|
|||||||||
|
|||||||||
今をときめく白人ラッパー・エミネムの半自伝的映画である。 彼はデトロイトの貧しい町に生まれ、様々な仕事をてんてんとする。 しかも、離婚した母ステファニー(キム・ベイシンガー)は、何と高校の先輩グレッグ(マイケル・シャノン)と同棲している。 子供が育つ環境としては最悪である。 そうしなかでも、音楽への情熱を持ち続けて、B・ラビットことジミー・スミスJr.(エミネム)は有名になった。
恋人と別れたラビットは、仕方なしに母親の住むトレーラーハウスに居候する。 離婚した母親は働いてない。 彼女は、若い男性とのセックスにひかれ、母親であるよりも、女性としての欲求に生きている。 しかも、グレッグとのセックスを、あけすけに息子に喋る。 子供を横並びに見る視線は、自立した女性の典型例だろう。 歳の離れた妹が同居するが、家賃の未払いによって、トレーラーハウスには立ち退き命令がくる。 ピップホップは戦う俳句である。 ただ無闇に言葉を連ねるのではない。 きちんとした約束事の上に、即興的に言葉を並べ、独特のリズムでたたきつける。 俳句や短歌などと同様に、生活からにじみ出る情感を歌うもので、詩やリズムが多くの人に受け入れられて、スタンダードとして定着していく。 ラビットは作詞家であると同時に、作曲家でもある。 映画自体はやや展開がのろく、けっして1級ということはできないが、映画の状況設定やもちろんエミネムのラップには共感する。 黒人居住区には、ヒップホップ・クラブ「シェルター」があった。 毎週末に、各自の歌詞をラップし、最高のラッパーを競うラップ・バトルが開催されている。 ここのDJであるフューチャー(メキー・ファイファー)は、ラビットの才能を高く買っている。 何とかしてラビットをステージに立たせたい。 しかし、彼は神経が細く、ステージでは声が出せなかった。 新しく恋人になったアレックス(ブリタニー・マーフィ)が、他の男性とセックスをしているのを目撃し、かっとなって相手の男性に暴行を働く。 しかし、男性とその仲間に復讐されてしまう。 身も心もボロボロになった彼は、やっと吹っ切れてラップ・バトルへ参加する。 白人でありながら黒人の音楽であるヒップホップをやるには、たくさんの差別があったはずである。 黒人からすれば、なぜ自分たちの音楽を奪うのかと、反発を感じるのは当然だろう。 しかし、個人にとって、好きになったものは結果である。 ピップホップが本人の嗜好に適合しただけであり、黒人音楽だから好きになったのではない。 それでも黒人は許せないだろうが…。 映画の中で、ラビットに向かって、何度もエルヴィスというヤジが飛ぶ。 エルヴィスも黒人テイストを、自分の音楽に取り込んで大成した歌手である。 差別にあいながらも、有り余る才能は、如何ともしようがない。 黒人たちも彼の音楽を認める。 事実、彼の音楽はきわめて今日的であり、台詞といいリズムといい、とても衝撃力がある。 踊るような躍動感といい、破壊しかねないような強い言葉が、つぎつぎと繰りだされてくる。 初期のマドンナがそうだったように、新たな音楽の登場は、今あるものに反抗する形で登場するから、必ず挑戦的な姿である。 エミネムの音楽も例外ではない。 同時代を生きる若者たちの不満や悩みを、拡大して出来上がった権威にたたきつける。 エミネムの音楽を聴いた後では、他の音楽は気の抜けたビールのように感じる。 マドンナが一時もっていたような、挑戦的なパワーがある。 マドンナは女性たちの台頭に支えられ、女性たちを力づけたとすれば、エミネムは何を背景にしているのだろうか。 ちょっと気になるのは、ピップホップが女性やゲイに対して否定的な点である。 この映画の中では、女性やゲイがラッパーに攻撃されると、エミネムは女性やゲイの味方になって、ラップで反撃していた。 しかし、あれは監督の演出であり、多くのヒップホッパーたちに共通する感覚ではない。 アメリカの黒人社会は、白人社会に比べると、はるかにマッチョで指向で、しかも女性差別が強い。 黒人男性は黒人女性を妊娠させると、さっさと逃亡してしまう。 その結果、黒人女性がシングルマザーになるケースが多い。 黒人たちの置かれている状況を考えれば、肉体が優位する男性支配であっても不思議ではない。 しかし、マッチョな黒人たちに支持されるのがピップホップだろうか。 この映画でも、ラップの聴衆の多くは、男性だった。 最近では女性サーファーも登場し、女性は男性を待つだけではなくなった。 今でこそヒップホップは黒人男性が主流だが、やがて女性ラッパーも男性と互角になるのだろうか。 しかし、サーフィンは白人文化として生まれており、裕福さが支えだったので、別の考えが必要かも知れない。 フェミニズムは裕福な社会になって、市民権を獲得できたのである。 だから、フェミニズムの担い手が、白人であるのは当然であった。 黒人たちの経済状態が貧しいとすれば、黒人たちは男尊女卑であるのは、仕方ないかも知れない。 そう考えると、ヒップホップの台頭は、黒人たちの男尊女卑を表現しているようにも感じる。 白人であるエミネムは、黒人のヒップホップから男尊女卑的な色彩を、抜き取るのだろうか。 それとも、エミネムも男尊女卑的なセンスを拡張していくのだろうか。 黒人ラッパーがメジャーになれずに、白人であるエミネムがメジャーになったことは、女性にも支持を広げたためだろうか。 ボクシングにも女性が登場する昨今、女性ラッパーの登場も間近いと思いたい。 黒人社会のマッチョさはあるにしても、エミネムの衝撃力は確かなものである。 エルヴィスが今や権威となっているように、やがてヒップホップも市民性を獲得し、エミネムはスターとして人々の記憶にしまい込まれるだろう。 2002年アメリカ映画 |
|||||||||
<TAKUMI シネマ>のおすすめ映画 2009年−私の中のあなた、フロスト/ニクソン 2008年−ダーク ナイト、バンテージ・ポイント 2007年−告発のとき、それでもボクはやってない 2006年−家族の誕生、V フォー・ヴァンデッタ 2005年−シリアナ 2004年−アイ、 ロボット、ヴェラ・ドレイク、ミリオンダラー ベイビィ 2003年−オールド・ボーイ、16歳の合衆国 2002年−エデンより彼方に、シカゴ、しあわせな孤独、ホワイト オランダー、フォーン・ブース、 マイノリティ リポート 2001年−ゴースト ワールド、少林サッカー 2000年−アメリカン サイコ、鬼が来た!、ガールファイト、クイルズ 1999年−アメリカン ビューティ、暗い日曜日、ツインフォールズアイダホ、ファイト クラブ、 マトリックス、マルコヴィッチの穴 1998年−イフ オンリー、イースト・ウエスト、ザ トゥルーマン ショー、ハピネス 1997年−オープン ユア アイズ、グッド ウィル ハンティング、クワトロ ディアス、 チェイシング エイミー、フェイク、ヘンリー・フール、ラリー フリント 1996年−この森で、天使はバスを降りた、ジャック、バードケージ、もののけ姫 1995年以前−ゲット ショーティ、シャイン、セヴン、トントンの夏休み、ミュート ウィットネス、 リーヴィング ラスヴェガス |
|||||||||
|