タクミシネマ        アイズ ワイド シャット

アイズ・ワイド・シャット   スタンリー・キューブリック監督

 スタンリー・キューブリックが監督して、トム・クルーズ、ニッコール・キドマンの夫婦が主演しているというので、とても前評判が高かった。
主演した2人は、タイムの表紙にもなっているし、記事でも大きく取り上げられている。
しかし不思議なことに、多くの記事は、映画の内容に関しては評論を加えていなかった。
映画を見てその意味がよく判った。

アイズ ワイド シャット [DVD]
前宣伝のビラから

 医者のビル(トム・クルーズ)は、妻アリス(ニッコール・キドマン)から性にかんする幻想をきかされる。
彼は女性、とりわけ結婚した女性は性的な欲望を持たない生き物だと思っていたので、大変なショックを受ける。
自分は他の女性に目がいくが、女性はそんなことはないと信じていたのだ。

 それ以来、彼は妻が信じられなくなり、性的な嫉妬に苦しむことになる。
大学時代の友人ニック(トッド・フィールド)に会ったことから、彼の嫉妬心が彼を性の秘密結社に紛れ込ませる。
しかし、そこは大金持ちの集まるところであって(大金持ちがあんなに大勢いるかどうか疑問だし、あんなに大勢いて秘密が保てるか疑問だが、映画だから良しとしよう)ビルのような小市民が来るところではなかった。

 秘密結社から追い出されたビルは、その時から不思議な出来事につきまとわれる。
この結社のことを詮索するなという警告を受けたにもかかわらず、彼は不思議な集団に興味がわいて仕方ない。
ニックを訪ねてみれば、今朝早くホテルをチェックアウトしたという。
それがどうも不自然な行動だったと、ホテルのフロントマンが言う。
ますます不審に思った彼は秘密結社に関して調べようとするが、友人のビクター・ジーグラー(シドニー・ポラック)から君自身が危険だという決定的な忠告を受ける。

 自宅に帰ってみれば、紛失したはずの仮面がベッドに置かれており、秘密結社の力の大きさを知らされる。
彼は妻に秘密にしていた一連の行動を、泣きながら妻に説明することになる。
男性が性的な幻想に生きる生き物であることを許したアリスは、きわめて即物的に「私とセックスをするのよ」と言って、映画は終わる。

 栄光に包まれたキューブリック監督が、「フルメタル・ジャケット」以来映画を撮っていなかった。
過去の作品が優れていただけに、彼は中途半端な作品を作るわけにはいかなかったのだ。
賢い彼は自分のセンスが、時代とずれていくことを自覚していた。
そうしたなかで、何とかテーマをつかんだと感じたので、撮り始めたのがこの映画だった。
しかも、この映画を完成させた直後、彼は不帰の人となってしまった。
だから厳しい評論家たちも、死者に鞭うつわけにはいかず、この映画の出来映えに訳の分からない言葉でお茶を濁している。

 時代は本当に残酷である。
才能のある監督でも、時代に置いて行かれてしまう。
残念ながら、この映画は秀作ではないだろう。
キューブリックはきわめて優秀な人だから、観念的な思考で辛うじて物語を支えている。
しかし、性に関する観念は、みずみずしい直接性を失い、彼の言う強迫観念と嫉妬という主題が空転している。
嫉妬は表現できていたが、強迫観念は画面化されていなかった。
この映画のベットシーンを見ると、彼は性関係を男性が能動的に動き、女性が受動的に動くものだと考えているようで、彼の性道徳が古い時代のものであることを露呈していた。
映画の途中で、谷崎潤一郎の晩年の一連の作品を思い出させた。
性的なエネルギーが低下してくると、男性はどうしても観念的な世界に入り込みたくなるようだ。

 サスペンス仕立てになっており、ピアノの音が緊張感を強調するのは良く効いていたが、画面が緊迫感を保っておらず、体力のない老人の作品であることを見せてしまった。
ニッコール・キドマンは何とか役をこなしていたが、トム・クルーズは演技ができていなかった。
それは俳優のせいではなく、監督のほうの理由によると思う。
キューブリックが求めた女性像は通俗的で、80年代の女性運動で暴露された程度のものだった。
だからニッコールは対応できた。
それに対して、男性像ははるかに観念的なものだったが、その観念が如何なるものであるかを、監督は役者に伝えられなかったようだ。
それはキューブリック監督が、男性の性的な観念と格闘していながら、それが何だか自覚できないことによる。
だから、役者は訳が分からないままに、演技させられていたのだろう。

 トム・クルーズは性格俳優ではなく、活劇俳優である。
受け身の演技ができず、「ミッション・インポッシブル」のようなアクション物の方が向いている。
また、ビルの想像するシーンがモノクロで何度か出るが、タクシーの中ので3度目は想像していることが判るのだから、想像シーンの画面をだす必要はなかった。
ニッコール・キドマンは、眼鏡をかけたシーンがやけに決まっており、本当に目が悪いのだろうか。
眼鏡をかけた彼女は、裸眼の時の彼女とはまた違った知的な魅力があった。
彼女は美人女優でうっているが、ひょっとすると優れた性格俳優なのかも知れない。
ちょっと判らなかったのは、ドミノ(ヴィネッサ・ショー)という街娼の家には、「社会学入門」と言う本があったが、売春婦があんな硬い本を読むのだろうか。
それとも売春婦に対する性格付けとして必要だったのだろうか。

 顔へのライティングが、しばしば下から光を当てており、それが不自然に見えた。
また片側からの照明が狙った効果を現してなかったように感じた。
ところどころ発色が悪いところがあり、ライティングは要検討である。
しかし、音楽は良く効いており、主題歌となっていた曲は、この映画に独特の雰囲気を醸し出すのに成功していた。
誘う女」でニッコール・キドマンの巧さは知っていたが、彼女の演技巧者ぶりを再発見した。
彼女はとても上手い役者である。

1999年のアメリカ映画


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