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 ゴシップ       コリン・ナトリー監督

 1999年に「彼女を見ればわかること」が、アメリカでつくられた。
たった一年違いで、まったく同じ主題の映画が、スウェーデンでつくられた。
この映画も、女性の孤独といった自立にまつわる話である。
アール・アバウト・マイ・マザー」が、後進国の女性讃歌だとすれば、この映画は先進国における女性讃歌である。

 この映画は、イギリス生まれでスウェーデンに住む監督の手になるからか、メキシコ人の監督が撮ったアメリカ映画「彼女を見ればわかること」ほどは、孤独の厳しさがない。
メキシコ人よりスウェーデン人のほうが、近代人は孤独であることを、前提として受けとめている。
つまり孤独を、必ずしも悪いこととは考えていないようだ。


 
劇場パンフレットから
 ハリウッドから、主演女優を捜してオーディションがある。
スウェーデンを代表する9人の女優が、それに応募する。
もちろん誰もが選ばれたい。
発表の前日、各人の様子をカメラは追っていく。
彼女たちは全員が40歳前後で、もはや若くない。
それぞれに地位を築き上げている。

 レベッカ(レーナ・エンドレ)、アレクサンドラ(スサンヌ・ロイテル)、ステッラ(ヘレーナ・リンドベリ)、カーリン(マリーカ・ラーゲルクランツ)、エイヴォル(スティーナ・エークブラード)、ゲオルギーナ(エヴァ・フレーリング)、セシリア(マリー・リカルドソン)、イット(グニッラ・レール)、そしてモリー(ペルニラ・アウグスト)。

 二人の修道女が僧院を歩いているところから、映画は始まる。
若い尼僧が、神様がきて私の体の中に入った、という。
もちろん、それは神様ではなく男だと判るのだが、年老いた尼僧はそれを神様だと肯定する。
このシーンは、すべての男女関係を肯定しているに違いない。


 もはや神の時代ではなく、人間時代の確認であろう。
だから孤独を引き受けざるを得ない、という確認なのだろう。
そのうえで、9人のスクリーンテスト、各人の個別的な話題へと展開する。
9人がそれぞれに生活を持っているので、話はどんどんと広がっていく。

 「彼女を見ればわかること」は5人の女性が主人公だった。
この映画は、9人という大勢の主人公をかかえている。
一つの映画としては、9人の日常をバラバラのままというわけにはいかない。
それぞれの物語を、最後にはまとめなければ、一本の映画にならない。
主人公が9人という多さだから、物語がきわめて複雑である。
しかし、後半へかけて、映画はきちんとまとまっていく。
無理なくまとめる手腕は素晴らしい。

 セシリアとゲオルギーナが、テレビの番組にでている。
そこで妊娠中のセシリアの父親を詮索されると、彼女は怒って席を蹴ってしまう。
彼女は父親を公表していないし、未婚だったのだ。
そう言えばフランスでもニュース・キャスターが、未婚で妊娠し、その相手が誰だか話題になっていた。

 先進国では、今や未婚の母は珍しくも何ともない。
それでも相手の詮索があり、それは女性にとってうっとうしいものだろう。
相手であるマグヌス(ロルフ・ラスゴード)に、相手であることを明かすと迫るが、妻子のある彼は約束が違うと困惑。
そこへロルフ(ブラッセ・ブレンストレム)が、子供の父親役をかってでる。

 もう一人の中心人物は、ステッラである。
彼女はゲイで、マグヌスの奥さんであるカーリンと、仲むつまじい。
彼女たち9人は、自分で仕事をしているので、自分の人生がある。
経済的には不自由のない生活が、確保されている。
ちなみに、経済的な生活の保障がなければ、孤独には陥らないものだ。
しかし、各人はそれなりに悩みをかかえており、他人に知られたくないことがある。


 レベッカは子供が欲しくて、人工授精に病院へいく。そこでセシリアとばったり。またモリーは、レベッカの夫であるオーケの子供を妊娠してしまい、困惑の極みである。演劇界という小さな社会にいるので、全員が知り合いである。

 もう若くない彼女たちは、かつてのような役はまわってこない。
役にも徐々に涸渇しはじめている。
エイヴォルはミュージカルの役にてこずっている。
彼女は歌も上手くないし、ダンスに身体がついていかない。
しかし、チケットは売れてしまった。
アレクサンドラは、露出度の多い役や、ベッド・シーンに戸惑う。
また各人は、それぞれの連れ合いとの生活もある。

 9人の中年女性たちが、各人の立場で悩みながらも、何とか生きていく姿を監督は温かく描いている。
以前だったら、40歳を超えた中年は、もはや悩みなど表に現すこともない。
充分に頼れる大人だった。
しかし、今や何時までも悩みをかかえ、大人になれない。
この監督はそれを肯定する。
各人が仕事に、私生活に打ち込みながらも、この9人の女性たちは、最後にレベッカの誕生パーティに集まる。

 「彼女を見ればわかること」は女性の連帯などおくびにも出さなかったが、この映画は女性たちの緩いつながりを演出している。
それは個人主義が徹底したアメリカと、人口の少ないスウェーデンの違いなのだろう。
スウェーデンは小さな国である。
だから個人のつながりも、アメリカよりは親密であるようだ。
そうはいっても、個人が自立していることは、わが国の比ではない。

 わが国の映画では、まず中年の女性が主人公になることが少ない。
また、わが国の女性たちは、相手に媚びることを暗に要求されている。
おそらくそれは女性だけではなく、男性も相手の心を思いやるといった形で、媚びることを強いられているのだろう。
しかし、この映画の彼女たちは、見事なほど男性に媚びない。
自分の足で立っている。
それがすがすがしく、見ていて気持ちが良い。

 わが国では、未婚の母はまだ市民権を獲得したとはいえない。
同棲だって学生時代にこそあっても、社会人になると結婚したり解消したりしてしまう。
結婚式は派手だし、親は何時までも子供につきまとう。
個人そのものを見つめる目は弱く、個人にまつわる属性でその人を判断しがちである。
情報社会化の促進とかいうが、ほんとうに情報社会の何たるかを知っているのだろうか。

 画面の発色がシャープで、いかにもコダックの暖かい色調である。
セットだと思われるシーンでは、いかにも北欧を思わせる色彩感覚で、暖かさをかんじる。
画面割りも鋭く、物語の内容とよく合っている。
最後に、セシリアの生んだ子供を、ロルフが大切に抱き上げる。
その子供が女の子であることが、この映画の本当の主題、つまり女性讃歌なのだろう。
こうした主題の映画には、大物女優が率先して出演している。
 
2000年スウェーデン映画

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