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「ピンク・フラミンゴ」で有名なインディペンデントの監督が、「シリアル・ママ」や「I love ペッカー」のようなメジャー系の作品をつくるようになったと思ったら、またおかしな映画を作った。 単館上映にも関わらず、けっこう多くの人が見にきており、この監督の人気の高さがうかがえる。 渋谷という土地柄か、観客は若い人が多く、不思議な雰囲気の館内だった。 話も主題もたわいがない。 ハリウッド女優のハニー(メラニー・グリフィス)が、ボルティモアへ映画のプロモーションに来た。 彼女が舞台にあがると、セシル・B・ディメンテッドと名乗る映画狂集団に誘拐されてしまった。
最初は強制されて仕方なしに協力していたが、やがて自分から進んで演技するようになる。 ようはハリウッド式の映画製作が許せないという主張なのだろう。 ハリウッドのやり方は、良識にのっとった映画製作で、映画を愛する彼らとしては、欺瞞であるというわけだろう。 上映中の街の映画館に乱入したり、映画関係のパーティに殴り込みをかけたり、とゲリラチックに動き回る。 映画美術がキッチュではあるが、今やあの程度では驚かないし、何よりも映画の主張が単純に過ぎる。 ハニーがコペンハーゲン・シンドロームから、映画狂集団に同化していくのは良いとしても、ハリウッドのパロディなのか、批判なのかがわからない。 言葉での批判は映画での批判とはならず、批判的な映像を対置してこそ映画的批判たりうる。 この映画にはそこそこにお金もかかっている。 メラニー・グリフィスやスティーヴン・ドーフといった有名俳優も出演しており、メジャー的な作り方である。 この映画のなかでは、ハリウッド批判がたくさん展開されるが、この映画自体がもはやインディの作り方ではない。 映画のなかでは組合反対といっていたが、おそらく組合の規則に則って制作されたと思う。 一度、メジャー系の作りを知った監督だから、完全なインディとはならないのだろう。 それに、ハリウッドも反社会的なものに手を出すようになり、メジャーとインディの境が消えつつあるようにも思う。 ラップがさかんに使われており、ノー・バジェットと相づちが打たれていた。 スラングが反乱し、細かい楽しみは、外国人には充分に理解できない。 パトリシア・ハースト事件の当事者であるパトリシア・ハーストが、出演していたのは驚きだった。 それにしても、創造に比べて批判というのはやさしい。 批評家が、詩人の前では下がらざるをえない。 フィクションを創造するのは、ほんとうに難しいことである。 この監督は、ハリウッドやニューヨークにはいかず、ボルティモアーに腰を据えているのだそうだ。 そうしたスタンスも、この映画の背景にはあるだろう。 地方在住は、作品の内実には関係ないとは思うが、洗練度という点ではやはり今一になるのは否めない。 2000年のアメリカ・フランス映画 |
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