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「彼女を見ればわかること」「ゴースト・ワールド」と、女性の孤独を主題とする映画も、本作で3本目である。 この映画は、同名の小説をもとにしている。 小説は、世界的なベストセラーになったほど、同時代の女性たちに支持された。 しかし、この映画は、売れた小説を使って稼ごうとした。 そんな雰囲気の映画で、映画の展開としては良くできているが、小説とは違った結末になっていた。 この結末には、大いに疑問が残る。
体重の増えるのを気にしながらも、生活は不規則で節制できない。 仕事にはそれなりに打ち込んでいるが、上昇志向のキャリア・ウーマンではない。 30歳も過ぎて、恋人もいないとは、自分でも情けない。 会社の上司ダニエル(ヒュー・グラント)に秋波を送ると、たちまちベッドへと誘われる。 しばらくは良い関係が続くが、もと恋人のアメリカ人がアメリカからきて、それも破談となる。 両親は、人権派弁護士のマーク(コリン・ファース)を引き合わせる。 しかし、彼女はその気になれない。 としているうちにも、月日は容赦なく経過し、体重は減りそうにもない。 酒も煙草も相変わらずである。 目標は実現せず、反省の日々が続く。 仲のいいのは、2人の女友達と1人のゲイだけである。 仕事こそあるものの、心のなかを焦りの冷たい風が吹いていく。 収入のある彼女たちは、自分の思うように生活ができる。 酒を飲むのも自由、煙草をすっても良い。 どんな生活をしても、誰からも咎められることはない。 自由を満喫している。 自分が一番かわいくて、自分の好みがもっとも大切である。 そして、「I love just as you are」といわれると、天にも昇るほど嬉しい。 かつてなら女性に職業はなく、結婚しなければ生きていけなかった。 だから、良い売れ口に自分を適合させるべく、良い子を演じなければならなかった。 自由を主張しない、かわいい女の子が好まれた。 女性たちは自分よりも、相手やまわりを大切にせざるをえなかった。 酒も飲まず、煙草も吸わず、男をたてて、淑女を演じた。 働く女性には、自分好みの生き方があるだけである。 男にどう見られるか、そんなことは気にする必要はない。 もちろん、恋人は欲しい。 燃えるような恋をしたいし、とろけるセックスも体験したい。 身体はうずくが、男に迎合するために、自分の生き方を変えるつもりはない。 しかし、自由な自分を好いてくれる恋人がいない。 困った状況である。 つまり、自由を知って、自立してしまった女性たちは、孤独に陥っている。 女性差別は許せない。差別は解消されなければならない。 フェミニズムは闘ってきた。自由を、そして男女平等を手に入れた。 女性が男性と同じ社会的な立場を手に入れた今、女性たちは戸惑っている。 差別は保護と裏表である。差別されることは、同時に保護されることでもある。 だから、女性差別がなくなれば、女性保護もなくなる。 そして、自由=自立は孤独と一緒にやってくる。 自立とは自分の人生を自分で決めること。 つまり自己決定権を入手することである。 自分が決めたことには、自分しか責任のとりようがない。 自分の人生を誰のせいにもできない。 それが判っているだけに、自立を選んだ女性たちは苦しんでいる。 差別という保護下にあり、孤独にさらされなかった女性たちが、自分の人生を求めてもがきている。 それがこの小説の主題である。 だいたい男性と結ばれたって、女性の自立が終わるわけではない。 結婚はもはやハッピー・エンドになり得ない。 なぜなら、女性たちも自分の生活は、自分で糊していくのだから。 つまり恋人や伴侶を得ても、孤独は一生にわたって続くのである。 この映画の製作者たちは、時代が判っていないから、ハッピー・エンドにしてしまった。 イギリスで売れた小説があり、それが世界中に翻訳された。 イギリス発の小説としては、珍しいことである。 これを使って一儲けを企画した。 適当な監督を捜したら、女性監督の名前があがってきた。 映画は娯楽である。 見て楽しくなければならない。 それにはハッピー・エンドだ、と製作者たちは考えたのだろう。 しかし、なぜこの小説が売れたのか。 それを考えれば、ハッピー・エンドにしてはいけない。 主人公が自分と同じだから、ハッピー・エンドでなくとも、働く女性たちは支持する。 むしろ、ダニエルとマークと、二人の男性に関心を持たれるのもできすぎである。 ブリジットの日常には共感しても、この結末には嘘っぽさがただよう。 監督の問題というより、製作者のほうに問題がある。 開場40分前に、すでに長蛇の列である。 小説の前評判が高かったからか、久しぶりに並んでの入場になった。 もちろん会場は満員で、床に座っている人もたくさんいた。 しかも、観客の多くは、若い女性たちである。 前記の二作品でもそうだったが、彼女たちは実に臭覚が発達しており、等身大の自分たちが描かれている作品には、静かに殺到している。 時代の感覚を、無意識のうちに体得しているのだろう。 わが国では、いまだに結婚願望が強いといわれる。 しかし、若い女性たちは、もはやかつてのような専業主婦が、成り立たないことを知っているに違いない。 三食昼寝付きの永久就職は、天国かも知れないから、結婚=永久就職を口にするだろう。 それでも永久就職は息が詰まりそうだし、時代はそれを許さないことも知っている。 だから、女性の孤独をあつかった映画に、殺到するのだと思う。 そして、彼女たちは結婚願望が強く保守的である、と分析することがおおい。 おそらくこの映画館に足を運んだ女性たちも、意識調査をすれば、保守的な回答をするだろう。 それでは実際に、彼女たちがどういう行動をするかといえば、意識調査の結論とは違うだろう。 彼女たちが予感的に判っていることは、意識調査の数字には表れない。 だから出生率が下がっているのだ。 ブリジット・ジョーンズを演じたレニー・ゼルヴィガーは、アメリカ人である。 ほかの俳優たちが、訛りの強いイギリス英語を喋るなかで、イギリス英語もどきのアメリカ英語を喋るのは妙なものだ。 この映画をアメリカで売るために、名のあるアメリカ人の俳優が必要だったに違いない。 だからアメリカ人を主人公にしたのだろうが、ミスキャストだと思う。 しかも、ダニエルのフィアンセが、アメリカ人だというのは、洒落にもならない。 レニー・ゼルヴィガーの演技が下手だというのではない。 彼女は「エンパイヤ・レコード」以来、なかなかの演技をしている。 今回も体重を、6キロ増減させたという。 平凡ななかにもコケティシュで、しかもコメディタッチという役柄を、良く演じている。 彼女の個人的な問題ではなく、アメリカ人を、キャスティングするべきではなかったのである。 それにたいして、ダニエルを演じたヒュー・グラントは、力のない優男を演じてはまり役だった。 2001年のイギリス映画 |
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