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韓国現代映画だが、この映画を見る限り、韓国は我が国とほとんど同じ、もしくはそれ以上に進んだ社会になっていると知る。 この映画に見るように、個人が自立し、個人の希望を優先することが肯定される。 こうした社会は情報社会そのものであり、韓国の情報社会化が相当に進んでいる証拠である。
「浮気な家族」という題が付いているが、英語の題は「A good lawyer's wife」であり、おそらくこれが原題でもあろう。 内容は「浮気な家族」といった、軽いものとはまったく無関係である。 時代に流される弁護士のヨンジャク(ファン・ジョンミン)と、期待外れの妻の座に違和感をもち、自立を求める妻ホジョン(ムン・ソリ)と、彼らを取り巻く人間模様を描いて、極めて今日的である。 邦題を付けた人は、この映画がまったく理解できていない。 弁護士のヨンジャクは、結婚したら妻の身体には興味が失せたようで、若い愛人ヨンとのセックスに夢中になっている。 ヨンジャクの父親(キム・インムン)はガンで入院しており、すでに余命1ヶ月と宣告されている。 しかし、彼はわがままな患者で、周りは手を焼いている。 そして、ホジョンは義父の看病や、ダンスの稽古に日々を過ごす。 彼らは養子にスインをもらっており、ホジョンはとても可愛がっていた。 愛人を乗せたヨンジャクの車が、酔っぱらいのオートバイと接触しそうになる。 オートバイは崖下に転落し、運転していた郵便配達の男は大怪我をするが、男が酔っぱらっていたので、彼には何の罰もなかった。 しかし、郵便局を首になった男は、ヨンジャクを恨んで、スインを殺してしまう。 これでヨンジャクとホジョンの関係は、決定的に破綻する。 ホジョンは高校を中退した隣家のジウン(ポン・テギュ)と、危ない交際をしていたが、とうとう肉体関係を持ち、彼の子供を身ごもる。 そして、ヨンジャクとは離婚し、ダンスの教師に戻って自立の道を選ぶ。 もちろん、ジウンとの関係に拘泥するわけではなく、彼女は一人で育てるつもりである。 ホジョンが独身時代のほうが、セックスに恵まれていたという。 結婚すれば、セックスを堪能できると期待していたが、期待外れでがっかりしている。 夫が彼女に興味を示さなくなれば、妻としてはセックスをしようがない。 確かに独身であれば、誰と同衾しようと問題はないが、結婚すると夫以外とセックスできなくなる建前である。 だから、夫との関係が冷え込めば、セックスから疎遠になってしまう。 ヨンジャクの浮気相手は、ヨンだけではない。 弁護士事務所の秘書の女性とも関係がある。 彼の浮気は、ビル・クリントンのようなアダルト・チャイルド現象だろう。 ホジョンとヨンジャクの関係は、郵便配達に子供を殺されなくても、遅かれ早かれ崩壊していっただろう。 恋愛という精神的なものと、結婚という生活を、うまく連続させるには、相当な鍛錬が必要である。 ホジョン自身、かつてダンスの教師をして稼ぎがあった。 その彼女が専業主婦になってしまっており、蜜月の時代が過ぎれば、2人が倦怠期に陥るのは当然で、自分の仕事に目覚めるのは自然の流れである。 彼女は弁護士婦人という恵まれた地位を捨てて、自立の道を選ぶ。 恋愛から対なる結婚へという構造に、相当な無理があったのだ。 韓国もその地平に到達したようだ。 「恋愛適齢期」などのアメリカ映画では、自立した女性のセックス日照りが描かれるが、韓国ではそこまで状況は進んでいない。 自立した女性がまだ少なく、しかも彼女たちはまだ若いので、性的魅力を維持している。 そのため男性には不自由をしておらず、女性たちの嘆きが聞こえてこないのだろう。 しかし、この映画が描く女性が老境にさしかかると、韓国でも同じような主題が登場するに違いない。 恋愛から結婚という流れは、近代のものだとは周知だが、近代が終わろうとする今、韓国でも時代の変化と認識は着実に進んでいる。 大恋愛の末に結婚しても、恋愛と結婚は別物である。 両者を結びつけるのは、近代が強いた擬制だった。 元来が結婚は生活のためにするもので、恋愛は精神の糧としてするものである。 かつての貴族たちは、はっきりと両者を使い分けていた。 この映画では、養子スインが登場するが、まだ小学生低学年のスインに、養子であることのコンプレックスを口にさせている。 そして、養子であることを、スインは学校でしゃべったりしてもいる。 前近代では養子はいくらでもあったが、近代にはいると核家族が擬制されたので、養子であることが公言できなくなった。 しかし、この監督は養子であることを公言している。 ここには人間関係の再確認がある。 映画としても、相当にテンポが速く、説明が随分と短い。 短い説明は、観客に想像力を要求し、時代が進めば進むほど説明は省略されていく。 かつては車に乗るシーンと降りるシーンだけでは、人物の移動したことが伝わらなかった。 しかし、今の観客は簡単に理解する。 一般に途上国の映画は、説明が長いので、この映画はこの点でも先進国的である。 先進国が長い時間をかけて実現した状況に、後から来る国はそれほど時間をかけずに到達する。 そのため、古いものが完全に消滅する前に、新しいものが登場して混在することになる。 後から来れば来るほど、新しいものが実現される時間が短くなるため、混在の度合いは大きくなる。 この映画でも、父親のわがままぶりと、ホジョンの自立が、明らかに新旧の対立を示している。 父親の死によって、母親が解放されて、新たな恋人と新生活を始める。 このくだりを息子ヨンジャクに聞かせるシーンは、1人の女として自覚した母親の自我をみせつける。 夫という男性に、人生を蹂躙されきったという老女の嘆きは、時代の流れを感じさせている。 ヒロインを演じたムン・ソリは、達者な演技である。 何度かのセックスシーンを、それぞれに違った意味づけで演じ分けている。 とくに最後の高校生ジウンとのそれでは、大きな快感にたゆとうことの悲しさが、見事に演じられていた。 また、この映画で好感をもったのは、男女ともにセックスをすることを肯定していることだ。 女性の性欲を素直に肯定しているのは、我が国のセンスにはないものかもしれない。 ムン・ソリにかぎらず役者たちの演技が、全体にうまい。 弁護士であり、さえないヒーローでもあるヨンジャクを演じたファン・ジョンミンが、微妙な心理を顔に表現し実にうまかった。 個人の生き方を社会的な拘束に優先させて、積極的に肯定する姿勢を評価する。 恐るべし韓国映画である。 迷うことなく星一つを献上する。 2003年韓国映画 (2004.07.23) |
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