソマリア軍からの描写はしない。
おそらくソマリア人たちの論理に入れないのだろう。
アフリカの無秩序になじめず、なぜ彼らが闘うのか、判らないに違いない。
飢饉で食料がなく、国連の援助物資に頼っているというが、どんな状況でも人々の行動には理屈がある。
部外者には、その理屈を理解できないだけである。


 この映画はソマリアで撮影されたわけではなく、モロッコがロケ地になったようだ。
そのため、イスラム特有の風景がたくさん見られるが、ソマリアもイスラムの影響下にあるのだろう。
中庭式の密集した家のならびは、上空から見るとモザイクのようだ。
そこへアザーンが響き、人々は大地にひれ伏して祈る。
状況を説明するわずかな冒頭のシーンは、それに続く戦闘シーンの長さによって、観客の記憶から消し去られてしまう。

 戦闘場面だけとも言えるこの映画は、特別に新たな映像を見せてはくれない。
ヘリコプターが並んで飛ぶシーンは「地獄の黙示録」でみたし、薬莢がパチンコの玉のように落ちるのも、すでに見たシーンである。
この映画は、映像美の勝負ではない。
とすると、これだけお金をかけながら、製作者たちは何がいいたかったのだろうか。

2001年のアメリカ映画   

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