タクミシネマ        今宵、フィッツジェラルド劇場で

 今宵、フィッツジェラルド劇場で
 ロバート・アルトマン監督

 1925年生まれだったこの監督は、2006年11月20日にガンで死亡した。
死を前にした老監督が、残る者たちへ伝えようとする意志を、そこかしこに感じさせる映画である。
高なり名をなした老人が、ゆったりとした口調で語る。
温かい人柄が感じられて、こころから冥福を祈りたくなる。

imdbから

 いつものやり方に従って、この監督はたくさんの人物を登場させる。
有名俳優も登場しているが、
誰が主役というわけではなく、各自がそれぞれの立場で役割を果たす。
そうした意味では、一種の群像劇なのだろう。
時代に取り残されたラジオの放送局が、最後の放送をしようとしている。
古き良き時代の臭いを、濃厚に残したセットに人々が嬉々として動き回る。


 映画は、放送局の保安係ガイ(ケヴィン・クライン)が、ダイナーから出てくるところから始まる。
彼はハードボイルドをきどった姿で、映画の最初から最後まで、劇場中をうろうろする。
特別の仕事があるとは思えない。
放送局付きの劇場と、スタジオの裏方だけの設定で、物語は進んでいく。
観客が画面に登場することはない。

 ラジオ・ショーとは公開番組のことだろう。
スタジオを公開するのではなく、放送局の中にある劇場を舞台にして、生放送をしているようだ。
司会を務めるのがギャリソン・キーラー(ギャリソン・キーラー)で、
彼は実際にラジオを番組の司会者だったらしい。
実に達者な話術で、しかも歌も上手い。

 彼の司会に会わせて、次々に歌手が登場し、コンとが演じられていく。
それと同時並行で、舞台裏での出来事が描かれていく。
長年働いてきた者同士の触れあい、スッタフの突然の死、特別の事件は起きない。
いやスタッフの死は大事件だが、老人の死は悲しまなくても良いのだ、と淡々と話は続いていく。
老人の死とは、おそらく監督自身の、死への予感なのだろう。

 女性スタッフの1人は、すでに臨月のお腹をしている。
大きくせり出した彼女のお腹を、撫でてみせる男性がいても、少しも嫌らしくない。
セクハラで訴えられそうな行為も、親密な人間関係の中では、むしろ愛情表現として許される。
生と死は、人間が生きて生きた過程そのものだ。

 ヨランダ(メリル・ストリープ)の娘ローラ(リンジー・ローハン)も、突然の指名でも歌ってみせる。
こぢんまりとした家族的な雰囲気で、いかにも古き良き時代である。
全編がカントリー・アンド・ウエスタンであるのが、いささか辟易してくるが、
これがアメリカ中西部の平均なのだろう。


 老練な監督と達者な役者たちが、互いに仕事を楽しんでいる。
そんな雰囲気が感じられる。
普通に仕事をする人々の中に、
すでに死んでしまった天使(ヴァージニア・マドセン)を紛れ込ませ、物語にアクセントを添えている。
何と言うことはないが、心温まる映画である。
原題は「a prairie home companion」  
 2006年のアメリカ映画   (2007.3.18)

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