タクミシネマ           ブリジット・ジョーンズの日記

 ブリジット・ジョーンズの日記 
 シャロン・マグワイア監督

 「彼女を見ればわかること」「ゴースト・ワールド」と、女性の孤独を主題とする映画も、本作で3本目である。
この映画は、同名の小説をもとにしている。
小説は、世界的なベストセラーになったほど、同時代の女性たちに支持された。

 しかし、この映画は、売れた小説を使って稼ごうとした。
そんな雰囲気の映画で、映画の展開としては良くできているが、小説とは違った結末になっていた。
この結末には、大いに疑問が残る。

ブリジット・ジョーンズの日記 [DVD]
 
劇場パンフレットから
 ロンドンに住む32歳の女性ブリジット・ジョーンズ(レニー・ゼルヴィガー)は、酒好き、煙草好き、男好きだけれど、いまだに独身である。
体重の増えるのを気にしながらも、生活は不規則で節制できない。
仕事にはそれなりに打ち込んでいるが、上昇志向のキャリア・ウーマンではない。

 30歳も過ぎて、恋人もいないとは、自分でも情けない。
会社の上司ダニエル(ヒュー・グラント)に秋波を送ると、たちまちベッドへと誘われる。
しばらくは良い関係が続くが、もと恋人のアメリカ人がアメリカからきて、それも破談となる。

 両親は、人権派弁護士のマーク(コリン・ファース)を引き合わせる。
しかし、彼女はその気になれない。
としているうちにも、月日は容赦なく経過し、体重は減りそうにもない。
酒も煙草も相変わらずである。
目標は実現せず、反省の日々が続く。
仲のいいのは、2人の女友達と1人のゲイだけである。
仕事こそあるものの、心のなかを焦りの冷たい風が吹いていく。

 女性たちが社会に進出し、いまや働くのは普通のことになった。
収入のある彼女たちは、自分の思うように生活ができる。
酒を飲むのも自由、煙草をすっても良い。
どんな生活をしても、誰からも咎められることはない。
自由を満喫している。
自分が一番かわいくて、自分の好みがもっとも大切である。
そして、「I love just as you are」といわれると、天にも昇るほど嬉しい。

 かつてなら女性に職業はなく、結婚しなければ生きていけなかった。
だから、良い売れ口に自分を適合させるべく、良い子を演じなければならなかった。
自由を主張しない、かわいい女の子が好まれた。
女性たちは自分よりも、相手やまわりを大切にせざるをえなかった。
酒も飲まず、煙草も吸わず、男をたてて、淑女を演じた。


 働く女性には、自分好みの生き方があるだけである。
男にどう見られるか、そんなことは気にする必要はない。
もちろん、恋人は欲しい。
燃えるような恋をしたいし、とろけるセックスも体験したい。
身体はうずくが、男に迎合するために、自分の生き方を変えるつもりはない。
しかし、自由な自分を好いてくれる恋人がいない。
困った状況である。
つまり、自由を知って、自立してしまった女性たちは、孤独に陥っている。

 女性差別は許せない。差別は解消されなければならない。
フェミニズムは闘ってきた。自由を、そして男女平等を手に入れた。
女性が男性と同じ社会的な立場を手に入れた今、女性たちは戸惑っている。
差別は保護と裏表である。差別されることは、同時に保護されることでもある。
だから、女性差別がなくなれば、女性保護もなくなる。
そして、自由=自立は孤独と一緒にやってくる。

 自立とは自分の人生を自分で決めること。
つまり自己決定権を入手することである。
自分が決めたことには、自分しか責任のとりようがない。
自分の人生を誰のせいにもできない。
それが判っているだけに、自立を選んだ女性たちは苦しんでいる。
差別という保護下にあり、孤独にさらされなかった女性たちが、自分の人生を求めてもがきている。
それがこの小説の主題である。


 この小説では、彼女の生活がたんたんと書かれているだけで、男性とハッピー・エンドになりはしない。
だいたい男性と結ばれたって、女性の自立が終わるわけではない。
結婚はもはやハッピー・エンドになり得ない。
なぜなら、女性たちも自分の生活は、自分で糊していくのだから。
つまり恋人や伴侶を得ても、孤独は一生にわたって続くのである。
この映画の製作者たちは、時代が判っていないから、ハッピー・エンドにしてしまった。

 イギリスで売れた小説があり、それが世界中に翻訳された。
イギリス発の小説としては、珍しいことである。
これを使って一儲けを企画した。
適当な監督を捜したら、女性監督の名前があがってきた。
映画は娯楽である。
見て楽しくなければならない。
それにはハッピー・エンドだ、と製作者たちは考えたのだろう。

 しかし、なぜこの小説が売れたのか。
それを考えれば、ハッピー・エンドにしてはいけない。
主人公が自分と同じだから、ハッピー・エンドでなくとも、働く女性たちは支持する。
むしろ、ダニエルとマークと、二人の男性に関心を持たれるのもできすぎである。
ブリジットの日常には共感しても、この結末には嘘っぽさがただよう。
監督の問題というより、製作者のほうに問題がある。

 開場40分前に、すでに長蛇の列である。
小説の前評判が高かったからか、久しぶりに並んでの入場になった。
もちろん会場は満員で、床に座っている人もたくさんいた。
しかも、観客の多くは、若い女性たちである。
前記の二作品でもそうだったが、彼女たちは実に臭覚が発達しており、等身大の自分たちが描かれている作品には、静かに殺到している。
時代の感覚を、無意識のうちに体得しているのだろう。


 わが国では、いまだに結婚願望が強いといわれる。
しかし、若い女性たちは、もはやかつてのような専業主婦が、成り立たないことを知っているに違いない。
三食昼寝付きの永久就職は、天国かも知れないから、結婚=永久就職を口にするだろう。
それでも永久就職は息が詰まりそうだし、時代はそれを許さないことも知っている。
だから、女性の孤独をあつかった映画に、殺到するのだと思う。

 社会学の学者たちが、調査と称して、若い女性たちの意識を調べる。
そして、彼女たちは結婚願望が強く保守的である、と分析することがおおい。
おそらくこの映画館に足を運んだ女性たちも、意識調査をすれば、保守的な回答をするだろう。
それでは実際に、彼女たちがどういう行動をするかといえば、意識調査の結論とは違うだろう。
彼女たちが予感的に判っていることは、意識調査の数字には表れない。
だから出生率が下がっているのだ。

 ブリジット・ジョーンズを演じたレニー・ゼルヴィガーは、アメリカ人である。
ほかの俳優たちが、訛りの強いイギリス英語を喋るなかで、イギリス英語もどきのアメリカ英語を喋るのは妙なものだ。
この映画をアメリカで売るために、名のあるアメリカ人の俳優が必要だったに違いない。
だからアメリカ人を主人公にしたのだろうが、ミスキャストだと思う。
しかも、ダニエルのフィアンセが、アメリカ人だというのは、洒落にもならない。

 レニー・ゼルヴィガーの演技が下手だというのではない。
彼女は「エンパイヤ・レコード」以来、なかなかの演技をしている。
今回も体重を、6キロ増減させたという。
平凡ななかにもコケティシュで、しかもコメディタッチという役柄を、良く演じている。
彼女の個人的な問題ではなく、アメリカ人を、キャスティングするべきではなかったのである。
それにたいして、ダニエルを演じたヒュー・グラントは、力のない優男を演じてはまり役だった。

 2001年のイギリス映画

TAKUMI シネマ>のおすすめ映画
2009年−私の中のあなたフロスト/ニクソン
2008年−ダーク ナイトバンテージ・ポイント
2007年−告発のときそれでもボクはやってない
2006年−家族の誕生V フォー・ヴァンデッタ
2005年−シリアナ
2004年−アイ、 ロボットヴェラ・ドレイクミリオンダラー ベイビィ
2003年−オールド・ボーイ16歳の合衆国
2002年−エデンより彼方にシカゴしあわせな孤独ホワイト オランダーフォーン・ブース
      マイノリティ リポート
2001年−ゴースト ワールド少林サッカー
2000年−アメリカン サイコ鬼が来た!ガールファイトクイルズ
1999年−アメリカン ビューティ暗い日曜日ツインフォールズアイダホファイト クラブ
      マトリックスマルコヴィッチの穴
1998年−イフ オンリーイースト・ウエストザ トゥルーマン ショーハピネス
1997年−オープン ユア アイズグッド ウィル ハンティングクワトロ ディアス
      チェイシング エイミーフェイクヘンリー・フールラリー フリント
1996年−この森で、天使はバスを降りたジャックバードケージもののけ姫
1995年以前−ゲット ショーティシャインセヴントントンの夏休みミュート ウィットネス
      リーヴィング ラスヴェガス

「タクミ シネマ」のトップに戻る