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ロバート・ワイズ監督の「地球の静止する日」(1951)を大幅につくりかえたリメイク物である。 宇宙物には定番のように、VFXが多用されている。とてもお金がかかっている。
1928年のヒマラヤ山中で、クラトゥ(キアヌ・リーブス)は宇宙船と遭遇する。 時代は飛んで現代へ移動し、未確認物体が超高速で地球めざして飛来している。 あと数十分で地球に衝突するので、急遽、科学者が集められる。 招集されたなかに、ヘレン(ジェニファー・コネリー)もいた。 未確認物体は衝突しないで、ニューヨークに着地した。 そして、繭のような生物と、巨大な鉄人を差し出す。 アメリカ政府の対応は、侵略者と見なして攻撃することだった。 一発だが、繭のような生物に、発砲してしまう。 しかし、攻撃してこないので、その生物を助けることにした。 繭のなかからはクラトゥがでてきたが、彼は宇宙人がクラトゥの肉体を借りたものだった。 アメリカ政府の対応は、基本的に武力によって排除するものだから、クラトゥに薬品を使って尋問しようとする。 ヘレンが助けるのだが、あれだけの超能力があれば、ヘレンの援助は不要だと思う。 この映画もまさにその通りである。 クラトゥがいうには、人間が傲慢で地球を大切にしないので、地球を救うために人間を抹殺するのだという。 この映画の主張は、環境破壊に無神経なアメリカ政府批判でもあろう。 人間以外の生物を救うために、人間という種を抹殺しようという。 話はわからなくはないが、この問題設定自体が、アメリカ人の傲慢さの現れではないだろうか。 アメリカ政府が環境に無神経だとしても、それはアメリカ政府の問題であって、人間という種の問題ではない。 百歩譲って、先進国の人間の問題だとしても、人間という種の問題に敷衍するのには飛躍がある。 種としての人間といえば、原始的な生活をしている人も含まれてしまう。 農業が環境破壊の第一歩だとは、よく言われるが、この映画がいう環境破壊は、工業社会に対してだろう。 アメリカ人が種としての人間の代表であると考える発想自体に、すでにアメリカ人の傲慢さが表現されてしまっている。 「インディペンデンス デイ」や「アルマゲドン」などと同様に、地球の危機はアメリカの危機であり、地球を救うのはアメリカ以外に眼中にはない。 アメリカ中心の神経が、環境破壊に繋がっていくのではないだろうか。 アメリカでは人気がでるかも知れないが、他の国ではどうだろうか。 もっとも、地球とか世界といった概念を想定できるようになったのは、近代になってからだとすれば、先進国の人間だけが地球レベルで考えることができる。 日本人を含めて途上国の人間は、発想が身近な世界から離れにくい。 かんたんに世界中を旅行できる環境にないと、世界のことを想像することが難しい。 想像力はなかなか現実を離れることができない。 そう言った意味では、想像力の範囲が狭いのかも知れない。 映画としてみると、冒頭のヒマラヤのシーンが嘘っぽいし、ヘレンや子供ジェイコブ(ジェイデン・スミス)の性格付けに、安易さを感じる。 ヘレンがなぜクラトゥを助けるのか、よく判らない。 むしろ、未確認物体に対しては、アメリカ政府の対応が正解じゃないだろうか。 原題は、「The Day the Earth Stood Still 」 2008年のアメリカ映画 |
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