タクミシネマ            ハンニバル

ハンニバル     リドリー・スコット監督

 1991年に公開され、オスカーをとった「羊たちの沈黙」の続編だが、前作からすでに10年が経過している。
レクター博士こそアンソニー・ホプキンズが演じているが、監督もジョナサン・デミからリドリー・スコットへと替わっている。
しかも、主人公はジョディ・フォスターから、ジュリアン・ムーアへと交代している。
題名も違った不思議な続編である。


 
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劇場パンフレットから
前作は、レクター博士の天才的な頭脳を、誘拐事件の捜査に利用したサイコ・サスペンスだった。
今回はFBIが悪人を利用するといった仕掛けはない。
前作で見習いだったクラリス・スターリング(ジュリアン・ムーア)は、10年後の今では立派なFBI捜査官である。

 しかし、捜査の指揮のまずさから、多くの人を殺してしまい、FBIの内部でも孤立していた。
そんなとき、レクター博士が冬眠から目覚め、新たな活動を始めた。
そこで彼女は奮い立つのだが、休職とされてしまう。
そんななか、前回の生き残りであるヴァージャー(ゲーリー・オールドマン)も、レクター博士を追っていた。

 この映画では、ほんとうの悪人は誰なのか判らない。
クラリスは主人公だし、彼女は絶対の正義を体現している。
それだけは事実である。
しかし、正義の味方であるはずのFBIでは、彼女は浮いてしまう。
現存するどんな組織も、その内部にいる人間は我が身が大切である。
だから、あまりにも正義感が強く、まっすぐに走ろうとする人間は、他の人と衝突する。

 FBIも組織である以上、例外ではない。
捜査員たちは生活者なのであって、クラリスのように正義に殉教している人たちではない。
FBIの同僚が彼女の足を引っ張る。
そして、ヴァージャーに買収された司法省のポール(レイ・リオッタ)が、彼女に立ちはだかる。
もちろん、レクターは大悪人である。

 食人鬼でもあり天才博士でもある男性レクターという設定はとてもユニークである。
通常、正義派のほうが優秀なことになっているが、この映画では悪者であるレクターのほうがはるかに優秀である。
フィレンツェに住んでいるレクターの身辺をかぎまわり、彼の正体を知ってしまったパッツィ警部など、手もなくひねられてしまう。

 ヴァージャーにしてもポールにしても、レクターにはまったく歯が立たない。
そのなかでクラリスだけは、不思議と彼に気に入られている。
レクターの好意によって、彼女は辛うじて相手にしてもらえる。
レクターが絶対の悪だとすれば、クラリスは絶対の正義である。
絶対同士だから許容する。
その両者のあいだに、多くの人は存在するのだが、レクターにとってはこざかしい悪は許せないのだろう。


 誰でもいくつもの中途半端な立場に自分をおいている。
宗教心に篤い人でも、現世の利益と対立したときに、どちらを選ぶかはきわめて難しい。
神を信じるといいながら、天皇や上司のまえでも頭を下げる。
神の命令と、現世の命令が背馳したとき、神に従わなくても何の咎もないが、現世の背反は重大な不利益になりうる。
精神的な絶対に殉じることは、きわめて難しい。
それは戦前のキリスト者やマルキストが、天皇制の軍門に下ったことを見れば明らかである。
レクターは妥協をしないが、多くの人の人生は妥協の連続である。

 映画の構成が前作とは異なって、サイコ・サスペンスといったものとは異なって、主題がよく判らなくなってしまった。
勧善懲悪とするには、レクターのキャラクターが強すぎるし、難しい展開だったろうと思う。
だから妙な最後にならざるを得なかったのだろう。
良くできた前作を超えるのは、至難の業である。
今、この映画評を書いていながら、凝った画面でありそこそこにできてはいる映画だが、一体この映画は何だったのだろうか、といった感興に襲われている。

 レクターが隠れ住んでいたフィレンツェの景色は、それなりに絵になっているし、画面構成もしっかりとして大きくかまえている。
やや暗い画面だったのが気になるが、それでも発色は悪くなかった。
露出は決して間違ってはいなかったし、技術的には何も言うことはない。
ふるいイタリアの歴史に頼って、かっこいい場面もたくさんあった。
グッチやアルマーニの協賛をえてか、服装は格好良かった。
とくにパッツィ警部やレクターの衣装は、実に灰汁抜けており、やや着崩した洋服姿が惚れ惚れするものだった。
それでも、活きのいい映画とはいえなかった。
前作が好評だったせいだろうか。


 主人公がジョディ・フォスターからジュリアン・ムーアに代わったことも、この映画の焦点を曖昧にしているのかもしれない。
男性的で硬質なジョディ・フォスターにたして、痩せていたとはいえ女性的なジュリアン・ムーアでは、やはりイメージの違いは大きい。
どちらが良いとか悪いと言ったことではなく、まったく別のキャラクターだろう。
ちょっと気になったのは、レクターは指紋をとらせないたに、ワイングラスをハンカチでもつくらいの神経の使い方だが、パッツィ警部を殺すときはそんな配慮をまったく忘れている。
この部分はご都合主義に過ぎる。
それと残酷な場面が多いのは、ちょっと考えものである。

 ところで、リドリー・スコット監督といえば、「テルマ・アンド・ルイーズ」や「エイリアン」などで有名で、すでに名をなした人である。
今年も「グラディエーター」では、オスカーをとっている。1937年生まれだから、すでに64才である。
この映画は、オスカーをとった映画の続編だから、巨匠をもってこざるを得なかったのだろうが、有名映画の続編の監督をするのはどういった心境であろうか。

 蛇足ながら、赤地に黒文字の劇場パンフレットは、すこぶるつきに読みにくい。
読みやすく、しかもデザインも良く願いたい。

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