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1925年生まれだったこの監督は、2006年11月20日にガンで死亡した。 死を前にした老監督が、残る者たちへ伝えようとする意志を、そこかしこに感じさせる映画である。 高なり名をなした老人が、ゆったりとした口調で語る。 温かい人柄が感じられて、こころから冥福を祈りたくなる。
いつものやり方に従って、この監督はたくさんの人物を登場させる。 有名俳優も登場しているが、 誰が主役というわけではなく、各自がそれぞれの立場で役割を果たす。 そうした意味では、一種の群像劇なのだろう。 時代に取り残されたラジオの放送局が、最後の放送をしようとしている。 古き良き時代の臭いを、濃厚に残したセットに人々が嬉々として動き回る。 彼はハードボイルドをきどった姿で、映画の最初から最後まで、劇場中をうろうろする。 特別の仕事があるとは思えない。 放送局付きの劇場と、スタジオの裏方だけの設定で、物語は進んでいく。 観客が画面に登場することはない。 ラジオ・ショーとは公開番組のことだろう。 スタジオを公開するのではなく、放送局の中にある劇場を舞台にして、生放送をしているようだ。 司会を務めるのがギャリソン・キーラー(ギャリソン・キーラー)で、 彼は実際にラジオを番組の司会者だったらしい。 実に達者な話術で、しかも歌も上手い。 彼の司会に会わせて、次々に歌手が登場し、コンとが演じられていく。 それと同時並行で、舞台裏での出来事が描かれていく。 長年働いてきた者同士の触れあい、スッタフの突然の死、特別の事件は起きない。 いやスタッフの死は大事件だが、老人の死は悲しまなくても良いのだ、と淡々と話は続いていく。 老人の死とは、おそらく監督自身の、死への予感なのだろう。 女性スタッフの1人は、すでに臨月のお腹をしている。 大きくせり出した彼女のお腹を、撫でてみせる男性がいても、少しも嫌らしくない。 セクハラで訴えられそうな行為も、親密な人間関係の中では、むしろ愛情表現として許される。 生と死は、人間が生きて生きた過程そのものだ。 ヨランダ(メリル・ストリープ)の娘ローラ(リンジー・ローハン)も、突然の指名でも歌ってみせる。 こぢんまりとした家族的な雰囲気で、いかにも古き良き時代である。 全編がカントリー・アンド・ウエスタンであるのが、いささか辟易してくるが、 これがアメリカ中西部の平均なのだろう。 老練な監督と達者な役者たちが、互いに仕事を楽しんでいる。 そんな雰囲気が感じられる。 普通に仕事をする人々の中に、 すでに死んでしまった天使(ヴァージニア・マドセン)を紛れ込ませ、物語にアクセントを添えている。 何と言うことはないが、心温まる映画である。 原題は「a prairie home companion」 2006年のアメリカ映画 (2007.3.18) |
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