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ルールズ オブ アトラクション
ロジャー・エイヴォリー監督

 「アメリカン サイコ」の原作者ブレット・イーストン・エリスが、本作品の原作者である。
それなりに期待して見に行ったが、当てが外れた。
エリスが書いた小説「レス ザン ゼロ」と同じ主題だが、この映画はすでに時代から取り残されている。
ルールズ・オブ・アトラクション [DVD]
劇場パンフレットから

 映画の舞台は、1980年代だと思われる。
エイズの猛威もまだ聞かれず、若者の間には、60年代の残照が残っていた。
この時代アメリカは不況のはずだが、豊かなアメリカの一部では、どうしようもない退廃が支配していた。
覚醒剤、セックスなど、享楽的な刺激が日常化し、若者たちは豊かさの中におぼれていた。
この映画の舞台は、金持ちの子供が集うカムデン大学である。

 そんななかヒロインの女性ローレン(シャニン・サイモン)は、同級生たちのバカ騒ぎに距離をおいていた。
彼女はいまだに男性との関係が作れず、ヨーロッパ旅行をしているヴィクターに、乙女チックな思いを寄せていた。
どこか抜けた奴のショーン(ジェームズ・ヴァン・ダー・ビーク)は、ローレンを追いかけるが、ドジばかりしている。
2人を中心に、バイセクシャルの男の子ポール(イアン・サマーホルダー)など、級友たちが絡んで話は進む。


 学園物の典型的な話だが、映画の造りとしては失敗作だろう。
まず、それぞれのエピソードに繋がりがない。
ヴィクターのヨーロッパ旅行にしても、始まるのも唐突だし帰国も唐突である。
その上ヨーロッパでの映像が、映画になっておらず物語とかみ合っていない。
ショーンに密かに気を寄せて、ラヴレターを郵便受けに投函していた女の子が自殺するが、これもまた唐突である。
唐突が良いときもあるが、この映画では物語の繋がりが悪くなっている。
だから、映画がひどく長く感じる。

 それと何よりも問題なのは、豊かさの中に退廃を見て、それを告発するスタイルは、すでに古いことだ。
時代は告発を終えて、すでに生み出す状況に入っている。
1980年代なら、不況のせいもあって、「レス ザン ゼロ」が書かれる必然性もあった。
当時は、まだ情報社会が完全に開花しておらず、現状の脱出口を探すのに精一杯だった。
しかし、90年代後半から、情報社会の成果が収穫されはじめ、時代の先が見えてきた。


 情報社会の現像は、デジタルな思考を加速させ、つぎつぎと新たな作品を生みだしていいる。
今やアメリカ映画は、告発するスタイルを採っていない。
女性映画が差別撤廃を挑戦的に描いたような時代は去った。
差別を克服する道が見えてしまったのである。
だから、告発するスタイルは、もはや説得性を持たなくなった。
ここで残っているのは、子供の問題だが、子供は当事者性を持って描くのが難しいせいもあって、子供映画は告発スタイルにはならない。

 子供自身が映画を撮れば、当事者性をもつので、告発もできるだろう。
しかし、撮影者は成人だから当事者性がなく、何とか子供に自己同化しようとしかできない。
そこで、冷静沈着に時代と向き合った「チョコレート」のような作品になったり、「ゴースト ワールド」のように成体化した子供の孤独を描くことになる。
ここでは、大人と子供は同じ地平であり、この作品のように中年者の監督が、他者としての若者を見る視線は、もはや存在しない。

 「アメリカン サイコ」を撮ったメアリー・ハロンには、原作が必然をもって読めたのだろうが、この監督は、時代と格闘するタイプではない。
映画の作りから判断する限り、社会派的な資質はまったくない。
むしろタランティーノようなスタンスで、時代にのったエンターテインメント系のタイプだろう。

 逆回しが多用されているが、これが効果を生みだしているとは言えず、むしろわざとらしさや見辛さを感じさせている。
メメント」の時間を前後させる手法も、観客をとまどわせたが、映画自体との関係で必然性があるので、観客は戸惑いながらもついていく。
しかし、この映画での逆回しは、陳腐さだけが目立ってしまった。


 フェイ・ダナウェイが出ていたが、もやは往年の魅力はなく、まったく普通のおばさんになっていたのが寂しかった。
それに対して、若者たちの魅力はなかなかである。
バイ・セクシャルのポールを演じたイアン・サマーホルダーや、その幼なじみのディックを演じたラッセル・サムズなど、充分に鑑賞に耐える肉体で、かっこいい。

 女性の肉体美を鑑賞の対象だというと、我が国のフェミニズムは女性差別だと反発するが、男性の肉体が鑑賞の対象になって来た事実をどう考えるのか。
我が国のフェミニズムは、まったくもって理解力のない人たちだと思う。
肉体の美しさを、人格に直接からめるので、おかしなことになる。
具体的人間と社会的存在としての人間は、異次元だということに気付けば、肉体の賛美は自由にできるはずである。

 どんな女性だって、どこか魅力的な部分があるはずで、そこは異性から大いに見てもらいたいと思っている。
好感のまなざしは、誰にとっても気持ちいいものだ。
しかし、我が国のフェミニズムは、見られることのなかに差別をかぎつけて、異性の視線を封印してしまった。
ミスコン批判といった形で、見られる肉体を否定してしまったので、結果として女性たちからも見捨てられたように思う。
否定していく運動は暗く、明るい展望が開けない。

 2002年アメリカ映画

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