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この監督は子供を描き続けており、「Kids/キッズ」に引き続き子供を巡る映画である。 アメリカでは情報社会化が進み、時代に取り残された多くの人を生み出している。 彼等・彼女たちは無目的で、刹那的に日々を生きやすい。 そうした大人に育てられる子供は、健全な自己を育てようがない。 この監督は、現代の大人たちを否定的に見るから、子供たちをも否定的に見ることになる。
カリフォルニア州の小さな町ヴァイセリアでの話し。 5人の若者の生態を、淡々と描いていく。 ここの子供たちは、スケボーが大好きである。 タイトルにもなっているケン・パーク(アダム・チューバック)は、ガールフレンドから妊娠を告げられるが、近所の公園ヘスケボーで出かけ、持ってきたヴィデオ・カメラをセットし、たちまち銃で自殺してしまう。 ここから時間を遡って、映画は始まる。 ややエキセントリックなテート(ジェームズ・ランソン)は、祖父母と犬と暮らしているが、ある晩、寝ている祖父母を殺してしまう。 クロード(スティーヴン・ジャッソ)は、臨月間近い母親と、マッチョ趣味の父親と暮らしている。 父親は彼に口うるさい。父親が酔って帰宅し、寝ている息子にフェラチオする。 驚いたクロードは、父親を蹴飛ばす。 このとき父親が「Nobady loves me」と言うのが、実に白々しく響く。 彼は父親を軽蔑しきって、家をでる。 しかし、恋人とのベッドシーンを見られて、激しく折檻を受け、父親のもとから離れないと約束させられる。 そして、挙げ句の果てには、父親との結婚を承諾させられる。 敬虔な父親は旧約聖書を手に、娘に結婚を誓わせる。 敬虔であるがゆえの近親相姦とは、何という皮肉であろうか。 ショーン(ジェームズ・ブーラード)は、ガールフレンドと彼女の母親の両方と性的関係を持っている。 もちろん母親との関係は秘密だが、成熟した女性との性関係は刺激的であり、彼はそれに溺れかけている。 しかも、家族そろっての昼食に招かれ、何も知らない父親とガールフレンド、そして母親とテーブルを囲む。 子供の生態をいくつか切り取って、大人社会が破滅的だから、子供も刹那的でしかなく、ドラッグやセックスにおぼれる、と描く。 5人の子供たちを通して、現代社会を告発しているつもりであろう。 確かに子供を主題にするのは今日的である。 しかし、この監督の視線は、若干ずれているように思う。 大人社会のひずみが、子供を出口のない状態へと追いやると描くが、子供の逸脱状態を描くのは、すでに時代遅れである。 女性が自立した現在、子供の自立が視野に入っており、この監督のような視線はすでに克服されている。 情報社会に対応できない大人を越えて、子供は独自に新たな胎動を始めている。 「ホワイト オランダー」のような作品が、子供の地位を独自に認識し、子供を大人と対等に見なし始めた。 この監督は、古い子供観しかないので、子供を被害者としか描けない。 これはまるで女性が被害者だと描かれた、初期の女性映画と同じである。 女性が自立した現在、女性は被害者だと描いたら、時代錯誤であり笑い物だろう。 女性は自立した存在であり、子供に対しては加害者ですらある。 表現の先端では、子供も1人前の人格を与えられつつある。 成体化した子供は、大人と同じ社会的存在である。 成体化した子供と大人の間には、社会的優劣も上下関係もない。 大人と子供は社会的に等価である。 保護は差別と同義だから、大人が子供を保護する関係も消失しつつある。 子供を保護の対象としてみると、この映画のようになる。 しかし、子供を弱者と見なして保護する視線は何も生まないし、すでに現実の子供たちによって乗り越えられている。 子供や子供の置かれている状況を、否定的に描くことによって、何かの表現が可能になることはない。 女性たちが男性から離れた地平にフェミニズムをうち立てたように、子供たちは大人から離れた地平に、ユーシィズム(成体化した子供主義)をうち立てようとしている。 孵卵器から脱出しようとしている子供たちにとって、この映画のような視線はただ鬱陶しいだけだ。 良心派といわれる大人たちはこの映画を見て、現代の子供たちの生態を嘆いてみせる。 そして、いかにも知ったかぶりをするが、ここにはもう子供はいない。 父親から同性愛を迫られても、子供はそれに囚われることなく、家を出ていくことができる。 家出できるのは、子供でも何とか生活が可能になりつつあるからだ。 専業主婦という成人女性が家を出るのは、職業がないので不可能かも知れないが、子供は将来を担保に家出ができる。 今までは子供には収入がなかったから、親の庇護の元をでることはできなかった。 しかし、気がついてみれば、自活できる年齢が下がっている。 「人形の家」のノラだって、自分が生活可能かどうか判らなかった。 時代が女性に職業を与えたように、時代が子供に職業を与えつつある。 既存の保護規定が、女性の社会進出を阻んでいた。 同様の現象が子供に起きる。 子供を保護するために規定が、子供の社会進出を妨げる。 子供でも働ける。 新しい職業に関しては、むしろ子供のほうが有能でさえある。 新興スポーツのインストラクターとか、「8 マイル」のエミネムのような大道芸人とか、新しい職業が子供の前には広がりつつある。 子供は養われるだけの存在ではない。 子供も自立しつつある。 この映画は良心派の仮面をかぶったもので、子供の真の味方ではない。 大人も自殺するのだから、子供の自殺だってあるだろう。 性交可能年齢になれば、男女間の年齢差は関係ない。 女性にとっては、若い男性のほうがリードしやすく、回復力も早く好ましい相手かも知れない。 男性にとって高年女性とのセックスは、女性を大切にすることを教えられるだろう。 そして、若い時代のほろ苦い思い出になるだろう。 どんなセックスも肯定される。 マイナーな映画で、出演者たちも無名の人が多い。 しかし、皆とても上手い。 とくにクロードの父親を演じたウェイド・アンドリュー・ウィルアムズは、やるせない孤独感を体現して絶品だった。 アメリカの俳優層の厚さを知らされる。 ややライティングに斑があり、カラーの発色が悪い場面があった。 2002年のアメリカ映画 |
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