|
||||||||
難しい映画である。 「ロスト ハイウエイ」1996や「メメント」2000など、他にも難しい映画はあるが、この映画は成立事情が理解できない難しさである。 ホラー作家であるスティーブン・キングの原作であり、ジョニー・デップとジョン・タトゥーロが出演しているので、込み入った話だとは想像したが、この映画は映画製作の根底を脅かす映画である。
離婚手続き中の作家モート(ジョニー・デップ)が、シューター(ジョン・タトゥーロ)と名乗る男から盗作の疑惑をかけられる。 雑誌に発表されたのはモートの主張どおりで、正当性はモートにあると思えた。 しかし、ショーターがたびたび表れて、短編小説の結末が気に入らないから、訂正しろと迫る。 そして、彼の周りで殺人事件や放火事件が続発する。 彼は精神的に追い詰められていく。 モートには精神的に孤立していた時期があって、その孤立が奥さんエイミー(マリア・ベロ)を遠ざけてしまい、他の男(ティモシー・ハットン)との不倫へと追い込んだ。 奥さんの不倫から、離婚へと進んでいったが、彼は未だに奥さんに愛情があり、離婚届けに署名していなかった。 ここらあたりから、彼の精神が混濁してくるのだが、そこは映画であるから。 モートに普通の日常生活を演じさせている。 そして、かつての自宅が放火される。 そのうえ、ボディーガードとして依頼した弁護士も殺される。 ここらあたりまでが、この映画の怖いところである。 なぜこんな事件が起きるか一切説明がない。 このまま映画が進んでしまっては変だと思いながら、離婚届けに署名を求めにきたエイミーを殺すに至って、映画の背景が理解できる。 結局、すべてはモートの幻覚のなせることだった。 この映画のようなネタの明かし方は、約束違反ではないだろうか。 ノイローゼによって幻想を見て、殺人や放火をしたのだが、こんな結末ではどんな荒唐無稽な展開をしても、精神病による幻覚だったといえば終わってしまう。 映画の物語とは、虚構を破綻なく精密に組み立てることだと思う。 虚構を不自然だと感じさせない物語作りが不可欠である。 不可解な出来事が精神病によるものだ、といって済ませてしまえば、どんな展開でも破綻なく無事に結末を迎えることが出来る。 観念は現実の上に成立しており、現実が観念を抽出させるのだから、現実をまったく無視したら観念自体が成立しない。 抽出された観念が現実を支配することがあっても、観念だけで物語を作ることは約束違反であろう。 映画作りには、いくつかの原則がある。 たとえば主人公や犯人を殺して終わってはいけない。 最後に殺してしまえば、物語を終わらせることはできるが、論理的な破綻を制作者が認めることになる。 だから殺してはいけないのだが、この映画の種明かしは、そんな程度の原則違反ではない。 制作者が最初に設定した物語の枠を外れるのは禁じ手である。 観念の一人歩きが許されるのは、観念と現実が交錯し両者の区別が付かなくなるところまでである。 透明人間のような荒唐無稽な話であっても、透明であること以外は約束を逸脱しない。 この映画は当初、モートは通常人だと設定していながら、精神病による幻覚では観客は納得できない。 観念の倒錯は理解するが、映画製作の根底に違反している。 2004年アメリカ映画 (2004.10.29) |
||||||||
<TAKUMI シネマ>のおすすめ映画 2009年−私の中のあなた、フロスト/ニクソン 2008年−ダーク ナイト、バンテージ・ポイント 2007年−告発のとき、それでもボクはやってない 2006年−家族の誕生、V フォー・ヴァンデッタ 2005年−シリアナ 2004年−アイ、 ロボット、ヴェラ・ドレイク、ミリオンダラー ベイビィ 2003年−オールド・ボーイ、16歳の合衆国 2002年−エデンより彼方に、シカゴ、しあわせな孤独、ホワイト オランダー、フォーン・ブース、 マイノリティ リポート 2001年−ゴースト ワールド、少林サッカー 2000年−アメリカン サイコ、鬼が来た!、ガールファイト、クイルズ 1999年−アメリカン ビューティ、暗い日曜日、ツインフォールズアイダホ、ファイト クラブ、 マトリックス、マルコヴィッチの穴 1998年−イフ オンリー、イースト・ウエスト、ザ トゥルーマン ショー、ハピネス 1997年−オープン ユア アイズ、グッド ウィル ハンティング、クワトロ ディアス、 チェイシング エイミー、フェイク、ヘンリー・フール、ラリー フリント 1996年−この森で、天使はバスを降りた、ジャック、バードケージ、もののけ姫 1995年以前−ゲット ショーティ、シャイン、セヴン、トントンの夏休み、ミュート ウィットネス、 リーヴィング ラスヴェガス |
||||||||
|