タクミシネマ          過去のない男

 ☆ 過去のない男   アキ・カウリマスキ監督 

 ほのぼのとする中にもシニカルな味があり、絶妙なコミック映画である。
記憶喪失というありふれた主題でありながら、またSFXなど何も使っていない。
爆発もしないしベッドシーンもないにもかかわらず、感興を呼ぶ映画を作ることができる見本である。
星をつけるのには、何のためらいもない。
「ボーン アイデンティティ」が使った同じ記憶喪失でも、ずいぶんと違った映画に仕上がっている
 
過去のない男 [DVD]
劇場パンフレットから

 田舎からヘルシンキにでてきた中年男性(マルック・ペルトラ)が、暴漢に襲われて記憶喪失になり、ホームレス同然の生活になる。
自分の名前すら思い出せないのだから、職業に就くこともできない。
もちろん収入はない。
我が国ならこうした場合、どのような生活が可能だろうか。
この映画の舞台はフィンランドだから、いささか事情が違うが、それでも極貧の生活であることは間違いない。
フィンランドも不景気らしく、厳しい生活が見える。

 貨物用の大型コンテナを、何となく借り受けて住まいにする。
そして、ここがこの映画の救いなのだが、救世軍が貧しい人たちのために、様々な救援活動をしている。
同じ貧しさでも、アジアの貧しさには、ボランティアが助けることは少ない。
自国民に対して、救世軍のような活動が成り立つのは、近代を潜りぬけて、それなりに裕福になった国だけだろう。


 彼はコンテナに住みながら、徐々に近隣の人たちと交際範囲を広げる。
やがて救世軍の中で働き、わずかな収入と好意を感じる女性イルマ(カティ・オウティネン)を得る。
そして、かつての職業だった溶接工になれるときに、銀行強盗に遭遇してしまう。
この銀行強盗もおかしいし、強盗に入られた銀行の女性職員も、奇妙な人物である。
しかも、この銀行は、北朝鮮に買収されたとか、まか不思議な話である。

 警察に事情聴取されるが、名前を言わないので拘留される。
すると、救世軍のイルマが弁護士を派遣してくれる。
この弁護士と刑事のやりとりも、およそ現実離れしていて、ユニークなおかしさがある。
事件が新聞にでたことによって、彼の経歴が判り、もとの奥さんのところへと戻る。
しかし、すでに離婚が成立し、彼女は新しい男性と暮らしている。
当然のように、彼はヘルシンキに戻り、イルマとの恋を成就させるという展開は、平凡ながらも心温まるエンディングである。


 主題といい、話の展開といい、とりたて目新しいものはない。お金もかかっていない。
この映画で感心するのは、人間を見る目の温かさと、映画を成り立たせている感性である。
記憶喪失の彼は淡々としており、皆まじめでありながら、どこかおかしな人間模様が共感を呼ぶ。
コンテナに住んでいる隣人だって、裕福ではもちろんないが、ちょっと小遣いが入ったときには、奥さんの目を盗んでビールを飲む。
これが無上の幸せである。そうだろうと思う。

 貧乏な人たちの生活が舞台になっているが、暗さはない。
むしろエピソードは、ほのぼのしたものばかりである。
パステルカラーの色彩も、この映画によくあっている。
けっしてどぎついというわけではなく、ライティングが効いた鮮やかな色である。
そして、救世軍の楽団をバックに歌う老女の歌は聴かせる。
皺だらけの彼女の顔を見ていると、とても想像できないような甘く良い声である。

 極貧の生活を勧めるわけでは決してないが、どんな生活にも幸福感はあるものだ。
大金持ちだって自殺するのだから、人間の本質といったものは、あまり変わらないのだろう。
この映画は、人間の本質追究というヨーロッパ映画の伝統の上にあり、アメリカ的な最先端を追求するものではない。
そのスタンスが、この映画のすべてを決めている、と言っても過言ではない。


 カメラは正面からどーんと撮すし、一カ所に固定したまま、なかなか動かない。
画面の動きは実に少ない。
また、画面の中央に人を配置したり、2人の時は両側に配置したりと、きわめてオーソドックスなカメラワークである。
フェードアウトもなく、カットとカットがきちんと繋がれている。
しかも、台詞ものろければ、俳優の動きはゆっくりである。
それでも監督の表現したいものは、よく伝わってくる。

 この監督は日本にきたことがあるだろうと思う。
そして、日本が相当に気に入ったようだ。
バックには日本の音楽が2曲も使われていたし、列車の食堂車では寿司と熱燗の日本酒がでてさえいる。
フィンランドの食堂車で、寿司や日本酒がメニューにあるとは思えないから、監督の思いつきだろう。
とにかく思わず笑ってしまうような、なかなかのコミック映画だった。
 
2002年フィンランド映画

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